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VIET NAM ベトナム だより(3)  2005年9月


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2005年9月30日(Wen)
 今日で9月も最後です。でも、外はまだ暑く、屋外プールでまだ、泳げます。
 27日の台風と一緒に虫が来る話ですが、ホータイ湖のそばの住宅地に大量にショウジョウバエ見たいのが発生し、朝起きて、玄関ドアを開けると、絨毯のように、黒い虫が死んでいたそうです。
 この国では、よく容器のデポジットを要求されます。 たとえば、左の写真の水の容器、右の写真の豆腐の容器など、返却するとき、お金が戻ってきます。
 はじめ、買い物をしたとき、買った品物以外に料金が付いていて、それが、ベトナム語で書かれていてデポジットの意味と分からず、何のお金を払ったのだろうと思っていました。

ホテルの室内でしたので、写真が暗いですが、舞台で知的障害者の子供達が先生の歌にあわせて踊ってくれているところです。
2005年9月29日(Tus)
 HANOI INTERNATIONAL WOMEN'S CLUB ハノイ インターナショナル ウーメンズ クラブ(HIWC)に今日、入会しました。
 読んで字のごとく、ハノイに住む、外国人女性の会です。白人系、インド系、イスラム系、アジア系、国籍はさまざまです。私の隣の席の白人の方は、南アフリカから来たとおっしゃっていました。
 このHIWCがバザーをした際の収益金を恵まれない人に贈ったそうです。たとえば、身体障害の子供達に車椅子や義足を贈ったり、知的障害の子供達の施設運営費や、ねずみが増えて収穫したもの食い荒らされて困っている貧しい村にネコを寄付したりしたそうです。それのお礼に、今日、報告も兼ねて、踊りや歌のプレゼントをしてくれました。
 そうそう、枯葉剤の影響かどうかははっきりしませんが、奇形児の生まれる確立が高いのだそうです。たとえば、ベトちゃんドクちゃんのように、2人がお腹でくっついていたり、三口の子供が、大変沢山生まれたり、指が6本あったり、・・・・そういう子供の手術代にも収益金が役立ったようです。
2005年9月28日(Wen)
 明後日、帰国されるSさんが、「お土産にシルク製品を買って帰るのに、シルク村へ一緒に行きませんか」とお誘いを頂き、いつものKさんとご一緒しました。
 有名なのは、ハノイ市内の観光地のホアンキエム湖の北側のハンガイ通りに、こぎれいなシルクを取り扱う店が並んでいます。 そこではなく、ハノイから南西へ車で30分ほど走ったところに、「ヴァンフック村(Van Phuc)」というシルク村があり、同じものが、ハンガイ通りで買うより、かなり安く手に入ります。村人は、1000人ぐらいで小さな村です。殆どの人が、シルクに関係した仕事をしていて家内工業的です。
 お買い物に夢中になっていて、シルク村の景色を撮り忘れましたので、地図を掲載します。
 お昼を食べて、ハノイの中心の「ハノイ大教会 (セント・ジョセフ教会・Nha Tho Lon)」に入ることができました。1886年に仏教寺院の跡地に建立され、1912年に現在のような2つの尖塔を持つネオゴシック様式に改築されたそうです。
 ガイドブックには、土日のミサの時間と書かれているのですが、門が開いていて入ることができました。(門が開いているときは、自由に入って良いそうです。)
 ステンドガラスがきれいでした。あいにくの小雨でしたが、これが晴れた日には、そのステンドガラスを通じて入ってくる光が素晴らしいそうです。特に紫のステンドグラスの色の輝きは、素晴らしいとお聞きして、是非晴れて日に、もう一度訪れたいと思っています。
 Sさんの案内で、見せていただいたのですが、Sさんは、昨日中止になったハノイ・インターナショナル・ウーマンズ・クラブのヘリテイジ(遺産)というグループでのガイドを引き受けられるほど、ハノイの歴史に詳しい方です。
 ハノイ大教会の近くには、かわいいベトナム雑貨のお店が沢山あります。
 ベトナムのブランドの「イパニマ」(ハノイタワーの近くある)の姉妹店の「ティナ・スパークル」があります。イパニマは、香港出身のデザイナーで、東洋と西洋のミックスをコンセプトにされていて、かなり派手なデザインです。
 日本では、「オネエ系」のイメージでした。ファッションを勉強されている人は、とても喜びそうな奇抜なバックで、一般の私のようなおばさんが持つようなものはありませんでした。東京の伊勢丹にも入っていたとか・・・・ 。
 そのすぐ近所に、イパニマの元従業員だった人が、イパニマもどきを売っている「カットウオーク」もあります。この国では、あまり「著作権」という意識がなく、街中でも、平気でコピー商品が売られています。
