サーバーの容量が一時、一杯になりUPできなくなってご迷惑をおかけしました。増やしましたので、また、いろいろ載せていきたいと思います。時々、見てください。
2005年11月30日(Wed)
 (トドの昼ね?)お見せできるようなボディではないのですが・・・・・、これがエステの中のラバーストンです。ホットストーンを背中に置きます。2時間コースで、ボディもフェイスもリフレッシュ。気持ちよくて、寝てしまいそうになりました。エステの効果は・・・・?綺麗になった・・・? 時には無駄も必要です。(Kさん、Yさん、Oさん、私の誰でしょう?)

@玉山祠(ぎょくさんじ)Den Ngoc  Son
2005年11月29日(Tue)
 Friend of Vietnam Heritageの日本語グループヘリテイジで、ホアンキエム湖を一周しました。2人の方が案内役で、いろいろ勉強されて、@〜Pのポイントを説明してくださいました。
その一部を紹介します。
 フランスの植民地になって、このあたりは、統治政府の機関が置かれ一変したようです。
 玉山祠の入り口の門に、赤い字で幸運を意味する「福」と、豊かさを意味する「禄」とが、著名な文学者グエン・ヴァン・スーによって大書されており、その横には彼の有名な語句「写青天(青空に思想を描くの意)の書かれた筆塔があります。

筆塔。塔の先が筆になっている。「写青天」と書かれていて、「人が得た知識は、世の中に公開しなければならない」の意味

「硯台」と書かれた門の上には、桃を半分にした硯が載っている。旧暦5月5日の朝日が射すと、筆の先端がの影が硯の上に落ちるようになっている
(確かめてみたいですね)

「得月楼」

テーフック「旭橋」

「鎮波亭」という東屋。波(外からの悪いもの=フランス文化)を鎮(食い止める)。

関聖亭君(軍の神様)、呂洞濱(医学の神様)、文昌亭君(文学の神様)が祀られている。

一番奥に、チャン・フン・ダオ(元の進撃を撃退した英雄)

壁にある石碑。左下に砲弾のあとがある。フランス軍が占領し、通信所として使っていた。

「玉山亭君祠記」と題された石碑は、1843年に刻まれたもので、この寺で一番古い

還剣伝説の亀?
400歳〜500歳
レー・ロイ軍が、亀の持ってきた剣で、苦戦していた戦いに勝利した
Aレストラン「トゥイー・タ」
「水上亭」カフェ&レストラン
1Fが湖に突き出したテラス、2Fは民族楽器を楽しめるレストラン。
 1940年ベトナム人によって、フランス人のための社交場として建てられた。
 ネオトラディショナル様式:ハノイで初めて、西洋と東洋の建築様式を組み合わせたインドシナ様式。
緩やかにカーブしたひさしが特徴。
 そんな建物とは知らず、時間つぶしにお茶を飲んだことがあります。
B工事中断建築
 17世紀〜18世紀には、慶瑞宮というチン(鄭)氏の離宮があった。レー(黎)朝後期(1533-1789)。
 インドシナ裁判所の所長鑑定があった。
 1945年の独立後、ホーチミン主席も、一時官邸ににした。
 1993年、人民委員会が国営企業に土地を売り、その後、香港と合弁で11階建てのホテルの建設が始まったが、市民から景観が損なわれると反対運動が起こり、中止になる。現在、また、別会社で、建設中。果たして、何が建つか・・・・・
CNhan Dan 新聞社

