VIET NAM ベトナム だより(8)  2006年1月      

   
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2006年1月30日〜2006年2月1日 フエ (Hue)旅行
 テトホリデー
で、会社も休みになり、皆、旅行に出かけます。
急に3日ほど前、主人と2人小さい旅行社に行き、フエ(ベトナム中部の街)に行く飛行機、ホテル、@フエ市内観光、Aボート宮廷音楽 BDMZツアー を申し込みました。
 今回は、初日にフエ行きの飛行機が、ダナンに着いたことから、予定が変わり、想定外のハプニングの連続でしたが、今、思えば、ベトナム人のいい加減さに腹も立ったけど、決められたコースではなく、とても楽しい旅となりました。 (2泊3日のこの旅行記は、上から下に読んでください)

ダナン Da Nang 空港
2006年1月30日(Mon)
●朝5時に起き、ハノイ ノイバイ空港へ。
 6時30分の飛行機の搭乗手続きのアナウンスが流れ、私がゲートに行こうとすると、主人が「今はビジネスクラスだから、エコノミーは、もう少し待ってくださいと言うアナウンスや」と止めれらました。多くのベトナム人が、ゲートに列をつくりました。 飛行機に乗ると、先ほどの人は皆、エコノミーに座っていました。
 英語に先立って流れたベトナム語の放送と内容が違ったのかな?

●無事離陸して一路フエへ
 もうすぐ、着陸! 機長の長い英語で、「Bad Weather(天気が悪い)」「Thank you for your understanding  (ご了解ください)」と言うのが、聞こえました。
降りてびっくり、そこはフエではなく、ダナンだったんです。
トランジットカード  フエに行くのに、ダナンでトランジット???
トランジット カードを貰い、控え室へ。
 30分ごとに、アナウンスがあり、「フエ空港の天候を確認中。次は、何時何分に情報を入れます。」と言う放送が流れます。
 ハノイで申し込んだ旅行社に連絡をとり、今日のシティーツアーは、朝9時から始まっているため、キャンセルし、ただダナンの空港内で待つしかありませんでした。
 「私達、どうなるの?」と思いながら待つこと2時間。同意書カードが配られ、それにサインをし、ベトナムエアーラインの用意したバスにより陸路をフエに向かいました。
バス移動  バスに乗ること2時間。フエに到着。
 「さぞかし、フエは、大雨だったのだろ」と、思いきや、雨の降った形跡は、殆どなし? どうして・・・・?
 とりあえず、予約しているホテルの前でバスは止まりました。 
ホテル  見た目は立派なホテルです。今回の3つ星は、期待できるかも?
 チェックインのあと、ハノイの旅行会社と連絡をとり、スケジュールの変更をしました。
 今日、予定のシティーツアーを明日に、明日予定のDMZツアーを明後日に、そして、明日の夜予定していた、ボートの宮廷音楽を楽しむボートナイトツアーを今晩に、3つ変更をかけました。
ブンボーフエ  すでに、1時を過ぎ、お昼ご飯。
 フエと言えば、まずは「ブンボーフエ」を路上で食べました。
 少し太目の麺、やや辛めのスープ。ポークやビーフ、エビのすり身団子が入っていました。
 そのとき、バスで一緒だったベトナム人に出会いました。日本に5年間留学していたそうで、日本語が上手でした。
 「どうしてフエに着陸できなかったのか」と聞くと、「フエの管制システムが古いため、雲が厚いとフエ空港のライトが確認できないため、着陸できなかった」ということでした。新しいシステムを早く導入してくださ〜い。

 ぶらぶら歩いているとイベント会場に行き当たりました。  

会場内で行われていた少林寺の大会。

夜店のような感じの店が並んでいます。磁石による魚釣りゲーム

玉入れに挑戦。スパーボールのように跳ねて、中々はいりません。
会場内
子供もお金をかけてルーレットをしています。

ボーリングゲーム

輪投げ
売っていたコック  左の写真が、会場で見かけた COC コック と言う果物。りんごのような食感でした。
 右の写真は、我が家にあるフォークです。
 阮朝王宮の前で、初めてシクロに乗りました。
 今まで、シクロに乗りたかったのですが、色々ぼられる話を聞いていたので、乗ったことがありませんでした。今日は中途半端に時間があったので、シクロに乗ってみることにしました。
 先ずは値段交渉。1時間50000VNDで成立。
 ハノイのように排気ガスを吸うこともなく、シクロに乗り旧市街地を散策。夕食までの時間の1時間20分乗りました。
 降りるとき、シクロのおっちゃんが、「100000VND。Happy New Year! souvenir」と言うのです。 「正月なのでご祝儀相場で、私達シクロにもお土産のつもりで100000VNDを払って!」 と言う意味でした。
 親切にしてもらったし、気持ちよく100000VNDづつ2人に払うことにしました。 
 シクロで回ったところ
ティエンタム跡
湖に礎石だけ残っていました

TINH XA NGOC HUONG
 マイナーなお寺
右は、永仁佛教匡会
 尼寺でした。
 (正しくは「匡」は、土偏があります。辞書で探して、これに書くと、「?」に変わりました)
 夕食は豪華にティンザービエン Tinh Gia Vien で 「宮廷料理」 
 王族の血を引一族が経営するお店です。
 どのお皿も、繊細な装飾で食べるのが惜しい感じでした。
お庭も、家具もお料理も素敵でした。
これで、一人15ドルでした。
数々の宮廷料理

川の上の船で、宮廷音楽を楽しむ
 夜、8時ホテルフロント集合で、ボートに乗り、宮廷音楽を聴くボートツアーを申し込んでいました。
 迎えが来ないので、旅行社に電話すると、30分ぐらいたってバイクが、迎えに来て3人の乗りをし船着場へ。 
 既に川に出て演奏が始まっている会場に、ボートを横付けして、窓から乗り込みました。
 ちょっと、格好悪かった。 
 ボートから乗り移って顔を上げたら、そこに、ブンボーフエを路上で食べたとき合った日本語の上手なベトナム人に、また、出会うことができました。
 そして、その人の説明では、宮廷音楽の言葉は、ちょうど日本の歌舞伎のように、現在のベトナム人には、理解しにく言葉だということでした。 