 その後Sさんの案内で、ベトナムのバックを作っている、ハノイ市内の北のはずれ方のお店へ行きました。店は、きれいではなく、デイスプレーもされていません。売れていない商品は埃をかぶったままです。宝探しのようなイメージですが、大教会辺りで販売されている半額ぐらいで買うことができました。
 若い女の人が4人ほど、売られている商品の間の床に座って、1つづつビーズを手で付ける作業をしていました。根気のいる作業です。ベトナムのバックが、こんな子達によって支えられているのですね。私の買ったバックの何%が、この子達の賃金として支払われるのかな。とふと思いました。
2005年9月28日(Wen)
 NHKのam8:35からの生活ほっとモーニング」が「吉野大峯山」の話で、私の父(太田豊茂:吉野雛製作者)が、リポーターの立松和平さんとアナウンサーの金子さんに、法螺貝の吹き方を教えているシーンが、放送されました。 父の生き生きした姿が映し出されていました。スタジオでの山伏の衣装や、法螺貝は、太田桜花堂(当店)からの貸し出しです。
 カメラでTVを撮ると、こんな風にスジが入ります。
 日本で8:15からはじまる「朝ドラ」「ニュース」「生活ホットモーニング」と、言う流れが、ベトナムでも、衛星放送を通じてリアルタイムで見ることができます。
 リアスタイムと言うことは、ベトナムは、日本より2時間遅れですので、朝の6:15から「朝ドラのファイト」が始まります。
 法螺貝がどんなものかは、法螺貝のページをご覧ください。
 山伏が、大峯山で修行をするとき、使用します。
2005年9月27日(Tue)
 今日は、朝から激しい雨風です。アパートのレセプションからメールボックスに、英語で案内が入っていて、辞書を引きながら、読んでみると・・・
(We are facing a big tropical storm which is soming very soon. ・・・・
 まもなく大きな熱帯の嵐に私達は直面します。嵐と一緒に虫が飛んでくるので、窓とバルコニーのドアを閉めて、夜は、ライトに虫が寄って来るのでカーテンを引いて下さい。2〜3週間で、虫は飛ばなくなるでしょう。)というものでした。
 家を探しているとき、「1階は止めた方が良いですよ。雨が降ると、虫が入って来ます」と言うのを聞きました。警告を出すほど大量に虫が発生するのでしょうか?
 ここでの生活は、殆どが英語です。私の英語がひどいので、レセプションの人に、「何を言いたいのかわからない」と言われます。情けないのですが、頭の中で文章になりません。ボキャブラリーも少なく、自分の意思をちゃんと伝えられません。日本語だったら、うるさいほど、しゃべれるのに・・・・
 今日、ハノイ インターナショナル ウーメンズ クラブの中のヘリテイジの日本人グループが、「ハノイ大教会とその周辺の歴史」を解説して下さるイベントがあったのですが、この嵐で中止になりました。残念です。

中央郵便局
BUU DIEN
2005年9月26日(Mon)
 個人的な事ですが、(いつも個人的な事ですね) 今日は、日本にいる大学生の娘の誕生日です。一緒に祝ってあげられませんが、こちらから、10日前に投函した「バースデーカード」が、お誕生日の当日に娘に届きました。
 また、実家(吉野山)から、出してくれた船便が、昨日(日)、郵便受けに通知が来ていて、今日、中央郵便局へ取りに行ってきました。 8月4日の日付がありましたので、約40日かかりました。船便の中味は、「うどんだし」です。日本にいるとき、いつもお料理するのに愛用していた「だし」で、これがあると、和食全般、努力しないでも、うまく作れます。私がリクエストしました。母が、割れないように、1本づつ丁寧にエアーシートで包んで、その上から、二重に段ボール箱に入れてくれていました。
 今日、偶然、見かけた少数民族の人です。2人とも若く、女の人は3歳ぐらいの子供を負ぶっていました。モン族の人は、紺色の衣装を着ていると聞いたことがありますが、この人がモン族かどうかはわかりません。
 ハノイから300Kmほど離れた、中国との国境に近い山間部の「サパ」で土日に行われるの「サパ市場」に行くと、沢山の少数民族に会えるそうです。 一度行ってみたいと思っています。
 「地球の歩き方」によると、“ベトナムは54民族ある多民族国家で、人口の90%はキン族(べト族)でデルタ地帯(平野部)に住んでいます。後10%の53の少数民族は、山間部や高原地帯に住んでいます。中国との国境の越北地方やラオスとの国境の西北地方、そして南部ベトナムの中部高原地帯で、それらは国土の3分の2を占める”と書かれています。
2005年9月25日(Sun)
 不思議に思っていたことがありました。こちらの街路樹の幹に、下、1mぐらい、白いペンキが塗ってあるのです。その理由がわかりました。「害虫よけ」だそうです。 一緒に並んでいる、コンクリート製の電信柱にも同じように、白いペンキを塗っています。コンクリートも害虫が寄ってくるのでしょうか?