フランスの統治時代に副総督公邸として建てられたもので、現在は、ニャンザン新聞(ベトナム共産党機関紙)本社として使われている
ガジュマルの大木

ガジュマル大木があり、神の霊が宿る神聖なもとのして、大切にされています。
DANZバンク

 ニャンザン新聞社から現在ANZバンクのある場所もふくめた広い敷地に、1834年につくられたホーディーン(湖亭)という学校があった。
ELe記念堂  手前のポールの上のほうにある小さい像が、レータイト像で、後ろに見える建物は、記念堂とは無関係のディン(村の集会所)。
レー(黎)朝初代皇帝レータイトーを祀った記念堂。
ここに、ホアンキエム湖を望む「望剣台」という楼台があった。
 フランス統治時代に、ハノイ市民の抗仏運動をの高まりを恐れ、1896年に建設された。 
FHa Noi Moi 新聞社
 ネオクラッシック様式、サンモード屋根を持つ。屋根のそれぞれの面が、上と下で傾斜が異なり下の方がの角度が急になっている。フランスでは屋根裏部屋として利用されるが、ベトナムでは暑くて使いにくい。
サンモード屋根
Gホアンキエム区警察
 フランス植民地時代の19世紀に建てられ、当時はフランスの警察署として使われ、現在も警察署です。
 ネオクラッシック様式でフランスが、植民地政府の力をアピールするためだったとか。
Hチャンティエンプラザ
 今は2002年に完成したデパート。
 後レー(黎)長後期、ここに五龍楼があり、迎賓館として使用。
 当時レー朝は名ばかりで、実権はチン(鄭)氏にあった。それを恨みに思っていたレー朝のチュウトン亭は、チン氏が、グエン朝に敗れたのを機に、チン氏にまつわるものを全て焼き払った。地層から火災のあとが発見された。
Iアートギャラリー
 建築家トゥルーヴにより、モダン様式で建築。
 当初、賃貸オフィスビルとして、インドシナ不動産銀行、ドイツ総領事館、日本の保険会社が入っていた。
 窓には緑のブラントがあり、内側の建物と窓の間に空間があり、ベトナムの気候にあう。 
J和風塔   1848年、グエン朝時代に建てられたバオアン寺の正面の門。バオアン寺は、中国風で八角形の敷地は蓮の花をかたどっていた。仏舎利塔、200体の仏像が祀られていた。フランス軍によって壊され、現在この門だけが残る。
K中央郵便局
 フランス植民地以前は、バオアン寺があったが、植民地時代に郵便局とインドシナ総督邸に建て替えられた。
国際郵便局は、モダンアート様式で、ドーム式の天井になっている。
Lリータイトー公園
 2004年、インディラ・ガンジー公園から、リータイトー公園と名称が変更。
 2004年、1954年フランスからの開放50周年と2010年にハノイ遷都1000年記念を祝って、リータイトー像が作られ、公園の名前も変えられた。
M亀の塔
 
 ホアンキエム湖は、紅河に繋がっていましたが、真ん中に道をつけ、右望湖と左望湖に別れ、現在、左望湖がのこる。
 19世紀、華僑が、風水により、納骨堂を建てようとしたが、住民の反対にあい、遺跡の修復と言うことで、建物だけ建てる許可が出た。
 現在、護岸がコンクリートで固められて、亀は産卵できないらしい。(亀にとっては、迷惑かも)
Nハノイ人民委員会
 フランス式の建物は、1886年植民地政庁舎として造られた。
 政庁舎が、建てられる前は、象や象使いを祀ったフォーザック寺があった。この寺は、レー朝時代、チャンパ王国との戦いで、重要な役割を果たした象を仏像と共に祀るため建設された。
O白い兵士像   戦士達の像には、フランス軍に対する勝利を表しています。手に持っているのは、「ボンバーカム」という対戦車爆雷で、命と引き換えに戦車を爆破するもの。台座には「敢えて死ぬ。祖国のために」と書かれています。
Pバー・キュウ殿
 中はギャラリーになっている古い建物。
 1557年、当時管理をしていた人の名前をつけた。
 ギャラリーの奥に鍵のかかった扉があり、それをあけてもらった。
 道教の最高神で黄色い衣の玉皇上帝、柳杏公主(リュウハイコンチュア)聖母と、緑の衣を着た上岸聖母、白い衣の水宮聖母、黄色い衣の地仙聖母が祀られている。
 今回のヘリテイジの記事が長くなってしまいましたが、まだまだ、沢山、説明していただきました。
2005年11月28日(Mon)
 一時の寒さはどこへやら・・・・今日も、随分暑く、日中は半袖で過ごせます。 NHKの衛星放送では、日本の雪の便りを言っていました。「随分遠くへきたなぁ」と感慨にふけってしまいました。
 でも、この暑い気候で良かったと思うことは、毎日、今でもスイカが食べられることです。私も主人もスイカが大好き!!もう11月も終わりなのに、市場では、夏と変わりなく、ラグビー型のおいしいスイカが売られています。(とっても嬉しい)
 街で見かけた、金魚売り。自転車に金魚が2匹づつ入ったビニール袋を吊り下げて、売っていました。写真を撮らせてもらったときは、金魚売のおじさんは、歩道で休憩中でした。
2005年11月27日(Sun)
 Hanoi International Women's Club 主催のクリスマスバザーが、インター ナショナル スクール(UNISキャンパス)でありました。
 このバザーは、在ハノイ各国大使館、国連関連機関、各国企業、各国民間ボランティア団体が参加して、物品や飲食物を販売し、その収益金をベトナムの身体障害者用施設、病院、母子家庭施設などに寄付されるそうです。

