2005年10月31日(Mon)
 今日は、ハロウィン(Halloween)で Oさんのお子さん2人が、可愛い仮装をして来てくれました。写真では、わかりにくですが、お兄ちゃんは、魔女のとんがり帽子をかぶっています。
 そのあと、このマンションに住む、日ごろ何の付き合いもない、韓国人やロシア人の子供達がPM7:00〜PM8:30のの間に、5人ぐらいづづ、約30人が、我が家のインターホーンを押して「Trick or treat (お菓子くれないと いたずらするぞ)」いいながら、仮装してやってきました。慌ててお菓子を買ってきました。
2005年10月28日(Fri)〜31日(Mon) 
SAPA サパ 旅行
(上から下へ読んでください)

ハノイ駅B駅ホーム
2005年10月28日(Fri)
 夜行列車にのり、ハノイ(HANOI)駅からラオカイ(LAOCAI)駅に出発!
夜のハノイ駅、ベトナム人でごった返していました。ハノイ駅にはA駅とB駅があり、A駅は、ホーチミン方面のベトナム縦断鉄道、B駅は山間部へ行く列車の始発駅です。間違わずにB駅へ。10両ぐらいつないだ中に、ヴィクトリア号があり、殆どの日本人はこの豪華列車に乗り、サパの宿泊もヴィクトリアホテルにするそうです。
 でも、私達2人は、所持金の関係上、別の車両の寝台車へ。そこは4人1室で、60cmほどの幅の2段ベット。見ず知らずスコットランド人の男性と、ベトナム人男性と同室となりました。寝台車の中でもちょっとましな方で、板だけでなく少しクッションがあるソフトスリーパーというエアコン付き車両です。
 2段の上に上がるのに、階段はなく、はしっこに、10cm×5cm程の足置きに片足をかけて、手すりを持ちよじ登ります。
 時速30kmほどのスピードで、ロンビエン橋を渡り、いざ、サパへ・・・・
 トイレが、ベトナム式和式トイレで、しかも、電車が発車するまで使用できません。と言うことは、昔のJRのように、汚物は、線路に・・・・?
 80cm程の通路を隔てて、見ず知らずのスコットランド人のおっさんの顔があるのです。寝られないかも知れないと思ったけれど、知らない間に、慣性の法則に身を任せながら、眠ってしまっていました。(どこでも寝られる。これって特技??)

寝台車の中 上下二段ベット
 2005年10月29日(Sat)
 翌朝 ラオカイ駅に6:00に到着。予定では7:00着だったので、あわてて、荷物をまとめて下車しました。車内もホームも何の放送もありません。
 あいにく雨が降り出しました。この雨は旅行中ずーと降り続きます。
10月〜11月は、ベストシーズンとガイドブックに書いてあったのに!!!
どこが、ベストシーズンだ!!! 「雨期は6月〜8月とちゃうの?」と呟いてみてもお天気のことなので どうしようもありません。
 ラオカイ駅の改札を出た、細い通路に、名前の書いた紙を持った人が30人ぐらいいて、その名前の中から自分の名前を探します。私の名前の紙をもった人の後について行って、マイクロバスに乗り、山道を1時間かけて上がっていきます。
 サパは、ハノイから、北西へ400kmのところにある山岳の町です。20世紀初めフランスの統治時代に開拓された小さな街で、標高1650mの高原の避暑地です。
 周辺には、少数民族の村が点在していて、その中のいくつかを今回は訪れることになっています。
 棚田がきれいなことで有名です。
 「ヤッター! 今回のホテルは、シャワーだけではなくバスタブがある。お湯も出る。」喜んだのもつかの間、バスタブに半分ぐらいお湯をはったら、途中から、水になりました。
 クローゼット。開けてびっくり。驚くほど かび臭い!! 開けたその手で閉めました。布団も少しかび臭い。
 しかたないか。安いホテルだし。これだけ雨が多いんだから・・・・。
無駄に、ベットの上にレースの天蓋が、付いています。
 サパに付き、一番先に買った物は、「長靴」でした。こんなぶさいくなもの、と思ったけれど、ずーと雨でお世話になって、感謝の気持ちが芽生え、捨てられなくなり大都会のハノイまで大事に黒の長靴を持って帰りました。