 話変わって、大相撲で朝青龍が琴欧州との決定戦を制し6連覇したことをニュースで見ました。今まで、あまり相撲に興味もなく、朝青龍もどちらかというと嫌いでした。でも、今回は私の見方が違いました。朝青龍も琴欧州も日本人ではありません。彼らの日本での生活は、カルチャーショックの連続のはずです。私が、ベトナムに来ていて、いろいろカルチャーショックがあるのですから・・・・。しかも、日本でも特殊な角界で生活し、そこで成績を残していくのは、どれだけ大変だろう。どれだけ本人の努力があっただろうと思いました。とちらも応援したくなります。
 愛知万博(愛・地球博)の閉幕のニュースも流れていました。入場者が、2200万人と沢山の人が参加されたようですが、ついに行けずじまいでした。
2005年9月24日(Sat)
 NHKの海外安全情報で、「 @人から人に移った鳥インフルエンザへの注意 A麻薬に関わらないように注意」 が放送されていました。
 @鳥インフルエンザですが、結構、ローカルな市場があちこちにあり、鶏をかごに入れて連れて来ています。近づかないほうが良いのかもしれません。しかし、スーパーマーケットより、ローカルな市場のほうが、野菜も新鮮だし、安く買えます。
 ローカルな市場では、豚肉は、塊のまま冷蔵庫に入れず(市場に冷蔵庫がない)台の上に無造作に並べられています。今日中に売れるからいいのでしょうか。しかも、豚足をはじめ、顔の部分や、分けのわからない内臓まで・・・・スーパーへ行っても、あまり、スライスしたものは、売っておらず、だいたいがです。
 それと、牛肉に関してはローカルな市場で余り見かけません。スーパーで売っているベトナム産の牛肉は、非常に硬く、オーストリア産は、日本で買う普通の硬さと同じですが、ベトナム産牛肉の3倍の値段がします。ですから、日本のおいしい「すき焼き」を食べることは、困難です。特に、すき焼きの肉を生卵に付けて食べるなど、家では出来ません。(鳥インフルエンザの関係で)。 私の知っているところでは「江戸」という日本料理店で、食べることが出来ますが・・・・・美味しい「すき焼き」を安心して食べたい!!!!!(食い意地が張っているもので、すみません。)
 A麻薬は、夜にホアンキエム湖周辺や、ハノイ駅周辺が危ないと聞いています。夜のカラオケも危険だそうです。ベトナムの「カラオケ」はかなり、広い意味で使われていて、女の人を連れて行ける所から、連れていけない所まで、いろいろ含めてカラオケだそうです。
 ドイモイ政策で一部の人がお金持ちになり、最近、急にいろいろ海外から入って来ているそうです。巻き込まれないために「知らない人から、物を預からないように」と放送していました。ベトナムでは、日本より法律が厳しく、麻薬所持者は、無期懲役か死刑だそうです。夜は、出歩かないようにしています。
2005年9月23(Fri)
 JVCC(Vietnam-Japan Human Resources Cooperation Center  ベトナム日本人材協力センター)主催のお料理教室に参加しました。
 JVCCは、日本とベトナムの相互理解を促進する目的で、日越両国政府の合意のもと、JICA(独立行政法人国際協力機構)が2002年に設立したようです。
 今回は、「ベトナム料理を作ってみよう 33回」でした。
 @フォー ボー(牛の米麺) A干し牛肉と春雨サラダ B蓮の実おもち の3品です。どれも、ベトナムを代表するお料理で、ベトナムの素材を使ったものです。
 たとえば、「干し牛肉(見た目は、肉の塊が少しいんでいるような。でも、腐ってもいない)」 「干しねぎ(たまねぎの小さいの、中まで茶色い」)」 「ヌックマム(醤油に似た調味料)」 「タォー(香辛料)」などを使います。 
 驚いたこと、@レシピの分量表の「大さじ」は、「おたま」でした。 Aいためる油は、日本よりはるかに多く入れ、揚げる油は、日本より、はるかに少ない油で揚げます。
 最後に、マンゴーや、きゅうりを使って綺麗な蓮の花を作りました。ナイフを持ってお花作りに挑戦してみましたが、不器用な私のは、お見せできないほど、「ぶさいく」になりました。(左の写真は先生が作られた蓮の花です。)本当のお花のようにきれいでした。
 同じ建物の3Fで 日本大使館及び国際交流基金との共同主催で、国際交流基金の海外巡回展「ポスターに見る日本展」もしていましたので、少しのぞきました。現在日本のグラフィックデザイナーのポスター作品を通じて、現在の日本の姿を映し出す展覧会だそうです。エステのTBCのキムタクのポスターは、日本で見たことがありました。
 その会場の手前に、何気なく、日本の風景を撮った写真が何枚も展示してあり、そこには、お正月、成人式、畳とコタツ、結婚式、お葬式、パチンコ屋さん、などが、写っていて、日本をいろいろな場面を切り取ってありました。懐かしい日本の風景でした。