フランスのNGO団体支援の手工芸

身体障害者のハイドメイドによるキルト店

ベルギー人のワッフルとポテトを売る店(ポテトを持つ看板おじさん)
 いろいろ可愛いものがあり、ついつい買ってしまいました。結果として 沢山、寄付をしてしまいました。

ビーズで作っているクリスマスツリー(20cm)、スノーマン、サンタ

リボンフラワー(花瓶にしているのは、水牛の角で作ったレンゲをいれてくれた袋)

水牛の角で作ったレンゲ


イパニマのバック
キュートでデコラティブ
舞台でのパフォーマンス
韓国の子供達

サルサ
2005年11月26日(Sat)
 住まいとくっついてる5星ホテルの大きな中庭で、夜に「ABU PRIZES 2005」というイベントが行われていました。
 ABUとは、アジア太平洋放送連合の放送機関が制作した優秀な番組に贈られるもので、今年のABU賞に、NHKの子供向け番組「クインテット」などが選ばれて表彰されていました。オーストラリアや韓国も他の部門で表彰され、あと、ベトナムのエンターテイメントも華やかに行われていました。
 中庭でイベントがあるときは、窓を閉めていても、スピカーのボリュームが大きいので、かなりうるさいです。
2005年11月27日(Fri)
 ベトナムの道路を走っている主流は、バイクです。本当に沢山のバイクが走っています。車もかなり増えてきていますが、自転車もそれに混じって一緒に走っています。とても危険です。交通マナーも良いとはいえません。
 バイクは、前しか見ていません。
  今日、街で見かけた道路標識です。やっぱり、自転車は、端を走るように呼びかけているんだ。と納得。だれも守っていないけど・・・・
2005年11月24日(Thu)
 SEA GAME (東南アジアスポーツ大会)で、夜に、ベトナム対ミャンマーのサッカーの試合があり、1−0でベトナムが勝ちました。試合中ハノイのアチコチから、歓声上がっていました。
 たまたま、夜10:00過ぎ 主人からカラオケへの誘いの電話がありました。(主人は、大のカラオケ嫌い、私にHELPの電話です。)私は楽しくベトナム人の方々と歌って日付も変わり、自宅に戻るとき、街の中に今までに見たことも無い、暴走族風の集団が、バイクに乗りベトナムの国旗を持って、「ベトナム、ベトナム」と叫びながら集まっていました。ベトナムでもサッカー人気は高いらしく、サッカーの熱狂的なファンが沢山いて、サッカーの試合に勝ったお祝いに、バイクで走り回っていたようです。
 私達は一緒に歌っていたベトナム人のバイクの後ろに乗せてもらい、間をすり抜けて帰りました。(ちょっと怖かった)
2005年11月22日(Wen)
 本日の朝食 Banh day gio バインザイゾー ハムはさみもち でした。
 白い餅に、切ったハムをはさんであります。5000VND(35円)で屋台で朝早くから売っています。(手抜き朝食かな?)
 冷たい餅ですが、柔らかく、餅とハムが口の中で、微妙な味をかもし出し、癖になりそうな感じです。

カトリーヌ ドヌーブと店主のお父さんのツーショットの写真が、店に飾ってありました。
 本日の昼食 いつものkさんとYさんと3人で、カトリーヌ ドヌーブが、カフェとしてよく利用していたという Kinh Do Cafe “252”キンドー カフェ へ行きました。
 ドヌーブのようにコーヒーを注文しようと思ったけど、この店で美味しいと言われている「ヨーグルト」「肉マン」を注文しました。
 カトリーヌ ドヌーブになり損ねたかな?