CHO SA PA 
サパ市場
 午前中、サパ市場を訪れました。モン族、花モン族、ザイ族、ザオ族など少数民族の人が来ています。土曜日と日曜日だけ集まるそうです。それぞれ独特の衣装を着ています。
 背中に、かごを背負っていて、観光客はセールス攻勢を受けます。
サパ市場は、1Fが食料品、2Fが生活雑貨と少数民族(マイノリチィー)の人のお店です。

モン族
(袖口に刺繍の入った紺色のシャツ、スカートソックスを着ています。)

楽器(アイヌの人が持っているムックリに似ていて、口の中で音を増幅させます。)

一生懸命鳴らして見せてくれたので、1つ買いました。
左の写真と同じ人です。

タイ族
黒いパンツに紺色のシャツ。かぶりもの着用。

赤ザオ族
刺繍の入った黒い上着。頭に鈴のついた赤い布を巻いています。

赤ザオ族
頭に赤布をまき、眉と髪を剃っています。
 サパは、小さな町で、1時間もあれば十分1周できます。
 サパ教会は、中には入れませんでした。街のシンボルのようになっています。
 生活雑貨や、路上市場、などをみてまわりました。

路上でとうもろこし、栗、サツマイモなど、炭火で焼きながら売っています。なかなか美味しかったですよ。

焼きおにぎりのような感じでした。練炭の上に鉄板を置き、油を敷いて焼きます。
 午後は、ガイドが付いて、カットカットビレッジ(CatCat)へ、美しい棚田、晴れていたらもっと良いだろうと思いながら、モン族の村を訪ねます。
 ずーと棚田の間を下っていきます。水牛や、黒豚、ヤギ、鶏、が、棚田の中に放し飼いになっていて、私達は、そこいらの糞を踏まないようにしながら、降りていくと、滝がありました。4時間ぐらいぶらぶら歩きました。
 のんびりした気分でした。

きれいな棚田(ライス テレス フィールド)です。

赤ちゃんを背負って買い物にいく人

谷底まで降りると、滝がありました。
 夜に、別の近くのホテルでモン族の伝統舞踊を見ました。
何箇所かのホテルでナイトエンターテインメントがあるようです。
 ショーの最後に、舞台後ろの壁にかかっている水牛の角の中に、ライスワイン(焼酎)が入っていて、踊りながら振舞ってくれました。
2005年10月30日(San)
 まだ、雨が降り続いています。今日予定されていた、赤サオ族のタフィン(Ta Phin)村へのトレッキングは、標高が高く、霧が発生して、何も見えなく、悪路のため、モン族のラオチャイ(Lao Chai)村とザオ族のタヴァン(Ta Van)村へのトレッキング(山歩き)に変更になりました。メンバーは、ドイツ人2人、スイス人1人、ベルギー人2人と私達2人とガイド(地元の女性)でした。皆、20歳代でフットワークが軽く、私達は、遅れないようについていくのがやっとでした。
 歩いて30分ぐらい、竹で作った杖を持った、沢山の子供達に取り囲まれました。杖を売りに、きたのです。そこからが、杖が必要なほど悪路でした。
 昼食のところで、トイレの場所を聞くと、少し離れた田んぼの方のブルーシートを指差しました。究極のエコトイレです。
 田んぼの水路に、丸太が4本渡してあって、それをブルーシートで囲っています。排泄物は、すぐ下の水路に流れて行き、そこには豚が放し飼いにされています。多分、豚の餌になるのだと思います。
 タヴァン(Ta Van[)村に、ひときわ立派な建物があり、日本とベトナムの国旗のプレートが、校舎の壁にはめ込まれていました。「日本のJICAの援助で、学校が出来た」と、ガイドの方は、喜んでおられました。