演奏してた船
 紙で作った灯篭流しを一人ずつ体験できました。ライトアップしたチャンチィエン橋の方へ、ゆらゆらと、灯篭流しの光が、とうざかっていきます。
幻想的です。
 チャンチエン橋のライトアップです。
いつもは、週末だけだそうですが、テトでライトアップされていました。
数十秒ごとにライチィングの色が変わっていきます。

昼の船着場です。

自分でスイッチを入れなければならなかったブレーカー
 ホテルの部屋入り口の電気スイッチです。
手を伸ばしてやっと届くところに、ブレーカーが3つあり、それを自分で入れないとお湯が出ないことに気がつきませんでした。
 シャワーを浴びようと、シャワールームで水しか出なくて・・・裸のまま、水が冷たく震えてしまいました。

部屋もベットも広く家具も良かったけど・・・チョトかび臭い

ミンマン帝廟
Lang Minh Mang
2006年1月31日(Tue)
 今日は、1日、シティーツアーです。
 以前、日本から子供達が来たとき、12月28日にフエきましたので、シティーツアーについての詳細はそちらをご覧ください。(ミンマン帝以外)
 9時からのバスをもう押し込んであったのに、8時に、ボートでめぐるシティーツアーの迎えがきました。
 ダブルブッキングになっていたようです。旅行社の手配がいい加減で心配です。
 ミンマン帝廟、装飾が美しい威厳を感じる廟です。
 正門は、現在使用されておらず、横の門から入りました。
 ミンマン帝は、阮朝の2代目皇帝です。

死者の霊魂を守るとされる象や馬や役人の石像が両側に立っています。

ミンマン帝の功績を讃える石碑です。




皇帝と皇后の位牌のある建物

ハス池にかけられた3本の橋

最も奥がミンマン帝の廟
扉の間から古墳のような小高い丘が見えました。
カイディン帝廟
Lang Khai Dinh

阮朝12代皇帝

石の階段の手すりに龍が刻まれ、階段の上に、このような像があり、廟を守っています。

ヨーロッパ風の塔が建っています。

金箔を押した青銅のカンディン帝の等身大の像です。
 スゲ笠 ノンに、すかしの模様があるのは、フエだけだそうです。 線香作りに挑戦
結構むすかしい
トゥドゥック帝廟
Lang Tu Duc

阮朝4代皇帝

綺麗で落ち着いた雰囲気があります。

皇帝を祭った寺

賢帝で、功績を書く碑は、裏表びっしり書かれていました。
グエン朝王宮 王宮門
ベトナム最後の王朝 阮朝(1802〜1945年)都が置かれたフエ。皇帝は13代まで。
ティエンムー寺
Chua Thien Mu
1610年創建、七層八角形の塔がきれいです。
 今日も宮廷料理を、イータオガーデン Y Thao Garden で食べました。
王族に仕えていた祖先が伝えた味を再現しています。
 一般家庭の広い庭を開放しています。アンティークな食器も飾ってありました。
 今日は、ブレーカーのスイッチも入れてあったので、シャワーのお湯も出て、フエビールを飲み(少し薄い味)、明日のDMZツアーに備えて、早く寝ました。
 ところが、が何匹か部屋に入っていたらしく、刺されるは、羽音が気になるはでぐっすり眠れず、朝5時のモーニングコールを待つこともなく、目が覚めました。
 DMZとは、「DEMILTARISED ZONE」の略で、17度線近くを東西に流れるベンハイ川沿いに、幅10kmにわたって定められた非武装地帯のことです。
 DMZツアーとは、その非武装地帯の南を走る、国道9号線と1号線沿いに点在するベトナム戦争の激戦地跡を回るツアーです。 
2006年2月1日(Wen)
 DMZツアーは、朝、6時のピックでしたので、5時30分に朝ごはんを食べ、チェックアウトも済ませ(今日の夜便でハノイに帰るため)、ホテルフロントで迎えを待ちました。
 30分待っても来ないため、また、ハノイの窓口の旅行会社に電話をして返事をまちました。7回ぐらい電話のやり取りがあり、フエの旅行社の担当とつながり、その会社に行くころには、すっかり夜も開け、8時になっていました。
その間、DMZツアーと書いた大型バスが3台も行き過ぎました。
 その、旅行会社の言うことには、「リストに名前がなかった。あなたの乗るバスが壊れた」というのです。(この見え透いた嘘!)
 一番左端のお姉ちゃんが担当で、その人が、私達のハノイの旅行社からの変更を、ぐちゃぐちゃにしたらしいのです。
 あやまりもせず、調子だけはよく、次のツアーを薦め始めました。
 とにかく、「DMZツアーの代わりを用意するよう」に言うと、仕方なさそうに、「30分待て」と言い、タクシーが1台きました。
 「フエ郊外の綺麗な場所、3箇所は案内する。」というのです。そのツアーは2時間で終わってしまいました。
フエ郊外ツアー
@Can ngoi thanh toan

小さい
(フエの日本橋より1回小さい小さな橋)
 子供も大人もゲームに参加しています。
一人ずつ、1mほどの屋根つきブースに入り、5人ずつ向かい合い、お互い手持ちの札があり、真ん中のおじいさんが、メガホンで出た札の番号を言っているような・・・・
早く上がれば、旗をもらえるようでした。

周りは、のどかな田園地帯。ガチョウも放し飼です。
 移動の途中で見かけた、「歯医者」さん。
未舗装の道路に面した家に、扉も無く、頭に鏡を付け、ベットに横たわっている患者さんの口の中を見ていました。
 フエ郊外の、市民生活を見たような気がしました。
ANha Vudn hugen than cong chia
インペリアル ファミリー ゆかりのプリンセス ゴック ソンの庭(玉山公主祠)
 阮朝最後の皇帝、バオタイ帝の叔母にあたるゴックソン皇女が住んでいた庭です。
 この庭はフエの伝統様式の庭だそうです。
 日本の「園芸ガイド」という本に紹介されたと見せてくれました。その他、由緒正しそうな、立派な本にも掲載されていると見せてくれました。(ベトナム語)
 オーナーのファン・トラアン・アンさんはフエ文化遺産保護センターに勤める歴史研究家です。 