ヨーグルト Sua chua スアチュアも手つくりで、蜂蜜をお好みでいれます。これも、おいしい



肉まん Banh bao バインバオ
フォークとナイフが付いてきたけど、熱いのを、そのまま、かぶってしまいました。(うずらの卵が入っていなくて、おいしかった)
 本日の昼食 第二段
路上デビュー

 肉まんだけではお腹が一杯にならず、路上で売っているミエン(春雨の麺)に挑戦です。カンテキで作ってくれ、お風呂の椅子に座って、歩道で食べます。お腹のほうは、大丈夫でした。
“to eat on the street”
 本日のおやつ
 
Kさんの運転手さんが、「おいしいケーキがあるよ」と連れて行ってくれたお店です。 
 Banh Com バインコムという もち米のお菓子で、ライスケーキでした。

バインコムの有名なお店

結婚式にでる、おめでたいお菓子だそうです。
 ハンザ市場の近くのビニールシート屋さん街。
 ビニールと言っても、椅子の座麺の張替えに使うような材質の丈夫なが欲しくて、Ha trung 通りまでつれて来てもらいました。色を選んで形を指定すると2日ぐらいで、350円で作ってくれます。
日本だったら、布代にもならない値段です。
2005年11月22日(Tue)
 会社のハノイ在住婦人会の昼食会が、Ly Club リークラブ でありました。
 いつも、色々な生活情報を聞くことができて、助かります。
皆さん、海外での暮らしに慣れていらっしゃるし、とても好意的です。

フットマッサージ、
(スペシャルコース)
2005年11月21日(Mon)
 私も主人も日本人の中でも太いほうです。まして、ベトナム人は細くて小柄。私達の入る冬物を、日本から船便で送ってもらいました。タイミングが悪かったのか、2ヶ月もかかりました。郵便局から船便が届いたという手紙が来て、それを持って中央郵便局へ引き取りに行きましたが、パスポートのコピーも入国のコピーも渡しているのに、「主人本人ではないと荷物を渡せない」と係官に言われ困りました。しかし一緒にいたYさんの運転手のトアンさんに、今回も助けていただき、無事に荷物を引き取ることができました。ありがとうございました。

フットマッサージの店
その後、Yさんと「フットマッサージ」をして、リフレッシュし、(先にアオザイツアーで、割引券をゲットして)PARIS DELI(欧米人が利用する こじゃれたカフェ)でパスタを食べ、今日は優雅な一日でした。
PARIS DELI

フランスから開放されて60年の赤い旗が壁に掲げられていました。
2005年11月20日(Sun)
 ホアーロ刑務所 (Nha Tu Hoa Lo)を見学しました。
 ハノイ市内のど真ん中にあり、19世紀、フランスによって造られた監獄です。
フランス軍が敗退した後も、ベトナム戦争のときも捕虜収容所として使われたそうです。当時の様子を再現した、集団房や、独房、拷問道具、ギロチン台、目をそむけたくなる写真などがありました。
 今は、半分だけ当時のまま保存されて、半分は取り壊し、とても立派なハノイタワーというショッピングモールやオフィスビルの入った高層ビルが建っています。  

集団房の再現
片足が金具で繋がれています。

ここから、4人脱獄に成功したと書かれていました。

ギロチン台

  N95マスク
 鼻のところは、鼻の形に曲げて、ゴムを頭の後ろまで引っ張って使う
 息がしにくそうですが、これで病気が防げるなら・・
2005年11月19日(Sat)
 鳥インフルエンザについて、ハノイ日本婦人会からのインフォメーションで、在ベトナム日本国大使館ホームページの案内がありました。それによると、6段階のうち現在フェーズ3です。
 「フェーズ3:人間に症例あり。だたし人→人感染なし。」です。
 ハノイのスーパーマーケットから、卵と鶏肉が消えました。街は、特に騒ぐことも無く、いつも通りです。
 <鳥インフルエンザの個人対策として>
 @.通常のインフルエンザワクチンを予防接種しておく。
 A.ハイリスクの人(幼児・高齢者、慢性疾患を持っている人)は、
   肺炎球菌ワクチンの予防接種をしておく。
 B予防用具(N95マスクなど)を準備しておく。
でしたので、早速、N95マスクを購入しました。効果があるのでしょうか。
使わなければ、幸いですが・・・・
 マスクの購入については、「バックマイ病院の近くの薬局」としか、書かれておらず、Kさんの運転手のクアンさんにお世話になり、手に入れることができました。
本日の夕食
 私が和風の煮物などを作るより、近くの食堂(レストランではありません)で、ベトナム食を食べるほうが、はるかに安上がりなのです。香草も最初は抵抗があったけど、なれると美味しいですよ。