途中で出合った、花モン族の人です。
 道は、どろどろ、がけ崩れの箇所もあります。棚田に水を引く水路は、何箇所も水が溢れて、どのように通っても、足が濡れますが、初日に買った「長靴」のお陰でうまく歩けました。
 途中で、ベルギー人の2人の女性は、ザオ族の村にホームステイするとのことで、その村に留まりました。私達より、もっとディープな旅です。
 

自分達が作った刺繍の鞄などを売りにきます。

ここでモン族の村が終わりです。

ザオ族の民家です。
 帰りは、途中で、ジープが迎えに来てくれました。リアガラスのない、自然と一体感のある5人の乗りのジープに6人押し込まれてサパのホテルへ帰りました。
 今日の6時間のトレッキングは、昨日よりずっと厳しかったです。
夕方、ホテルからラオカイ行きのマイクロバスに乗り、帰路につきました。 
夕食をラオカイ駅の近くで食べました。そのとき飲んだ「ラオカイビール」です。コップについでも泡がでません。アルコール度も3.8と低く、薄いビールでした。 4人部屋、寝台車でラオカイ出発。ハノイに着くのは、朝5時です。
今回は、ずーと雨で、美しい棚田も霧に隠れてシャッターチャンスが少なかったけど、今度は、良いお天気の日に行きたいです。
2005年10月31日(Mon)
 帰りの寝台同室に、日本人女性と一緒になりました。ベトナムは6回目(ハノイ2回目)だそうです。静岡県の方で、一人で旅行中。明後日には、ホーチミンで知り合いの結婚式に参列されるとか・・・・
 とにかく朝5時の薄暗いハノイ駅で、夜が明けるのを待つものどうかと思い、自宅にご招待しました。お風呂に入ってさっぱりしたあと、朝ごはんを食べて、大教会の中をと案内して分かれました。
これで、今回のサパ旅行は、終わりです。
2005年10月27日(Thu)
 ハノイオペラハウスで、オペラ「I PAGLIACCI パリアッチ」を見ました。
 プログラムは、パート1とパート2に別れていて、バート1は、ソリストたちが、自分得意なものを歌っていました。スペシャルゲストのソプラノ Gillian Humphreysは、プッチーニの「Gianni Schicchi (ジャンニ・スキッキ)の O mio bibino caro(私のお父さん)」など、それぞれ聞き応えがありました。
 パート2は、オペラ「I PAGLIACCI パリアッチ」です。オペラ自身は、イタリア語のため、舞台の右上の方に、ベトナム語と英語の字幕が出ます。(日本語の字幕も欲しい!!!!)
 物語は、喜劇なのですが、舞台裏の様々な人間模様がし進行していき、最後の一速即発の場面で、テノールが鳴り響きます。
 ハノイ インターナショナル クワイヤーも出ていて、私が練習にお邪魔したとき、練習されていたのは、2幕のはじめのところでした。
 イギリスからの客演だったらしく、協賛が、イギリス大使館や、EU(ヨーロッパユニオン)になっていて、始める前に、イギリス大使が挨拶されていました。
 パート1とパート2の間の休憩には、ワインやケーキ、オードブルなどのサービスもあり、とっても、リッチな気分になりました。
 帰りのタクシーは、前回の教訓(オペラハウスの前で、“乗らないか?”と呼ばれたタクシーに乗って、料金を倍、ぼったくられた)を生かして、今回は、ヒルトンホテルの前から、タクシーに乗りました。ヒルトンホテルの前は、ハノイタクシーだけなので安心だし、その上、ドアボーイの人が、タクシーナンバーを、書いたカードを手渡してくれて、「何かあったら、ヒルトンホテルへ」と言う感じで、タクシーに責任を持ってくれます。この情報を、Oさんから教えてもらいました。お陰で、今回は、ちゃんと帰れました。
2005年10月26日(Wen)
 1週間前に撮ったアオザイ変身写真・・・見るのがちょっと怖い。でも見たい。 開けてびっくり「うるわしのビューティーペアー」か、「熱海の海岸・寛一お宮」の出来上がりです。
 5ポーズづつ撮ったのですが、Kさんは、お顔のアップが多く、私は全身写真が多かったのはどうして? 私のは、アップに耐えられなかったから????
 夜、帰ってきた主人に写真をみせても、反応はあまりありませんでした。多分、主人にとっては、どうでも良いことだったのでしょう。 