ミニチュアロックガーデン

池と風除けの竹林

オーナーのファン・トラアン・アンさん
BLang nghe Huong tnon 昨日行った線香の土産のところでした。

C
「JAPANESS SAKE FACTORY」
日本酒工場
 その少し手前にこの看板を見つけ、運転手にちょっと寄り道してもらいました。
 私達が、ベトナムで飲む美味しい日本酒の工場だったんです。
 テトで工場は休みでしたが、門衛の方がいて、ちょっと中に入れてもらいました。

 



 「越の一」と書かれていて喜んでいます。
 かなり変な日本人と思われたと思います。
 昼から何かプランはないかと探すと温泉を見つけました。

 美安温泉 My An
誰もいなくて、プライベートプールのようで、ユッタリした時間を過ごしました。
 フォーンザンホテルで温泉を申し込み、タクシーを呼んでもらい、7km離れた温泉へ
 ここでも、あの旅行社のお姉ちゃんは、私達に、60Kmはなれた凄くいい温泉があるから、バイクの後ろに乗って行かないか?と薦めました。
見た目は、プールなのですが、硫黄の臭いがして温泉です。
42度ぐらいはあります。
 温泉といっても、裸で入るわけにもいかず、テロテロの水着を仮ました。
 深さは、立った状態で胸までお湯があります。
深〜い。 ゆっくり座って温泉に入りたいなあ〜。
 でも、やっぱり温泉は、気持ち良いなあ〜。

1時間後に、ベトナム人8人ほど来ました。
服を着たままで、熱いのか、珍しいのか、すごく、はしゃいでいました。

フエ宮廷美術博物館
Bao Tang My Thuat Cung Dinh Hue
 夕方、フエ宮廷美術博物館で、閉館までいました。 阮朝の王宮で使用されたものが展示されていました。
螺鈿のテーブルや、打楽器、王のシンボルの9匹の龍をあしらった金のモニュメント、ガラス絵などいろいろ素晴らしものがありました。
 中は撮影禁止でした。

入り口で靴カバーをつけます。

バイン・コアイを焼く人
 店先の おいしそうな バイン・コアイ Banh Khoai の臭いに誘われて、今日はここで夕食にします。
 ローカルでもいろいろ美味しいものがありました。
お店の人も親切でした。

フエ空港
 フエ空港 21時15分初。フエからハノイに戻りました。
 遅い時間のためか、お客さんは少なく、1台の飛行機に30人ほどしか乗っていなくて、定刻より15分も早く離陸しました。
 客室乗務員は、なぜか男性ばかりでした。
いろいろ、DMZツアーは行き損ねましたが、思いつきで温泉に行けて何だか気分もリラックスしたようでした。
 フエの旅行会社のお姉ちゃんにはまいりましたが・・・
 旅行は、これで終わりです。


[Chuc mung nam moi!]
(Happy New Year!の意味)
2006年1月29日(Sun) 旧暦:正月 テト(Tet)
 Chuc mung nam moi
            (明けましておめでとう) 
 一夜明けて、テトは、殆どのお店が閉まるというのを聞いていました。
 そこで、主人が「閉まっているハノイの街を見に行こう!」と言い出し、行き先を決めないまま、旧市街地方面へ2人で路線バスに乗りました。
 バスも非常に空いていますし、店も殆ど閉まっています。それに、いつもは、バイクでごった返している道路が、本当に閑散としていました。
 ベトナム人男性は、スーツを着て、年始周りの人が多く目につきました。やはり テトでした。
年中無休の店が多いベトナムですが、テトは閉まります。
閑散とした様子

ドンスアン市場前
閑散とした様子

ロンビエン橋
閑散とした様子

旧市街地内
ドンスアン市場の近くのお寺です。
 まるで、日本のお盆のように、お供えが沢山供えてあり、27日に載せているバインチュンもお供えしておりました。 
ベトナム式お祈りの仕方
 @神棚を見つめ手を合わせる。
 A手を合わせたまま、深くお辞儀をする。
 B身体を起こし、手を合わせたまま、目をつぶり、願いごとを心の中で
  唱える。住所と、名前を先に言う。(神様が迷わないように)
 C最後に合わせた手を上下に3回振る。
皆、信仰心が厚いのか、沢山の人が真剣に拝んでいました。
初詣出  白馬祠
(詳しくは2006年12月21日をご覧ください)
 ハノイ四鎮東の守護神です。
白馬伝説があります。12月に来たときは、白馬がなかったのですが、綺麗に化粧直しをして、飾られていました。
デンハンバック Den Hang Bac
(詳しくは2006年12月21日をご覧ください)
 山林の聖母「白花公主(バックホアコンチュア)」が祀られています。
 表の赤い布に「南無阿弥陀仏」と書かれていました。
 お賽銭を渡すと、お守りをくださいました。それは、ベトナム語でした。
大教会
 いつもより閑散としいましたが、やはり、お参りの方はいらっしゃいました。
 右の写真は、裏庭で見つけたピエタです。

年越しの花火
2006年1月28日(Sat) 旧暦:大晦日
 ホーチミンに住む知り合いのベトナム人親子(母と娘)が、M先生宅で、ベトナム正月料理を作ってくれ、年越しパーティーをすることになりました。私達夫婦とGさんも一緒に御相伴にあずかりました。
 お母さんのLさんは、日本に4年間、留学されたことがあり、私も、吉野を案内したことがあります。
 12時きっかりに、あちこちで、年越しの花火があがりました。
Chuc mung nam moi(明けましておめでとう)
 (2006年1月29日 テト)