2005年9月21日(Wen)
 さくら Hoa anh dao 幼稚園です。インターナショナル幼稚園も2つ、ベトナム人の通う幼稚園、といろいろあります。どこに入れるかは親の判断です。
 こちらは日本人の「さくら先生」が始められた幼稚園です。 現在、20名ぐらい日本人のお子さんが通っています。園服に、桜の花と「さくら Hoa anh dao」刺繍がしてあります。(ベトナムでは刺繍が盛んです。)それぞれ、お着替えを持って登園です。かわいいですね。登園に御一緒させていただきました。
「さくら」のことをベトナム語で「Hoa anh dao」と言うそうです。
 Doan Chi Trungs氏のベトナム漆絵のギャラリーに行きました。(日本人の方で、漆絵を習っていらっしゃる方からご案内を頂きました。)
 以前、見たベトナム漆絵は、華やかな色使い(人工漆)でしたが、Doan Chi Trungs(ゾアン チー チュン)氏の漆絵は、天然漆だそうです。どれも、深い味わいのある色調でした。工房も、伝統的な木造家屋に囲まれた中庭は、吹き抜ける風が心地よく落ち着いた雰囲気でした。
 べトナム語で漆芸のことを「Son Mai」といい 漆(Son)、砥ぐ(Mai)という意味があります。日本の漆とは違い、ラッコールの純度が違い、乾きが悪いのが、かえって、ベトナムの気候と会って作業がしやすいそうです。ベトナム天然漆は研きだしによって複雑な色合いと質感を表現しているようです。白い色のときは、卵殻を使うのも特徴の1つです。日本に帰国中でお会いできませんでしたが、安藤彩英子さんが、ベトナム漆に魅せられて、10年間勉強され、こちらで教えていらっしゃるそうです。
2005年9月20日(Tue)
 商店の店先の床に、箱型の「バートン」がよく置かれています。この中には、頭巾をかぶり微笑んで太鼓腹で日本の大黒様に似た「土地」と言われる神様と白髪の「財神」が祭られています。どこのお店のバートンも、大切にされているのが良く分かります。いつも供物が供えてあってベトナム人にとっては、大切な神様です。
 ベトナムのことわざに「土地の口は、財神を導く」と言うのがあるそうです。
2005年9月19日(Mon)
 このアパートは、200所帯ぐらい住んでいます。韓国人が6割、日本人が3割、あとは、ベトナム人やロシア人です。
 このアパート内にフィットネスセンターがあり、全て無料で使えます。初めて今日使いました。そのほか、太極拳、ヨガ、エアロビクスの教室も日替わりであり、無料で利用できます。今日は、太極拳の教室に参加しました。「mot hai ba bon nam sau bay tam・・・」べトナム語の「12345678」とカウントしながら練習します。
先生は、流石に滑らかできれいです。
2005年9月18日(San)
 今日は、旧暦(ルナカレンダー)の8月15日で 中秋節 Tet trung thu です。日本でいうお月見で、ベトナムでは月餅(Banh trung thu げっぺい)を食べます。ベトナムでは、子供のお祭りになっていて、おもちゃの露天などが並ぶそうです。月餅の中に必ず、卵黄の塩漬けを入れます。私は入れないほうが美味しいと思うのですが、これを入れない月餅は考えられないそうです。月餅に入れるものは、店により違い、いろいろ味が楽しめます。
 ベトナムでは、子供のいる家庭は、ここぞとばかり見栄をを張って、月餅を沢山プレゼントし合い、ご近所に配るそうです。このとき、プレゼントの月餅が少ないと「ケチな人」となるからですが、1個頂いたら十分ボリュームがあります。そう言えば、あちこちのお店で、こんなに誰が食べるのかと思うほうほど、月餅が赤い箱に入って積み上げられていました。
 今日は、お天気が悪く、夕方から雨が降りはじめ、だんだん激しくなり、お月見は出来ませんでした。(残念です)
 ベトナムのお祭りは、旧暦でします。ですから、毎年、少し日が、変わります。旧暦の方が、季節に合っているようです。
因みに、旧暦はルナカレンダー、太陽暦は、ソーラーカレンダーです。

Den ong saoといい
このような物を持ってお祝いします。
2005年9月17日(Sat)
 このアパート内で、引越ししました。
 3階に住んでいたのですが、下の階が、ホテルの厨房と、従業員さんの賄いがあるらしく、朝も4時ごろから、深夜1時ごろまで、歩く音やドアの開閉音、何か叩くような音がしました。そんなに大きな音ではなく、初めはあまり気にならなかったのですが、一旦気になると、なぜか音に敏感になってしまい、引っ越すことにしました。広いテラスは、捨てがたかったのですが、静かなほうがやはり大切だということで・・・・ 間取りも何もかわりませんが、少し眺めが変わりました。