揚げバナナ Chuoi chien チュオーイ チエン
料理用の小さいバナナを油で揚げて、おやつとして路上で売っています。
良い香りに、ついつい買ってしまいました。7円です。

ご飯やさん。10品ぐらい並んでいて、自分の食べたいおかずを言うと(指差し)、ご飯の横に盛ってくれます。100円ぐらいでお腹一杯です。
路上ではなく、家の中のお店です。
 Kさんと別れて帰るのに、路線バスを待っていたとき、目の前で、交通事故がありました。 タクシーが、反対車線にはみだして、前の車を追い越そうとして、前から来た、バイクと正面衝突!
 幸い、怪我ですんだようですが、ものすごい音がして、バイクが転倒し、車のボンネットの上にバイクの人が、乗りあがりました。後で、震えがきました。
 ハノイは、増える車とバイクに、道路の整備が追いつかない状態です。交通ルールがいい加減で、その上、信号が少ないので、本当に危険です。
2005年10月25日(Tue)
 ベトナム産「テディー ベアー」です。
 アオザイを着て、ノン(スゲガサ)を被っています。オーダーすると足の裏に刺繍を入れてもらえます。ベトナムの国旗の「赤い星」と、ベトナム語表記で「ハノイ in ベトナム」と「名前」を刺繍で入れてもらいました。
 今日から我が家の一員です。 
2005年10月24日(Mon)
  「CHO 19-12」 「12月19日 市場」の名前の由来が、分かりましたので、10月22日の市場のところ書き直していますので、ご覧になってください。
 今日も、食べ物のご紹介です。
 「豚まん Banh bao バインバーオ」といい、中に「うずらの卵」や、「ベトナムハム」が入っています。 (551蓬莱の豚マンが食べたい!!!!  日本の豚マンの方がおいしいです。)

今日の我が家の朝食です。(また、手抜きですか?という声が聞こえたような・・・) 
2005年10月23日(Sun)
 天秤棒で売っている軽食2品を紹介します。どちらもバナナの葉で包んで、蒸しています。
 左がbanh chung バイン チュン ベトナムちまきです。テトの料理らしいのですが、ハノイでは、軽食として、よく食べられているそうです。胡椒が利いた、もち米でした。
 右は、banh gio バインゾー です。米粉で出来ているので、外側は、プルンとした感じ、中は、ひき肉と、きくらげが入っていました。温かいうちに食べるそうです。ベトナムの朝食の1つです。  
 アパートの植え込みの部分が結構広くなっています。そこで、新郎新婦が、カメラマンを連れてきて、撮影していました。ここが終わると、道路の真ん中に車を止めていて、その前で、ハイポーズ! ウエディングカーは、きれいにお花でデコレーションされているので、すぐに分かります。他の車が行きかう中、撮影されていました。車に気を付けてくださいね。カメラマンも一緒にパチリ。
2005年10月22日(Sat)
 ベトナム人は、よく外食をします。朝6:00ぐらいから、いろいろな、麺やご飯のお店が開きます。しかも、10000VND 70円で結構、美味しく手軽に食べられます。  店としては、クーラーなし(道路方に向かってオープンで、外からガラスも扉もなくそのまま店になっている)、英語が通じない(ベトナム語だけ)、椅子は、お風呂の椅子より少しましなものがある。と言うぐらいの地域に密着したものです。 
 我が家も本日の朝食は、ベトナム人のように外食です。「Xoi ソーイ おこわ」屋さんに行きました。おこわ(もち米)の上に、豚肉がのっている、Xoi trung thit gio cha をいただきました。とても、ボリュームのあるおいしいもので、卵焼き(日本よりちょっと甘め)もついてきます。 
食後のフレッシュジュース(sinh to シントー)です。どちらかというと、シェイクという感じです。
左が、パッションフルーツ(chanh leo)、右が、アボガド(bo)です。
 この おこわ屋さんで、たまたまお知り合いになった、Nさん(男性)とベトナム人のDungさん(男性)に、この後、市場「CHO 19-12」と「ハンザ市場」につれて行ってもらいました。Dungさんは、日本料理屋さんを経営していて、日本(東京)に3年間、住んだことがあり、日本語がかなり上手です。