 テトに初めて家に入ることを、ソン ダット(Xong Dat)といい、入った人の運が、その年の家族のを決めるそうです。
 その際、家に入るのは、運の良い男性が好まれ、女性はよくないとされています。 (これって 男尊女卑が残っているのかな?)
 そう言えば、日付け変わって1時ごろ、Lさんが、M先生宅から帰るとき、ハノイのお父さんに電話をかけて、お父さんが家に帰ったかどうか確かめてから帰られました。
 我が家は、M先生宅から、12時過ぎ、花火の見える我が家に皆で移動したとき、主人が一番に入りました。これで、我が家の今年の運が決まりました。(多分良いほうに)
2006年1月27日(Fai)
 ベトナムのお正月料理といえば、もち米をゾン(Dong)という葉っぱで包み、12時間ほど茹でたバインチュン (Banh Trung)です。ベトナム人(会社の方)から頂きました。
 長時間茹でることで、完全滅菌だそうで、日持ちするそうです。一辺が15cmほどの四角形で、かなりボリュームがあり、4分の1食べると、もう、十分でした。
 このバインチュンにまつわる民話があります。
 ベトナムを建国したフン王が、22人の息子の中から世継ぎを決める際、「庶民のことを考えれば、この食べ物を作ったものこそが、世継ぎとして最もふさわしい」とバインチュンを献上した息子に王位を譲ったそうです。 
左:葉っぱ付きサトウキビを歩道で売っています。
 右:お酒、お菓子、お茶などを籠に盛り、セロハンで包み、リボンを付けた物が沢山売られています。
テトのプレゼント用だそうです。
我が家も1つ頂きました。

世界遺産を訪ねて
  まんぞく紀行 悠久のアンコールワットとハロン湾 4泊5日

     (今回参加した日本の大手旅行社のキャッチフレーズです)

          この旅行記は上から下に読んでください。(2006年1月23日〜1月26日)
ベトナム

ハロン湾
2006年1月23日(Mon)
 日本の旅行社の上記ツアーを使って、吉野の両親と叔母が来てくれました。
昨日、深夜に関空からの直行便で着き、私も昨夜のホテルから、このツアーに参加しています。
 今回は、日本のツアーと言うことで、値段は高いのですが、勿論、日本語ガイド付き、ホテルも良く、至れりつくせりで快適な旅行でした。
 ハロン湾への途中のトイレ休憩には、ベトナム戦争の時の地雷や枯葉剤の影響で、障害を負った人の施設で、ベトナム刺繍などを作っているお店に寄りました。 
「象の耳」という魚料理 私にとっては、3回目のハロン湾ですが、昼食を船上でシーフードを頂くリッチなスタートとなりました。
 15cmもある巨大なシャコや、花がに(渡りがに)などをシンプルに蒸したり焼いたりで、お腹も気持ちも満足でした。
 左の魚は、「象の耳」という名前の魚料理です。
ハロン湾  ハロン湾(2005年9月4日)に、主人と貧乏旅行をしています
 ハロン湾(2005年12月26日)に、日本から子供達が来たときにも行っています。

 世界遺産になっているハロン湾は、約1500km2 の海域に、約2000の海面から奇岩突き出しています。中国の桂林から広がる石灰岩台地が、最終氷河期に沈降し、長い歳月をかけて海水や風雨で浸食されて出来たものだそうです。「海の桂林」と言われています。
 「ハ」は、「降りる」。「ロン」は、「龍」を意味します。
 空から舞い降りた龍が火の玉を吹き出し、それが海岸に落ちて岩に変わったという伝説があります。

闘鶏島

バイチャイから船がでます
ティエンクン洞  今回の鍾乳洞は、あっさりと1つだけ ティエンクン洞(Thien Cung=天宮)を見学しました。オレンジ、ブルーやグリーンでライトアップされていて、幻想的な世界になっています。
 ここは台風で非難した漁師さんが、見つけた洞窟で、その漁師さんは沢山の報奨金を貰って優雅な生活をしているそうです。 鍾乳洞は色々な形に見立てて、それぞれ名前がついていました。見るものの想像によるのですが・・・
 3時間バスに乗りハノイ市内へ戻ります。

ベトナム料理店 エンペラー
 ホテル
 夕食は、高級ベトナム料理で有名なエンペラーで、ブンチャ(付け麺)、生春巻き、チャーカー(雷魚)、空芯菜の炒め物、青パパイヤのサラダなど、ベトナムを代表するお料理が出ました。 (ブンチャーは、街中の汚い店で食べたほうが安くて美味しいかも・・・。でも、旅行客には、衛生上、少し無理がありますが・・・)
 夕食後、水上人形劇(ウオーターパペット)を鑑賞。
 ベトナムでは12世紀頃から、収穫のときに池や湖で上演されていたものを、後に宮廷芸能まで発展させたそうです。ベトナムの民話や伝説などを題材に17話(1話5分ほど)で、上演されます。水面でコミカルに人形が動きます。、布の奥で、腰まで水中に浸かって人形を操っています。
 その後、タクシーで、20分ぐらいで、我が家にご招待
実は、「人間宅配便」で、薬、日曜品、食料品、日本のかゆいところに手の届く商品を持って来てもらいました。 
 日本の商品満載でした。ありがとう。
 ホテルに戻ると、現地日本人スタッフから、「お困りのことは、ございませんか」と念のいった電話がありました。

水上人形劇

自宅にて

バッチャン焼き
2006年1月24日(Tue)

焼き物の型
朝から、焼き物の街バッチャン Bat Trang
 ハノイ市内のハンザ市場にバッチャン焼きが、沢山でています。そして、ハンザ市場の方が安いのです。でもガイドさんの話では、この村で扱っている品物の方が、クオリティーが高いということでした。

絵付け
バッチャン村で 水牛の引く車に10人乗りました。
一人60kgとしても600kg。それと荷馬車の重さで、1tぐらいはあるものを、のそのそと引いて歩きます。
 水牛って力持ち!!