コムザン ズオンチャウ
(中華風チャーハン)
香草がたっぷりのっている

ティナック タンサオ
(豚肉のいためもの)
ちょっとピリカラ

ラウビーサオ
(かぼちゃの茎のいためたもの)にんにくたっぷり


 ドー神社 Den Do
2005年11月18日(Fri)
 ハノイ歴史研究会 第18回 史跡めぐり に参加しました。講師は楽しい解説をしてくださる大西先生、総勢20名。遠足気分で、ハノイから、マイクロバスに乗り、東北東に30分、バクニン省トゥーソン県ディンバン社にある「ドー神社 Den Do」 「ディンバン亭 Dinh Dinh Bang」を訪れました。
 「ドー」とは「都」の意味で、この神社は李朝(1010-1225)歴代8皇帝を祀る廟です。
 抗仏戦(1945-1954)の末期、フランス軍は、この霊廟を破壊し、龍の石像などをヘリコプターで持ち去ったそうです。古い設計図と村の年寄り記憶を元に、1989年に再建が始まり、2000年に主要部分が完工したそうです。 でも、湿気が多いため、既に、壁や屋根は黒ずみ、幸か不幸か、とても、新しいものには見えませんでした。

ベトナム語で説明してくださったおじいいさん。それを大西先生が、日本語に訳して私達に教えてくださいました。

龍の石像
口を開き、目を見開き、身体を大きくクネラシています。

「李朝八亭」の扁額
ここに李朝の八人の皇帝が祀られています。


「内工外口」型建築。
「工」字形の主要建築を中心にして、その周りを回廊や壁が「口」字形に取り囲む建築様式。

少数民族も一緒に祀るベトナム唯一の神社。



「古法肇基」の扁額
「古い村のはじめ」の意味。

「遷都の詔」
214文字でかかれ、李朝も214年間だったとか。


旧暦3月15日、皇帝即位記念日にあらわれた八皇帝の化身の八筋の雲。(合成写真でないことを強調していたけど・・・・?)

「八葉重光」
李朝の栄光が代々輝いているようにと言う意味の扁額

「後宮」に八皇帝の像と位牌を祀る。
像は、新しいもので、村人が想像で作ったもので、皆、同じ顔をしていた。

石碑の裏側 
歴代皇帝の名前・系図と功績のあった武官・文官の名前が刻まれている
フランス軍が、打った銃痕がある

皇帝の位牌とお香を入れて、祭りの日に、村を練り歩く神輿

皇帝のお母さんを祀る。
これも、初めは無く、再建の際に作られた。

「水亭」 半月形の池に建っている東屋。風水で吉気をとどめる装置。
コイン1000VNDの図柄になっている。

この前まで、まるで夏だったのに、昨日あたりから急に寒くなり、初冬のようです。(秋は、どこへいった〜〜?)


ディンバン亭
 Dinh Dinh Bang
 60本のリムの木(鉄木)製の柱の上に建っている高床式
 ディン(亭)は村落の集会所と鎮守社を兼ねた建築。
昔は、迎賓館としても使用。
 屋根などの優美さから、ベトナム北部の亭中屈指の名建築として名高く、ベトナム民謡にも歌われている。
 フランス軍が、破壊しようとして、戦車で引き倒そうとしたが、堅牢なため倒れなかった。
 間口が7間あり、ぎりぎりまで、下がりましたが、前景をカメラに収められませんでした。
 ハプニング:前もってお願いしていたのに、鍵を持った人がいなくて、その人を探して、40分ぐらい寒い中を待ちました。(ベトナム人のいいかげんなところ) 