CHO 19-12」市場
 「CHO 19-12 」これが、市場の名前です。「CHO チョ」は市場の意味です。 「19-12」は、12月19日の意味で、「12月19日 市場」と言います。
 これは、1972年12月19日にベトナム戦争でアメリカ軍が、ハノイを大爆撃し始めた日を忘れないように、この名前がつけたそうです。
 この命名もすごいですが、 その名前の前についていた名前もまた凄いのです。
 それは、「地獄市場」と言うそうです。それは、この写真にもあるように、犬など生きていたものの食材を沢山取り扱っていたからだそうです。 

 何と犬の丸焼きが、何匹も積み上げられていました。確かに尻尾があり、犬です。香ばしい臭いがします。横でぶつ切りにして売っていました。
 バイクの前のかごに、1匹丸のまま、乗せて帰る人もいました。
 私がこれを食べるのは、ちょっと勇気がいりまが、ベトナム人にとっては、高級食材なのだと思います。

スッポンです。

バナナの花 

スッポンを甲羅から離しています。


何軒も続くバナナ屋さん

食用蛙が飛び出さないように、20匹ほど網の中にいれています。横に、皮を剥かれた蛙も並んでいました。

山の芋(Dongさんは、山かけ、とろろ、山芋短冊など、お店で出されるそうです。1つ分けてもらいました。)
Duugさんは、大和芋(左の写真)を、100Kg買われました。一年中で、今の時季しかないそうです。形は、日本のものと違いますが、味は、同じだそうです。
 これに良く似た形で、中が紫の芋は、一年中手に入るそうですが、味が日本のものとは違うと言っておられました。
 市場のハシゴで、「CHO Hang Da ハンザ市場」へも、連れて行ってもらいました。
 ここは、バッチャンまで行かなくても、バッチャン焼き(瀬戸物)が、いろいろ安く揃うことで有名です。ところが、私が買おうとした、バッチャン焼きの鯨の形の箸置きが、1つ13000VND 100円と言うのです。 それを横で聞いていたDungさんが、「それは高い」と値切ってくれ、1つ2000VND 15円 になりました。 お店のお姉さんは、私が、ベトナム人と一緒に来ていることに気づかず、日本人なのでフッカケたようです。日本円にすると安いものですが、それにしても、6倍もの値段を平気でいうのですんね。
 市場のものは、野菜、肉、魚介類、全てに値段が表示されていません。いくらか聞いて、そこから、値段交渉が始まるのですが、なかなか言葉の問題もあり、店の言い値で買ってしまいます。ちょっと、ベトナム人が買うより高い目で買っているとは、思っていたけど、6倍もの値段を言われているとは・・・・
CHO Hang Da ハンザ市場」の特徴は、1Fにバッチャン焼き(瀬戸物)を、2Fに半端でない量の古着屋さんがあることです。