河沿いに、レンガを焼く小屋が点在しています。
橋 日本のODA バッチャンは、ハノイから10Km東南に行ったホン河沿いにあります。途中に、日本のODAの援助で、大林組が建設中のタインティー橋がありました。これが出きると郊外に行くのが、便利になり、ハノイの交通渋滞も緩和されるそうです。
ハノイに戻り レトンキンでベトナム料理の昼食


カンボジア 
シェムリアップ空港
ハノイ ノイバイ空港からカンボジア シェムリアップ空港まで約2時間。
 ●ハノイ ノイバイ空港で、9人分の荷物チェックをしているとき、現地ガイドさんの顔がだんだん険しくなってきて、「皆の鞄重い」。と呟きました。
 そのとき、空港スタッフから最後3人分の荷物を減らすように指示があり、3人京都から来ていたおじさん方が、仕方なくスーツケースを、開けて減らしていました。空港スタッフの細い男性が荷物台の上に乗ると、100Kgと表示されたのです。
 「それはないやろ」と思ったとき、空港スタッフもガイドも同時に気がついたようで、隣のスケールに乗せ変えるよう指示がありました。やはり、さっきのスケールが狂っていたのです。国際線のスケールが、狂っているなんて!なんていい加減。

 ●カンボジア シェムリアップ空港すっかり、日は落ちていました。
 シェムリアップ空港の入国時、軍服のような制服を着た職員が、ニコニコしながら私達の航空券とパスポート、荷物札9人分を集めて、10ドル払うよう言いました。
 「何のお金?」 と思いましたが、一人1ドルぐらいで、言葉も分からないのに、もめるのもいやだし、払ってしまいました。 後で空港の外で迎えに来てくれた現地日本語ガイドの人に聞くと、「速く入国手続きをしたい外国人ツアー添乗員が、入国審査官にチップを渡し便宜を図ってもらったのが始まりで、観光客に要求するようになった」そうです。
 入国審査にチップなんて、聞いたことない??
ガンボジア
遺跡の見学には、まずPASSを購入します。
1日券、3日券、7日券があり、私達は3日券に顔写真を付けて、遺跡の入り口で必ず提示を義務付けられました。
アンコール・トム
Angkor Thom

南大門 四面仏顔
2006年1月25日(Wen)
 アンコール遺跡群の中で、まずアンコールトムへ
ここは、午前中に行くと写真が綺麗に撮れるそうです。

 アンコールトム
 
12世紀〜15世紀の王都で、「偉大な王都」を意味します。
 南大門 四面仏顔(観世音菩薩)
「哀れみ」「慈悲」「情け」「平静」を表しているそうです。 
南大門の参道に神々が54対ずつ並んでいます。 ヒンズー教の天地創造神話、「乳海攪拌」のクライマックスに、神々と阿修羅が左右から大蛇(ナーガ)の胴体を綱引きのように引き合い、それによって大洋をかき混ぜ様々な創造物を生み出したとされる伝説があり、その場面を表しています。
 風化が激しく、蛇の部分が殆ど崩れています。
 
良い神様

悪い阿修羅
バイヨン バイヨン
 12世紀末にジャーヤーヴァルマン七世によって建造され、アンコールトムの中心に位置する仏教寺院です。
 観世音菩薩が彫り込まれた四面仏顔像が林立し、その迫力に圧倒されます。
 回廊には兵士の出陣、漁や農耕、当時の生活が彫刻されています。
 左は、チャンパとカンボジアが戦ってカンボジアが勝ったそうです。
 右がゲームをしているところです。

 ちょうど額縁のようになります。 「どう?私の微笑み?」

クメールの微笑み
 四面観世音菩薩は、1つずつお顔が違い、このお顔は確かに微笑んでいいて一番美しいです。

 僧侶の姿も、時々見受けられ、この遺跡にとても、会っています
バブーオン バブーオン 
 11世紀中ごろに建設せれた「隠し子」という意味の寺院で、当時、王子をこの寺院に隠したというい伝説からこの名前がつけられた。
 修復作業中で、近寄れませんでした。
象のテラスは、12世紀に建造された長さ35mにも及ぶ象やガルーダを彫刻したテラスです。 
 雷神インドラの乗り物となる3頭の象アイラヴァタです。
象のテラス
 
 
ライ王のテラスは、三島由紀夫の戯曲で知られたテラスで、通路内の壁面彫刻には、大蛇ナーガが彫刻されていています。
タプローム
Ta Prom
 タプロームとは、「梵天の古老」という意味です。
 12世紀末、ジャヤバルマン7世が母の菩提を弔うために建立したと言われています。
 ガジュマルの木が、鳥の糞によって運ばれ大きくなり、ちょうど巨人の足が遺跡をふみつけているようにも見えたり、面妖ながら芸術的な威厳があります。
 ガジュマルの侵食が遺跡の崩壊を促していますが、木々を撤去すれば、遺跡まで崩壊してしまうほど、浸食しています。
 回廊をわしづかみにしているマングローブの木です。
浸食した樹木
樹齢300年とも500年とも言われます。自然の生命力を痛感します。

木の根っこの間に、仏様が見えます。

崩れた石は、そのまま放置されています。文明から隔てられた歳月の長さを感じます。

この建物の中で胸を叩くと、音が共鳴して響きます。

この建物の直径5cmほどの無数の穴の中には、ルビーなどの宝石が埋められていたそうです。
今は、全て盗難にあっています

4人も写ると後ろが見えませんが、建物の石造りの上に、巨大なマングローブがそびえ立っています。
カンボジア料理

カンボジア風ココナツカレー

 トイレの話で恐縮ですが・・・・
 トイレの中に、大きなブラスチックのゴミ箱があるときは、紙を流さずその中に入れのが常識となっています。 水量が少ないため、詰まってしまうためです。
 日本人旅行者が良く使うレストランで食事のあと、トイレに行くと、長い列ができていて、トイレから出てきた人は、申し訳なさそうに「今の紙詰まりは、自分が原因ではなく、前の人からです。」と申し送りをしています。 私も、その申し送りをした方が良いのだろうと、後ろを向くと、日本人ではなく、英語でなんて言ったらよいのか分からず、黙って変わってしまいました。
トレンサップ湖
 シェムリアップから南に10kmにある、東南アジアで一番大きい湖をボートに乗って、ほんの入り口付近を周遊しました。
 琵琶湖の13倍あるそうです。途中、道が舗装されておらず、大変揺れました。
 現在は乾季で、水量が少なく丘のようにみえていますが、雨期には、水かさが増し、全て湖の中になるそうです。
 今は乾季のため、水が大変に濁っています。
水上生活
 簡単な舟を3艘つなげて、水の多いところへ、引越だそうです。