「ゲイ」架空のライオンをかたどっている

亀の上に鶴が乗っている

ご神体
山の神、水の神、穀物の神、と農業にまつわる神が祀られている。
2005年11月17日(Thu)
 携帯会社から、ベトナム語の携帯メールが入りました。
携帯のメールアドレスは、携帯の番号そのものなのです。登録するなどの手続きもありません。
 最初、それを知らなくて、Kさんから初めてメールを貰ったとき、携帯の持ち主の私が、自分のメールアドレスを知らないのに、誰が私のアドレスを知っているのかと、凄く不思議に思いました。こわごわ開けてみると、英語?と思いきや、ローマ字でした。(日本語対応では、ないですから)
 今回のベトナム語メールを、レセプションに行って読んでもらうと、「ラッキー ドゥロー プログラム」「ノット インポータント」と言われました。重要でないのは、いいけれど、何か6桁の番号が書いてあって、有効期限みたいな日付があったのに、私は何もしなくていいらしのです。 「draw」って、くじを引き当てるという意味があるみたいなのですが、「何か、ええもん、当たってたんちゃうの??」 (と勝手な想像? 私って、かなりノウテンキ?)
2005年11月16日(Wed)
 Oさんが引っ越された、お家に、皆で押しかけました。ホータイ(大きな湖)に面していて、ロケイションは抜群です。お部屋も広くて綺麗で、備え付けの家具類も洗練されています。セキュリティーも何重にもなっています。敷地をぐるっとフェンスが取り囲み、入り口には門衛さんがいます。敷地内に何棟も建物があり、建物ごとにカメラ付きのインターフォンがあり、チェックがあります。その中で全てのことができるような感じです。小さなショップ、テニスコート、プール、レクレーション施設、ミニゴルフ場、といろいろあり、何より、ホテルの朝食が付いています。勿論、ハウスキーパーも来てお掃除をしてくれます。とにかく素敵なところでした。(人のこと、羨ましがってもしかたないか。)
 80%が日本人だそうです。インターナショナルスクールが、近くにあったり、子供さんの遊ぶ施設が沢山あったりするので、お子さん連れの方の入居が多いそうです。
2005年11月15日(Tue)
 今回は、1Fエレベーター横の掲示板を見逃しませんでしたので、驚きませんでした。(学習能力あったかな)
ペストコントロールと言うことで、部屋の隅に消毒液を撒いて行きました。
昔のアースみたなものでしょうか?臭いはありません。
まだまだ、ハノイは、半袖でも寒くありませんので、虫もいるのでしょう。私の部屋は6Fなので、虫は少ないようですが、低い階ほど虫はいるようです。 
2005年11月14日(Mon)
 今日から、ハノイ・インターナショナル・クワイヤーの練習に参加させてもらいました。混声合唱なので、夜7:30〜9:30までの練習です。今日は、大きな舞台が終わった後だったので、軽く、クリスマスキャロルを5曲ほどしましたが、流石に、皆さん初見で、歌っていかれます。自分が歌えてなくても、周りから、きれいなハーモニーが聞こえます。
 練習会場は、オペラ・バレー団の練習場所をお借りしてります。
 コーラスのメンバーのひとりで、フランス人の方が、2006年のカレンダーを皆に買うよう薦めていました。
 「フランスのNGO団体で、カレンダー販売の収益金は、ベトナムの少数民族の生活の自立支援のために、寄付される」という説明でした。
 日本のJICAの1セクションでJVCC(ベトナム日本人材協力センター)も、同じようにカレンダーを作って収益を寄付しているそうです。
2005年11月13日(Sun)
 Van Phuc ヴァンフック村 通称:シルク村へ行ってきました。路線バスで終点のHa Donga まで行き、そこから、20分ほど歩きました。(日本人は、タクシーを利用する人が多いです。私達は、時間が十分あったのと、ちょっとケチかも?)
 ヴァンフック村は、ハノイの南西10Kmにあるハータイ省にあり、シルクで有名で、30軒ほどお店が並んでいます。ハノイ市内のシルク街と言われているハンガイ通に比べ、洗練さは落ちますが、かなり安く買えます。 
 私が、自宅の洗濯機の使い方を間違えて、日本から持ってきた主人のシルクのパジャマをボロボロにしてしまったので、シルクのパジャマを買いました。
 あまりセンスのいいのがないので、私のはハイガイ通り(ハノイ市内の高級シルクショップの並ぶところ)で買おうかな?

ヴァンフック村入り口の大きな道路に面したほうの門です。(村の西側)
Lang lua Van Phuc と書かれています。

シルクを乾かしているところです。昔の伸子張り(しんしばり)のように竹ヒゴを等間隔に、張っていました。伸子張りを知っている私ってかなり古い人間かも?

のんびり散策していると、「求来福萬」と書かれた古い門を見つけました。これは、村の東側にあたります。

シルクショッピングロードを過ぎると、「ガタン、ガタン」と織機の音が村中からします。上の真ん中に見えている茶色のものは、穴がいっぱい空いて、これが、模様のプログラムのようです。
ヴァンフック寺
 
旧暦の1月13日(太陽暦の2月21日あたり)、ヴァンフック村で村祭りがあるようで、その様子を写真にして、飾っていました。この村に、シルクを始めたとされる「ラー・ティ・ガー」を奉り、先祖の供養も兼ねる祭りだそうです。