2005年9月16日(Fri)
 ハノイ日本婦人会が主催するハノイの歴史という講座が1ヶ月に1度あり、参加しました。「ベトナム上岸聖母(じょうがんせいぼ)信仰」という内容で、ベトナム人が信仰している緑色の衣をまとった山林の女神のお話でした。伝説や疏文集などの記述などからベトナム仏教の中の上岸聖母について、時代背景なども交え、難しい話を楽しく解説して下さいました。昔は、求嗣(子供を願う)たり、延命をお願いしたそうですが、現在では、商売繁盛が願われるそうです。先生は、神戸出身とか。関西の「のり」でした。
2005年9月15日(Thu)
 Com Vong(コムボン)
 まだ、稲が青いうちに刈り取り、蒸して搗いて、籾殻をとります。そしてLa com xoi(おこわの葉)と呼ばれる葉の汁をその上にふり巻いて、鮮やかな緑色に染めるそうです。ハノイの秋、しかも9月だけの食べ物です。バナナにつけて食べます。
Oさんが、バナナとコムボンと一緒に持ってきてくれて、説明してくれました。コムは、かみしめていると香ばしい香りが広がります。
 チンコンソン(ベトナムの人なら、誰でも知っている人です)作詞作曲で「ハノイの秋」という曲がり、ハノイの人が、コムを待つ特別な気持ちが歌われています。
 “ハノイの秋、ハノイの秋
  ミルク花の季節、まちまちに花の香りがただよう
  緑のコムの季節、君の手にもコムの香り
  通りかかった僕の足を引きつける瑞々しいコムの香り”
2005年9月13日(Wed)
 ハノイ日本婦人会と言うのがあり、今日はその会合がありました。(昨日とは別の会です)読んで字のごとく、ハノイ在住の日本人の奥様方の会です。280名ぐらいいらっしゃいます。今回は、7月8月に、ハノイに新しく来た20名ほどと、役員の方5名ほどの集まりでした。
 簡単な自己紹介のあと、ハノイの生活情報などお聞きしました。色々な会社の方がハノイに来られています。皆さん、海外赴任の経験が長い方もいらっしゃっていい刺激になりました。
2005年9月12日(Tue)
 会社のハノイ在住の婦人会がありました。
 新しくこちらに来た 私を含めて6人のwelcome と 日本に帰られる3人の方の歓送迎会でした。2ヶ月に1回あるそうです。
 不安一杯で始まったハノイ生活でしたが、一番最初に力になって下さったのが、この会の役員のIさんでした。「自分たちが、ハノイに来たときも、先輩が同じように親切にしてくれたので、」とおっしゃって、いろいろ教えてくださいました。
 写真は、Banh という米粉を使った、中に美味しい「あんこ」の入ったカラフルなお菓子です。Oさんに頂きました。
2005年9月10日(Sat)
 今日は、主人の何十回目かの誕生日です。
 夜、8時 我が家のインターフォンが鳴りドアを開けると、そこには、併設する5つ星ホテルのホテルマンが「Happy Brithday!」と、言いながらバースデーケーキを持って立っていました。このアパートの入居者へのお誕生日のサービスだそうです。こういう演出が、心にくいですね。
とても美味しいケーキで感激しました。街中で売っているケーキは、コテコテのデコレーションで非常にまずいのです。久しぶりに、高級感を味わいました。 最近、ホテルは美味しいところも増えてきたらしいのですが・・・・・
 「お父さん、お誕生日おめでとう。お相伴にあずかります。」  
ベトナムの楽器屋さん (ホアンキエム旧市街に楽器屋さん通りがあります。)
 いろいろなベトナムの楽器が置いてあります。
 人形水上劇のとき、舞台の袖で演奏していた 一弦琴もありました。日本の笙(しょう)に似たKhen Be 、太鼓、どら、それから 竹製の打楽器でT'rung(トゥルン)もありました。まろやかな木琴のような音で、親指と中指で挟んだ撥の両側を楽器に当て、手首を細かく振るように動かしてトレモロのように音を出します。
 私が買ったのは、木製の蛙 Mo coc で、蛙の背中が細かい山になっていて、そこを木製の撥でなでると、まるで蛙が鳴いているように聞こえます。これも楽器と言っていいのでようか。 
「36通り」(ホアンキエムの旧市街)
 後黎朝の頃、この区は36の坊と80の舗があったとされています。
 現在この旧市街一帯が「36通り」と名付けられているのは、36の坊から取ったものとされています。この商工業地域では、特定の村の出身者が特定の坊や舗を営む権利を持っており、坊や舗はその村全体が従事する職業別になっていました。