1Fの野菜売り場から、2Fを見上げると、服がずらっと吊ってあります。勿論、ショーケースもなく、食べ物の臭いが、そのまま、2Fへ・・・埃と一緒に吊っています。
2Fは全て古着屋さん。細い通路の両側に2mぐらいの間口の店が、びっしり取り巻いています。
昼食は、Bun Bo ブンボー ブンは、米からつくられるビーフンのことです。
 注文したのは、「ブンボーフエ」。フエの名物で豚の角煮や、さつまあげ風(中味は、魚ではなく肉)、四角く茶色く見えているのが、血の塊だと言ってました。 普通はちょっと辛味を入れて食べるそうですが、辛いのが苦手なので、置いてある唐辛子は入れませんでした。
ブンボーのお店で売っている、Nem chua ネムチュアです。サワーソーセージ で、バナナの皮に包んであり、少し酸味のある、ソーセージです。ベトナムでは、ポピュラーなおつまみです。
 ビールが欲しくなる味でしたが、太るので、我慢しました。
散歩の途中で見かけた、湖に降りる階段に付いていたモニュメント。
 これは、何をかたどっているのでしょう?
夏にロンビエンの橋の上でたまたま通りががった、花売りの自転車の荷台にあったのを買い求めたものです。 可愛い小さいピンクの花が咲きました。マイク真木の「バラが咲いた」じゃないけど、花が咲くと嬉しい気持ちになります。
 昼から、主人と二人で、散歩で、1時間ぐらい歩きました。
今、ハノイは、建設ラッシュです。自宅から、見えるだけでも、建設中のビルが、10棟みえます。そして、道路も、増え続けるバイクや車に対応するため、拡張整備をしているところが、何箇所もあります。
 この国は人件費が安いので、とにかく、機械ではなく人がいろいろなことを手作業でします。
写真は見にくいですが、長いフェンスを6人ががりで、提げてきて、設置しようとしているところです。







コンクリートの土管を工事現場で、木枠に入れて、1つ1つ手作業で作っていました。


セメントをバケツにいれ、天秤棒の前と後ろにぶら下げ、運びます。



道路わきの街路樹を植えるのに、15人ぐらいの若い女性が、土を運んだり土地をならしたりしていました。

ハノイ在住で、ベトナム宗教をご専門に研究を続けていらしゃる大西和彦先生のお話でした。
 2005年10月21日(Fri)
 ハノイ歴史研究会に2回目の参加です。
 今日は、陳朝(1225−1400) 陳日橘(チン ニッキツ)の話でした。「橘」は、正しくは「火」へんですが、PCにありませんので、ここでは「橘」を代わりに使っています。(すみません)
 この人は、大変、語学に優れ、外国人と盛んに交流されたそうです。文献から、宋人、冊馬陽(さっぱよう)国(現:シンガポール)の使者や、元の使者たちとも、通訳なしで話をしたと書かれているそうです。 占城(チャンパ)人と常に象に乗っていた。とか・・・という講義でした。
 この会は、月に1回で、来月は、バスに乗り、ハノイから少し離れ「バクニン省ディンバン村」へ行くそうで、楽しみです。
本日の昼食
Chao ga チャオガーという「鶏肉入り粥」です。鶏肉はひき肉状態で、米も、細かく刻んでから炊いています。写真に大きく見えている茶色のものは、パンを揚げたようなもので、好みにより入れて食べます。

市場でも、働くのは女性です。(豚肉を売っています。)
2005年10月20日(Thu)
 杉良太郎さんが、ベトナム親善大使として、4日間、ベトナムに来ています。
昨日のNHKの衛星放送のニュースで、出ていました。「障害者施設をまわったり、青少年の映画の交流をしたい」インタビューに答えていました。
 今日は、ハノイにいるようです。ひょっとしたら、偶然あえるかも・・・・私って、何てミーハー? 別に杉良太郎さんのファンでもないのに。
 「杉良太郎親善大使を囲んで」という商工会主催のイベントに、メールで問い合わせたら、「杉良太郎さんの都合でキャンセルになりました。」の返事でした。杉良太郎さんは、お忙しいようです。