湖上に観光客相手の食堂兼お土産やさんの船があり、その2階デッキです。見晴らしがよく、いい風が吹いています。

 ワニを養殖しています。
うじゃうじゃいます。 2〜3歳ぐらいで、1匹100ドルぐらいで売られて、皮製品になるそうです。

 水上の自宅横の小屋で豚を飼っています。
 幸せそうに昼寝をしていました。

水上小学校
日本の援助で建てられた小学校です。勿論、湖上に浮いています。バスケットコートもあり、ボールが飛び出さないように、周りを全て金網をめぐらせてありました。
船着場にある家は、皆、大変粗末です。雨期になって水かさが増えると、家ごと移動するそうです。
 カンボジアの住居は、高床式になっています。湿気をさけ、洪水になっても浸からず、猛獣や昆虫や屋虫類の侵入を防ぐためだそうです。
 目が点になりました。
       

生きている鶏の足をくくり 50羽ほどバイクで運んでいるところ、
アンコール・ワット
Angkor Wat
 1113年、クメール朝、スリーヤバルマン二世によって建造されたヒンズー教の寺院。
 完成に30年以上の歳月が費やされたと言われています。
 アンコールは「王都」、ワットは、「寺院」です。
 1992年に世界遺産に登録されました。
 塔堂は、3層のピラミッド状で、塔は「神が住む山」。堀は、「大海原」、堀の周辺は「ヒマラヤの霊峰」をあらわしているそうです。
 西塔門をくぐり、さらに350mほど参道を歩くと本殿に到達します。途中、左右に蓮池が配置されています。水に映ったアンコールワットは、とても美しいです。
西参道  西参道 環濠にかけられた橋。日本の上智大学の協力を得て現在修復工事中という説明でした。
 アンコールワットへの入り口です。
参道の両側に大蛇(ナーガ)をあしらった欄干がかけられていたそうですが、ほとんど残っていません。
 お坊さんには、女の人が触れてはいけないそうです。
西塔門  西参道を渡りきると西塔門があります。西塔門から見るアンコールワットは、感動的です。
 正面からの尖塔は3つしか見えませんが、横から見ると5つ見えます。
蓮池、水に映ったアンコールワットは、とても神秘的です。  ヤシとココナッツは、木が違うという説明を聞いています。(右)
ヤシの葉っぱは大変鋭く、ポルポト時代、人の首を刎ねるのに使われたそうです。
第一回廊  本堂への階段を上がると、第一回廊が760mもあり、壁面彫刻が見られます。石の彫刻ですが、鉄のように黒く光っています。
 マハーバーラタ物語の場面で、2つの戦いが描かれているそうです。
第3回廊  第3回廊へと続く、険しい階段。高さ13mある急斜面です。
 怖くて、へっぴり腰になります。
第1回廊
 第1回廊の連子窓から、外側をみたところです。

連子窓から外の景色です。

降りるときは、もっと怖かった。
女神のレリーフ
 回廊のあちこちにデバターといわれる女神のレリーフが大変美しい。
回廊の柱に、寛永九年(632年)
アンコールワットを訪れた森本右近太夫が仏像を4体奉納したとかかれています。(ガイドは落書きどと言っていましたが・・)

夕日を見ながら
(絵になるな〜)
プノンバケンの丘
Phnom Bakheng
 900年代にヤショバルマン一世によって建造された丘の上に建つ寺院。
 当時、都の中心でもあり、神王崇拝の場所でもあったそうです。
 皆、夕日を見るために、この丘に登ってきます。

 きつい坂道を登りました。足元が悪く大変でした。象が通る別の道があったそうです。

 プノンバケンの丘から、アンコールワットを望んだところです。
夕日
ガイドさんの考えた、「夕日を持つポーズ」です。

夕日のとても綺麗なところです。

刻々と変わる夕日の色です。
カンボジア料理と
アプサラノ舞

Apsaras Dance
 女神アプサラのダンスは、アンコール王朝時代、儀式や宮廷の祝い事の時、踊られたました。
 クメール族の宇宙観を表していると言われ、天女の美しいしなやかな動き、手や足の指の反りは、どんな風に関節がついているの?と思いたくなるほど反っていました。
 普通の衣装で、「魚捕りダンス」などもユーモラスでした。
 ポルポト政権下で、舞踏家や楽師も弾圧を受け、絶滅の危機にあったそうですが、王室や生き残った舞踊家達の手によって復興されたそうです。
カンボジア語  カンボジア料理は、全体的に辛くなく、香草などもあまり使われず、シンプルな味付けでした。野菜や果物を使ってすっぱい味を出すのが特徴だそうです。カボチャプリンは、こちらの名物でした。
 写真は、飲み物の領収書ですが、カンボジア語を見ていただきたくて載せました。
アンコールワット
の朝日

2006年1月26日(Thu)
 昨日は、疲れたので、美味しいカンボジア料理とアプサラダンスの後、マッサージに行き、ホテルに戻って来たのが、11時でした。
 でも、アンコールワットの朝日が素晴らしいと聞き、朝5時に目覚ましを合わせて、眠たい目をこすりながら、6時前からアンコールワットの遺跡の前で、沢山の観光客と一緒に朝日を待ちました。
 写真は、しらじらと夜が明けてきたところです。しかし、しばらく経って曇っていることが分かりショック。ついに朝日を見ることはできませんでした。
 向かって右肩から朝日が昇るそうです。(残念!)
パンテアン・スレイ
Banteay Srel
 「女の砦」という意味です。
彫刻が綺麗で珍しく紅色砂岩に彫刻されています。
 格調の高さを感じます。
 近年、開放されたばかりの幻の遺跡ですが、遺跡保護のため中に数メートル離れての見学となりました。

「東洋のモナリザ」と言われています。
ロリュオス遺跡
ロレイ
 ロリュオス遺跡は、アンコール遺跡群の中でも大変古い時代のもので、あまり、保存状態がよくありません
 ロレイは、898年ヤショーバルマン一世によって建てられました。 
 右の写真は、リンカといって、聖なる水を汲むところです。
プリア・コー

 879年インドラバルマン一世により建てられました。
バンコ
 881年、同じくインドラバルマン一世により建てられました。 祠堂の四隅に石の象が配置されていました。 