現在も残っている坊は、郊外だけでヴァオ・チ(漁網)、ヴァイ(反物)、サイ(薪)などがあります。また、舗(通り)はこの区に残っており、ハン・ガイは麻製品、ハン・ボンは綿製品、ハン・チは糸類、ハン・ザは革製品、ハン・バックは銀製品、ハン・ダンは弦楽器類、ハン・チョンは打楽器類、ハン・ハイは靴類、ハン・マは神仏や結婚式の紙飾りなどと言う意味があります。現在もその通りの名と同じハン(品)を売っているところもあれば、全く違った物を売っている通りもあります。ただし、1つの通りに同じ物が売られているのはそういった特色の名残と言えます。 (ハノイからの招待状:東郷仁著より)
     2005年9月7日(Wed)
 暑いながらも、一時期よりは少し涼しくなりました。市場に行くと、が出ていました。「秋が来たのかな。」と郷愁に誘われます。 その柿は、トマトのように赤く、美味しそうです。(写真上) Kさんが、「日本の柿をイメージして買うとショックがあるよ。食感は、やわらかく、美味しくないよ」と言われましたが、やはり、食べてみないことには分からないと思い、買ってみました。やはり忠告を聞いて、買わなければ良かったと後悔するような味でした。渋い! 日本の渋柿とも違う味です。そのままではなく、何か食べ方があったのでしょうか。 手前は、直径3cmほどの柿です。日本のものに良く似ています。
 ☆だめもとで、渋い柿のへたの部分を焼酎に漬けてみました。日本の合わし柿のように、渋みが取れて美味しくなっていました。さらにやわらかくなっていましたが・・・


どうして今回、こんな風になったのか、会社の人に聞きました。「case by caseです」との返事でした。 
 「その一言で何でもカバーできるやん」 と心の中で一人、突っ込みを入れていました。
2005年9月6日(Tus)
日本からの小包
 郵便局の国際スピード宅配便(EMS)で、日本からハノイに小包を送ってもらいました。通常、郵便局から通知の手紙が来て、それを持って、中央郵便局まで荷物を引き取りに行きなす。日本からベトナムに早く着いていても、1つづつ、開封して、中味の確認をするので、郵便局から連絡があるまで時間がかかる。と聞いていました。
 先日、娘から主人宛に送ってもらった、電子手帳と本は、一切、開封されず、日本にいる時のようにスムーズ自宅まで届きました。
 それに先立って、母が、私宛に送ってくれた、乾物と風邪薬等は、なかなか届かず気をもんでいました。そうしたら、今朝、郵便局から、荷物を引き取りに来るようにと、電話があったのです。それが、そうだと分かるまで、不安で一杯でした。  と言うのも、電話で私の名前を言い、ベトナム語で言うのですが、全く理解できません。それより、私の頭の中は、「この人は誰? どうして私の名前と電話番号を知っている?」と不安で一杯になって、言葉も出ません。そうするうちに「Can you speak English?」と聞かれ、「a little」と答えると、今度は、なまった英語で「ブックoffice room113」と言うのです。とりあえず、名前と電話番号を聞いて、電話をきりましたが、名前に心当たりがありません。
 1時間ほどして、ベトナム語の先生が、来られたので、さっき控えた番号に電話をかけてもらって、やっと郵便局からの電話で、荷物の引き取りだと分かりました。それも、今日引き取りにきたらアポは要らないけれど、後日にすると、アポを取り直すよういうので、今日、引き取りに行くことにしました。
 たまたま、YさんとOさんと3人で、エステに行く予定になっていたので、Yさん宅のドライバーさんに乗せて行ってもらって、中央郵便局へ行き、無事、小包を引き取ることが出来ました。郵便局は、自宅のビルの隣のビルにあるのに、そこではだめで、車で20分ぐらいかかる中央郵便局まで行かなければなりませんん。11:30〜13:30は休憩なのでその時間をはずして行きました。しかし、その時も、かなり、待たされ、荷物を開封し、中味を確認し、別の用紙に転記した後、税金を払うよう言われました。パスポートのコピーと、出入国用紙のコピーを念のため持って行っていました。それの提出も求められました。郵便局での、その一連のやりとりも、連れて行ってもらったドライバーさんに助けてもらいました。小包一つ受け取るのに、何と言う労力でしょう。言葉が分からないのと、システムの違うことで、また、日本とは違うことを再認識します。
 資生堂Q1でお顔のエステに行きました。してもらっている間、リラクゼーションの鳥の声が聞こえていました。水のポタポタ落ちる音も聞こえていました。終わってから気が付いたのですが、その水の音は、リラクゼーションではなく、エアコンの水が漏れて、室内の床に落ちている音でした。
 顔にパックをしてもらっているとき、鼻から息を吸ったら、鼻の穴にパックが入り込んだようで、何か細い棒のようなもので、左の鼻の中から、かき出しているようでした。私の目の上には、コットンが乗っていてみえませんでしたが・・・・。