ヴァンフック寺の門

本殿

本殿の中
 ヴァンフック村から、バス停まで歩いて戻る途中で見つけた、私が驚いたこと    路上で、バイク用にガソリンを売っている、簡易ポンプ
歩道と車道の間で、自分の三輪バイクに、ハンモックを吊り、昼寝をしている人
 ハノイ市内に戻り、夜、ヤギ料理を食べました。看板の右はしに、顎鬚(アゴヒゲ)が生えている動物の顔がありましたので、ヤギだと思います。
 メニュは、20種類ほどありましたが、全てベトナム語なので分かりません。そこで主人が、手でお鍋の形を作り、下から燃えているしぐさをしたら、何と通じました。
 少しピリカラで、付けるタレがゴマ味とココナツミルク味とありました。2cmの角切りのヤギの肉が、結構おいしいのです。それに、鍋の熱源は、カンテキに入った炭火でした。まだ、寒くないハノイの夜風に吹かれながら、情緒があります。
 右の写真は、この店で取り扱っている酒ですが、「マムシの入ったもの」「朝鮮人参の入ったもの」後は、何かわからないけど、普通じゃないお酒でした。 
2005年11月12日(Sat)
 路上に小さな箱を出し、小さい椅子に座り、街のあちこちで、「宝くじ」を売っています。金網がはった四角い入れ物に、くじが入っています。
 どのぐらいの額が当たるのでしょうか?
 比較的、治安がいいのは、この、宝くじ売りの人の中に、私服公安がいるとか?、いないとか??
2005年11月11日(Fri)
 Kさんからお借りした、「The Aviator (アビエイター)」 DVDを見ました。すぐに自分の失敗に気づきました。字幕なしの英語だったのです。想像力を働かせて見るしかありません。
 レオナルド・ディカプリオ主人公が、莫大なお金をつぎ込んで、航空映画をしたり、自ら操縦士、より早い飛行機を開発します。どうも精神病も持っているようで、手を必要以上に洗ったり、同じ言葉をずっと繰り返したりしています。飛行機の操縦で致命的な怪我も負います。飛行家として、情熱を傾けます。
 後で、インターネットで調べたら、大富豪の息子が、1930-40年代のアメリカの第1次黄金期ハリウッドで映画製作と飛行機に夢と未来に情熱をかけた「ハワード・ヒューズ」と実在の人物の話でした。
 強迫性障害を発病し、苦悩しな がら、心の病と戦います。また、二人の美人女優(キャサリンとエバ・ガーナード)。 大手航空会社TWAの買収、国際線を独占するパンナム社との闘い、生死をさまよう飛行機事故。と物語りは展開します。
 解説を読みながら思ったことは、アメリカ人なら、当然知っていることが沢山あって、そういうことを理解してみると、もっと楽しめたということでした。