 遺跡観光は、これで最後です。
オールドマーケット
Old Market
 シェムリアップ川沿いに建つオールドマーケットは、市民の台所です。ごちゃごちゃと、薄暗い中に沢山の店が混在しています。
 また、食料品や籐製品や、銀製品、民芸品などところ狭しと並べられています。活気に溢れ、エネルギッシュでした。
 

 ルビー(と信じている)直径1cmほどのペンダントトップ。
 プラスチックの容器がまた何とも言えないけど・・
 こぎたないオールドマーケットの一角に宝石店が何軒かありました。ガイドさんが、「カンボジアは、ルビーとアクアマリンが取れるから、もし、欲しかったら私に言ってください。ルビーは、クリスタルと、本物の石があり、素人は見分けがつけにくいから、私が良い店を紹介するから」というのです。
 どこまで、この人を信用して良いのか分かりませんでしたが、日本の大手ツーリストの現地ガイドだし、騙されることはないかなと判断しました。
 宝石といっても、1万円ほど。可愛いのがあったので、小さいルビーを買ってもらいました。(宝石でそんなに安いのは怪しいですか?) 
 私達が値切ると店の人は、「アカジ。アカジ(赤字)」というのです。日本人が良く来る店のようでした。 

 オールドマーケットで13ドルで買ったテーブルクロス
 
 カンボジアは、長い内戦がやっと終わり、1991年シアヌーク殿下が帰還し、UNTACとともに平和維持活動が行われ、まだここ5年ほど前から復興し始めたところだそうです。
 ガイドブックにも、「銃器による殺人や強盗がるので、夜間はであるかない。地雷を踏む恐れがあるので、草むらへの進入は絶対に禁止。」と書かれています。
 ガイドのサムウンさん25歳の戦争中の両親の悲惨な話をお聞き、「ずーと平和が続きますように」と祈らずにはおられませんでした。
 
 私はベトナムのハノイへ、両親と叔母は、ベトナムのホーチミン経由で関空へ。
 これで、今回の旅は終わります。
 
 「オークン (カンボジア語で “ありがとう”)

2006年1月22日(Sun)
 昨日、教えて頂いたように、湖の周りに、10cmぐらいの赤い魚(鯉)3匹と、家で(昨日紹介した写真の)帽子靴セットの前にお線香を上げて祈り、その後燃やし、灰を魚と一緒に池などに捨てるために 入れ替わり立ち代り、人がやってきます。
 ビニール袋をぶっちゃける人、ビニールごと投げ入れる人、手で掴んで湖に放してあげる人、様々でした。
 でも、鯉などを入れてきた袋は、そこに捨てて帰るのです。お掃除の人が来るから、いいのでしょうか?
 2006年1月21日(Sat)
 ベトナムの歴史にお詳しいSさんから、私がHPで1月18日に掲載した、「紙で作られた帽子と靴について」のメールをいただきました。何をするものだろうと思っていたのが、はっきり分かって、なんだかすっきりしました。 頂いたメールをそのまま、載せさせていただきます。ありがとうございます。
 『明日、旧暦12月23日に池や湖で人々が魚を放す光景が見られると思います。 これは、ベトナムのそれぞれの家に祀っている竈(かまど)の神様が、この日に天に帰り1年その家であったことを天の神様に報告するということで、乗って帰る魚です。街中で売られている紙で出来た三色セットの帽子、靴は、その竈の神様(3人いる)のためです。』

 明日、その光景がうまく見れたら良いのですが・・・
 夜、主人の会社の若い方が、(忘年会でしょうか)鍋パティーとカラオケパーティーを計画されていました。
 その席に私達夫婦とGさんを招待して下さいました。
 皆、とても明るくて、仲が良くて、一緒にいている私達にとっても、楽しい時間でした。
 地方から、ハノイに来ている人が多いので、テト(旧暦正月 1月29日)には、それぞれ郷里に帰られるそうです。

 建物の奥のほうに、お座敷があり、タイルの床にゴザを敷き、低い机を並べて鍋パーティーです。良くハヤッているお店でした。

 カラオケも健全なところでした。(カラオケの意味が、べトナムでは、日本より広く使われているそうです?)
2006年1月20日(Fri)
 テトに玄関に金柑と桃を飾ります。金柑はの黄色は、輝く果実にお金を表し、富が得られるようにという願いが込められているそうです。そして、以前にも書きましたが、赤は幸せを呼ぶ色で、幸運が訪れるよう桃の花を飾るそうです。
 Kさんのお住まいのアパートのエントランスに飾られていました。
 お土産やさんで見つけた、石で造られた四猿
 日本では「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿ですが、ベトナムでは、お腹を押さえた猿がもう一匹いました。 「十分食べた」という意味だとお店の人の説明でした。
 夜、ホテルとアパートの間のハノイで一番大きいプールサイドで、韓国の自動車会社の大きなイベントをしていました。部屋の窓から見えます。それより、凄い音量でするもので、窓を閉めていても、とてもよく聞こえるのです。ベトナムの経済発展に伴って、これから、バイクから車にシフトする人が増えるのでしょうね。
 ハノイで住んでいる韓国人は、日本人の5倍いるそうです。それだけ韓国企業の進出が進んでいるということでしょうか。
2006年1月19日(Thu)
 プリンターのインクが切れてしまい、近くのhp社の取り扱っているところに行くと、我が家のプリンターのインクの型番がありませんでした。困ってしまってKさんに連絡すると、ちょと遠いメトロという大きなショッピングセンターまで車を回してくれることになりました。
 インクはあったのですが、なんとテト前で凄い人で、どの人も、カート山盛りの買い物なのです。 まず、駐車場は満車(8割はバイク)。品物を乗せて押すカートは、全部で払って順番待ち。最後にレジで、1時間半待ちでした。レジの係りは、日本のように、速くしようという気は、さらさらなく、待つのは、「客の勝手」ぐらいに思っています。そして出口では、もう一度、品物のチャック(レシートと買った品物の突合せ)があり、また、時間をとられます。
 テト(旧暦の新年)は、お店が皆閉まるそうです。なにより、ベトナム人にとって、とても大切は行事です。 Kさん、いつも振り回してしまってごめんなさい。
2006年1月18日(Wen)
 今日は、とても良いお天気で、何と“29度”まで気温が上がりました。
コートを着ている人もいましたが、半袖でも寒くありませんでした。
 まだもう1回、寒いときが来るそうですが、今日は初夏のようでした。