 終わった後、お肌が引き締まった感じがして快適でした。でも、主人に「無駄なことして」と一笑されました。
2005年9月5日(Mon)
 旅行の疲れをものともせず、Sさんの紹介で、Kさんとチョホムマーケットで、服地を買い、その後ワンピースなどに仕立ててもらうというのを、体験しました。
 私は、太いので普通のベトナムの婦人サイズでは入いりません。それに、とても安く服地も売っているし、仕立てもやすいのです。1000円ほどで素敵なワンピースを縫ってくれます。




  ハロン湾とカットバ島 2泊3日の旅行はこれで終わります。
 帰り道で、休憩したところ(Hai Duong ハイズオン)で、ベトナム人の方が、大量に買っていたお土産があったので、私達も買いました。
 Banh Dau Xanh(バインダウサイン)という、緑豆のお菓子で、口の中でふんわりと溶ける らくがんのような食感の甘いおかしでした。
 なかなか楽しい旅でした。
2005年9月4日(Sun)
 今日は、船で6時間、その後、バスで4時間かけて、ハノイに帰りまます。
造形的な岩をゆっくり進む船の中から堪能しながら、また、バイチャイの町に戻ってきました。ここで昼食をとり、一路ハノイへ、向かいます。
 旅行の間、何かと気を使ってくださった、ベトナム人の若いご夫婦のQccangさんとAnさん、他にもいろいろな方に親切にしていただきました。言葉の分からないところを、お互い第二外国語の英語を媒体として・・・
 お昼は、暑さと疲れで少しバテ気味だったので、まずお昼寝をして、体力を充電し、1,5Kmのところにある。カットバビーチに夕方、泳ぎに(つかりに)行きました。
 ここは、バスやタクシーがなく、個人での移動手段は、モーターバイクだけです。場所も不確かだし、疲れていたので、モーターバイク初体験です。交通量は少なく、スピードも時速20kmほどで走りますので、ハノイのように危険ではありませんでした。でも、乗る前に、まずは値段交渉からです。
 カットバ島の地図です。
 今日午前中、島の中の国立公園内を散策のつもりが、大変な強行軍になりました。亜熱帯の常緑樹の森林で、お天気が良いのに、日の当たらないところは何箇所も足元が、ぬかるんでいて、山肌は、石灰岩質の岩がむき出しになっています。もし、足でも滑らしたら大変な怪我をします。 慎重に急な坂道を1時間かけて登りました。頂上についたときは、疲れはてた顔をしています。山を降りる時のほうが、滑って落ちないように、神経を使いながら、また、1時間かけて下山しました。
2005年9月3日(Sat)
 朝、海岸沿いを散歩していて見つけた光景。
 サトウキビの皮を剥いています。50cmぐらいに切って、サトウキビジュース(ヌックミア)にします。
 ザボンを天秤棒で担いで売っていたおばさん。
 ちょっと水分が足りないけれど、まずまずおいしい
 ホテルの前の広場が、イベント会場で、建国記念を祝うセレモニーが行われていました。(PM8時〜10時)
 いよいよホテルに到着。食事は、毎食、10件ほど離れた2つ星ホテルへいきます。そこは、12階建てでエレベーターもあります。私たちの宿泊するホテルは、さしずめ「2つ星ホテル以下、以下」といえるかもしれません。
 バスタブはなし。シャワーのみ。そのシャワーのお湯の蛇口は日本製で「高温のため、やけど注意。さわるな」というシールが貼っているのに、水しか出ないシャワー。
 エレベーターなし。ドアは、真ん中を押すと鍵がかかる簡単なドア。
 窓がないのに、壁にカーテンがあり、しかも右と左の長さが違う。
 室内テーブルのガラスが割れていて、その上に、急須だけが置いてあり、湯飲みがない。
 掛け布団は、布団がなく花柄のカバーだけ。
 室内に有る電話は、格好だけで、断線している。
 でも、エアコン付きだし、バスタオルも付いてました。支払った値段が値段だから、これでも上等です。
 クルーズの時間もいろいろあります、たいてい忙しい日本人ツアーは、3時間クルーズを選びますが、私たちは、足を伸ばして、最近注目されてきたカットバ島に向かっています。船はゆっくりした速さで進みます。ゆったりと、日が暮れていきます。
再び、乗船し、また、奇岩の中を一路カットバ島へ向かいます。ゆったりとした船旅です。
 途中に、自宅兼養殖場のようないかだが、いくつかあり、そこで、魚を買う人もいました。
 鍾乳洞見学 ティエンクン洞(Thien Cung=天宮)とダウゴー洞(Dau Go)に立ち寄りました。
 オレンジ、ブルーやグリーンでライトアップされていて、よく言えば、幻想的と言えなくも無いが、はっきり言わせてもらえれば、センスがない。ちょっと言い過ぎ?