 ベトナム式シャンプーをしているところです。座ったままします。
 さすがに、すすぎは、シャンプー台へ案内されました。 
2005年11月9日(Wed)
 ベトナムの美容院に、いつものKさんと行き、パーマをあてることにしました。その美容院は、ベトナムのローカルなのですが、日本人の男性と結婚されたベトナム人女性が美容師さんなので、日本語が通じます。(安心です) 
 カットは、その方が手早くイメージ通りにしてくれて、とても満足でした。
 パーマのロットを巻くとき、別のスタッフが、慣れない手つきで、直径2cmほどの大きなロットを頭に巻きました。(そういえば、ベトナム人の女性は、あまりパーマをかけないで、ストレートヘアーが多いです。)
 ロットを巻いた後、1液をかけて、日本では、バスキャップを被ぶりますが、こちらでは、大きなビニールを巻き付けていました。
 ブローのあと、仕上げに付けてくれたヘアーオイルは、オーストラリア製と言ってましたが、ココナッツミルクの臭いがしました。今日は頭を洗わない方がいいのですが、臭いに敏感な私は、夜、我慢できなくて洗ってしまいました。
カットを始めたとき、赤いローソクを、鏡の前に置いて行きました。何のためだったのでしょうか? どんどん溶けて蝋が、手の形の蝋燭台から、流れ落ちています。アロマかと思ったのですが、何もにおいもありません。
 カフェ・マイというコーヒー豆専門店です。
6種類豆があり、目の前でコーヒー豆を挽いてくれます。ハノイで唯一おいしいコーヒー豆を売っているところです。
 袋に黄色の造花を付けてくれます。
2005年11月7日(Mon)
 かごに入れて売っているのは、「芋」ではなく「果物」です。
 名前は、CU DAU  クーダウ 日本名は、クズイモ です。
 食感は「りんご」なのですが、味も水分もあまりなく美味しいものではありません。以前、芋と間違えて、買ってかえり、ジャガイモの横へ置いておいたら、4日ぐらいで腐ってしまいました。果物と分かっていたら、冷蔵庫に入れたのですが・・・本当に見た目は、芋なのです。(腐らせてしまった言い訳です)                               
 今日、ご一緒した、Tさんのバスの定期券です。写真を持参して、ラミネートをかけてもらい、後は、1ヶ月ごとの更新で四角のシールを張ってもらうそうです。 1ヶ月の定期代80000VND 600円ほどです。でも、バスはハノイ市内どこでも、1回3000VNDなので、27回以上乗らないと元がとれません。往復で13日分ですから、毎日、通勤・通学に、利用する人は、お得です。 定期代ですが、最近60000VNDから、80000VNDに値上がりしたそうです。
 最近、いろいろな外国資本が入り、ベトナムはどんどん開発されています。徐々に物価が値上がりしているそうです。
2005年11月6日(Sun)
 このアパートは、日本人入居者へのサービスとして、「共同通信社」の「KYODO NEWS」日本語の新聞が(A4サイズ6枚ぐらい)入ります。朝刊のダイジェスト版で、日本国内の政治・経済・スポーツ・三面記事などが掲載されています。写真は一枚もありませんが、日本のことが大雑把に分かるので、ありがたいと思っています。
 そこに、「吉野山の吉水神社から、盗まれた『南北朝時代の掛け軸』も返還された」と書かれていました。近畿を中心に文化財、古美術品を狙った窃盗事件の1つだったようです。
 犯人が捕まり、盗まれたものが、無事、返還されて良かったです。吉水神社は、実家の太田桜花堂のすくそばですので・・・ 
2005年11月5日(Sat)
 先日、サパへ旅行したとき、気に入って買ったブラウスです。少数民族の刺繍が胸のところに入っています。
 着ようと思うと、臭いが気になり、先に洗いました。
 写真ではわかりにくいですが、刺繍が色落ちして、白いブラウスが、薄い黄色のマダラになって、真ん中の赤い色も周りがにじみ、1回も着ていなのに、まるで古着のようになってしまいました。ショック・・・・ 
            

   
 ハノイの空は、いつも雲が多いのか、街灯や照明などの光がありすぎるのか、あまり、星は見えません。
 今日は、6時ごろ、南西の方角低く「三日月」とその少し左斜め上に「宵の明星(金星)」が、明るく輝いていました。
 10分間ほどの間に、どんどん日が暮れていき、あたりは、少し残っていた薄い夕焼けの色がしだいに無くなり、薄墨色になり、やがて暗くなりました。ハノイの月を初めてゆっくり眺めた日でした。

ファミリー・メディカル・プラクティスという病院の救急車
2005年11月4日(Fri)
 ハノイもいよいよになりました。気温も少し下がり、クーラーなくても夜は涼しくなりました。秋といっても、日本のように、「日本晴れ」といういことはなく、最近、毎日、曇り空です。(曇り空は、秋のハノイの良い天気だそうです。)
 今日は、希望者のみですが、インフルエンザの注射を受けました。主人の職場に病院から医師が出張して集団予防接種です。 
 鳥インフルエンザが原因で死亡したかたが、ベトナム南部でいるようです。うがい手洗いは、欠かせません。

日本大使館
2005年11月3日(Thu)
 日本では、今日は「文化の日」で祝日です。日本大使館などは、日本の祝日とベトナムの祝日のどちらも休みです。(どこの国のどこの大使館も自国と赴任国の祝日が休みだそうです。)
 しかし、多くのこちらで働く日本人は、ベトナムの祝日にあわせているようです。
 ベトナムの祝日は、日本に比べ非常に少なく、 1月1日(正月)、2月9日(テト:旧正月あたりの1週間ほど)、4月30日(南部開放記念日)、5月1日(メーデー)、9月2日(独立記念日)だけだそうです。

栗屋さん
2005年11月2日(Wed)
 旧市街地に焼き栗(hat de)のおいしいところがあって連れて行ってもらいました。店といっても路上です。
 日本のものに比べると少し小ぶりで、甘くありませんが、素朴な味がします。
 100gが、4000VNDで30円ほどです。300g買いましたが、食い意地が張っている私は、ついついイジになって全部食べてしまい、後で、食過ぎで苦しくなりました。(写真は、食べ過ぎたバカな私ではなく、上品に食べたKさんです。)
 
VIET NAM ベトナム だより(5) 2005年11月 

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