 最近このような紙でできた帽子と靴が、魚の絵と共に売られているのをよく見かけます。


オーラックハウス(ベトナム料理屋さん)
2006年1月17日(The)
 2ヶ月に1度の、主人の会社の奥様方の集まりがベトナム料理屋さんでありました。 そこで、Hさんにお会いしました。Hさんは、12月26日にハノイに来られました。
 以前、Hさんが、まだ、日本にいるとき、ベトナムの幼稚園の情報をインターネッットで探しているときに、偶然私のHPを見つけてくださり、メールを下さったのです。
 私はたまたま、Yさんのお子さんが「さくら幼稚園」に車で送っていかれるのに、同乗させていただいて、HPに写真を載せていたのでした。
 メールをやり取りするうち、東京にお住まいだったのに、実はご実家が私と一緒の奈良県の同じ沿線だったり、主人の勤め先が、同じ組織だったり、・・・・こんな偶然があるのかな、と思うほどでした。 そして、今日、かわいいお子さんも一緒に、Hさんと会場で初めてお会いしました。 かわいい方でした。
2006年1月16日(Mon)
 テトの飾りを売る店が軒をつらねます。
赤いちょうちんに「大吉大利」「萬事如意」と書かれ、中国風の男の子と女の子も描かれています。

 壷に生けてみました。

 払った小枝でアレンジしました。
 kさんから桃の木をいただきました。
 テトには、玄関に桃、と金柑の木を飾るそうです。
 赤は幸せを呼ぶ色とされ、桃は幸運の訪れを願う意味があるそうです。
「幸運が我が家にも来ますように!!!!」
2006年1月15日(Sun)
 ベトナムの人の足は、バイクです。電車が殆どなく、時刻表のないバスも使いにくく、タクシーは割高、まだまだ、自家用車を持つまでにはならないので、結局、便利なバイクが街中に溢れます。
 年末年始のベトナム旅行中で、あちこちのベトナム人のガイドさんに言われました。“「ホンダ」のバイクは、値段は高いが、クオリティーが良くベトナム人に大変、人気がある。 そして「HONDA」に良く似た「HONGDA」という中国製の少し安いバイクがあり、その「HONGDA」に「HONDA」のステッカーを貼る人もいる。
 「バイクを持っている」ということは、「仕事がある。」 そして、「仕事がある」ということは、「結婚できる」 だから、先ず、「バイクが欲しい」”と言っていました。
 今日は、日本も3月なみに気温が上がると、ニュースで言っていましたが、ハノイも大変暖かく、春のような暖かい南風が吹いています。 窓から見えるツーレー湖に浮かぶスワンボートに、ついつい乗りたくなりました。
2006年1月14日(Sat)
 アパートのレセプションから「毎年恒例のメンテナンスで Power interruptiion 電気供給を一時的に中断を AM2:00にします」というお知らせが、前もって各戸にありました。
 すっかり忘れて寝入っているAM2:00、予告通り、電気が切れたため、廊下に非常用のライトがつき、そのあと、切れていた電気が繋がると、今度は、室内のプリンターの電源が入ったため、通常のクリーニングが始まり、カタカタと動き出し、とてもびっくりしました。プリンターの電源を抜いておけば良かったと思いました。
 写真は、瀬戸物売りの人です。大きな花瓶や鉢を自転車に積んで売り歩きます。
2006年1月12日(Thu)
 初めてゴルフコースに出ました。ハノイから車で1時間。ボートに乗り、ゴルフ場に入ります。何も知らない“ドヘタ”な私を、Fさんは連れて行ってくださいました。ありがとうございました。
 本当に気持ちの良い広々とした場所で、リゾート地のような感じでした。
 ゴルフの方はと言うと、空振りはする、当たったと思ったらボールが池にはまる、バンカーに入る、木に当たる、と散々で、途中で、手で掴んでコースに戻したりもして、大笑いしながら、とりあえず、9ホールで終わりました。練習場とは感覚がかなり違いました。でも、3回ぐらい、ちゃんと真直ぐ飛んだときがあって、その気持ちよさは、忘れられません。
 キャディーさんも、スコアーのつけようがなかったらしく、スコアー表はもらえませんでした。
2006年1月11日(Wed)
 路線バスから、外を眺めていたら、バイクの自分とハンドルとの間に仰向きになったを2匹(肉になる前の状態です)積んで運んでいるのを発見!!
 荷台に生きた子豚をケージに入れて運んでいるのを見たことはありましたが、・・・
 この頃、鳥インフルエンザが収まったのか、鶏肉や、生きた鶏を運んでいるのも見かけます。スーパーにも、鶏肉や卵がまた出始めました。
2006年1月9日(Mon)
 今日は、日本人学校の3学期始業式です。
 子供達が学校に行った後、奥様方とさっそくユニマート(日本食材が揃うスーパー)へ。
 こちらのお正月は旧暦なので、今年は1月28日です。テトと言い、1月27日の大晦日から約1週間は、いろいろなお店などがお休みになるそうです。
 お正月に飾る木製の壁掛けも売っていました。
 そして、テトには、日本と同じように、子供にお年玉を渡すらしく、スーパーの前には、お年玉袋が売られていました。
 赤いお年玉袋に赤色をした新札『500VND(4円)、10000VND(70円)、50000VND(350円)』を入れると、ラッキーカラーとして喜ばれるそうです。
 今日は、息子の成人式です。大学入学式に着ていったスーツがあるので、それを着ていくよう言いました。娘と違ってお振袖の着付けや、頭のセットや、記念写真の予約などは必要ありませんでしたが、やはり、一緒に祝ってあげたかったです。
 一緒に祝うと言っても、友達同士で出て行ってしまって、特に親は何もすることがないかもしれませが・・・
 お祝いの言葉だけ、メールで送っておくと、息子から、友達と楽しく笑っている写真が添付されて返事が返ってきました。
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