 左の写真は、龍の頭に仏さんが乗っているように見えるそうですが、見る人により何とでも見えます。
 右の写真は、鍾乳洞の天井に穴が空いていて、そこから、光が差し込み、いかにも天国に行くのように見えます。
 ハロン湾は、約1500km2 の海域に、約2000の奇岩がある世界遺産です。彫刻作品のように奇岩が立ち並んでいます。中国の桂林から広がる石灰岩台地が、最終氷河期に沈降し、長い歳月をかけて海水や風雨で浸食されて出来たものだそうです。「海の桂林」と言われています。
 ハロンの由来は、中国の侵略に悩まされていたその昔、龍の親子が舞い降りて外敵を打ち破り、その際に吐き出した宝の玉が、無数の岩に変化したという伝説に基づいて、ハ=降りる、ロン=龍 となったそうです。
大型バスで走ること4時間。ハロン湾のバイチャイ(Bai Cはy)に船着場に到着。昼食を済ませ、乗船します。日本人向けのツアーなどは、ジャンク船でクルージングをしながら海鮮料理を頂くリッチなツアーもあります。
 少し早い目に集合場所に着いたので、喫茶店でベトナムコーヒーを注文しました。練乳が、底のほうに入っていて、かき混ぜて飲みます。その間、既に60周年のいろいなイベントが始まっていて、テレビで放送されていました。いよいよ、ピックの車が来て、ハノイ郊外のバスターミナルへ向かい、そこでまた、行き先別に振り分けられ、人数調整をして、いよいよ出発まで1時間かかりました。
タクシーで大回りをしているとき、地方から60周年の建国を祝うイベントに参加される人のバスが100台ほど、駐車していました
ハロン湾とカットバ島(Haong Bay−Catba Island) 2泊3日 の旅
2005年9月2日(Fri)
 今日は、ベトナムにとって60回目の建国記念日です。ホーチミン廟を中心にハノイ市内の各地でイベントがあり、交通規制があり一般車両の通行止めがあります。そのため、集合場所にいつもは、タクシーで20分ぐらいで行けるところが、ぐるっとホータイを大回りをしないと集合場所に行けません。 実は前日、Kさんから「9月2日は、交通規制があるようだからちゃんと調べたほうが良いよ。」とお電話いただきました。あの電話がなかったら、朝7:30の集合時間を気にしながら、いつもと違うルートを走るタクシーに不安を感じながら、ほんとうに慌てている所です。Kさんありがとうございます。そして、もう1つ「携帯電話の使用期限と残高をビジネスセンターで確認できるから、しておいたほうが良いよ。途中で使えなくなると困るからね。」とアドバイスもらいました。 行って調べると、携帯電話は、2ヶ月ごとの更新が必要とのこと、プリペード式なので残高も調べてもらいました。このアドバイスも助かりました。

一見、七夕飾りのようにみえますが、これは、ビニールのおもちゃで、キティーちゃんのにせものや、鹿、ウルトラマンに似た人形など、売っています
2005年9月1日
 ハノイの日本人学校も今日から2学期が始まりました。
今年は、この新学期に合わせて、沢山、日本の企業の方が来られているようです。

 ベトナムでのノープロブレム No Problem
 ◎ヘアーブラシを買おうとしたけれど、それが、値段がついていて売り物なのに、かなり使用された形跡があり、ブラシの部分がへこんだり、ゆがんだりしていました。私が「新しいのは、ありませんか」と聞くと、「ノープロブレム」と返事が返ってきて、おばさんは、へこんだ部分を手で引っ張り出しました。とても、買う気にはなりませんでした。
 ◎お店を見ながら、歩道を歩いている時、不注意で片足が車道の方へズルー・・・・そこに生活排水が流れて来ていて、その中に足を突っ込んでしまいました。「ギャー」と言った私の目の前に、モータバイクのお兄さんが「ノープロブレム」 と言いながら、微笑みました。
「問題あり、足、洗いたい・・・・・・・トホホ」