男性は、集まってベトナム将棋をよくするようです。 「ベトナムの女性達! 花束1つでごまかされてはいけませんよ。」
 主人が帰って来て 『今日は、年に2回ある「婦人の日 Ngay phu nu quoc te
」の1日で、花束を女の人に渡す日だそうで、職場で、女の人に花束を渡した。女の人を慰労する日らしい』と言うのです。
 主人が職場で聞いたそうです。『そしたら、男性の日は、いつ?』 そしたら、『この女性の日の2日以外すべて・・・・』という答えが返ってきたとか・・・
 後の話は冗談として、『婦人の日』そんな日があるんだ。
 (そういえば、ベトナムの女性は、よく働きます。 男性の方が、暇そうに、集まってベトナム将棋をしていたり、たむろしていたりします。)
 「そうだ。 そしたら、私に花束は?」 と言う私の質問に、「うちは毎日、婦人の日。こちらが、慰労して欲しい」ですって・・・・どう思います。
 3月8日が、「国際婦人デー」なのですが、ベトナムでは年に2回あるそうです。
日本にいるとき、聞いたことなかったなぁと思って調べると、「1910年 コペンハーゲンの国際社会主義婦人会議において、政治上・経済上・社会上の男女平等を達成するため婦人デー開催が提唱された。」と書かれていました。社会主義国で盛んな行事なのでしょうか?
2005年10月19日(Wed)
 今日は、Kさんと一緒に変身をし、モデル気分で、スタジオで、アオザイを着て写真を撮ってもらいました。
 この写真は、撮影後、自分のデジカメで撮ったもので、今日、プロが撮ってくれた写真は、1週間後の仕上がりです。修正が凄くされていて誰だか分からなかったりして・・・・?
 5ポーズ撮りました。折角なのでツーショットをお願いしたら、Kさんがフロアーに横座りになり、後ろから私が、立てひざで、Kさんの肩にやさしく手を置き、寄り添う、ポーズをつけられました。出来上がりが、ちょっと怖い気がします。
@アオザイを選ぶ。
 80着ぐらいあるのに、私もKさんも大柄で、少々太めなので、着れるアオザイが4着しかなく、その中から選ぶことになりました。ベトナム人は、本当に細くて、小柄な人が多いです。

 一重まぶたの私は、目張りもなく、仕上がりは、ニューハーフ風・・・・?

 Kさんは、目張りもして、ぱっちり二重に。
 奥ではウエディングドレスの試着中。
Aベトナム風メイク
 まず、あらっぽく、ファンデーションを塗る。次は眉カット(両刃のカミソリの刃でいきなり剃る、ここで動くと、私の顔に傷が付く).。 黒いペンシルで、眉山を描く手に気合が入る。濃い目のアイシャドウ、アイライン、付けまつげ(初体験)。濃い頬紅と口紅で完成。
Bヘアー
 Kさんは、付け毛を付けて、お嬢様のよう。
私は外向きにカールをかけて出来上がり。
鏡を見て吹き出しました。だってだって、20年前の「和田アキ子」そっくり・・・。 付けまつげは、まばたきすると、ばさばさ音がしそうなぐらい・・・、
目の周りはグリーンのアイシャドーで、目パンダ状態。
C撮影
 扇子や、ノン(ベトナムの三角の傘)や、日傘、など小物も使います。
 身体の向き、指先、顔の傾き、目線、まで、細かく指導され、「スマイル!」
  撮影に入るまでに私だけ、別室に呼ばれ、胸のパッとを2枚づつ入れられた。言われなくてもペチャパイは、わかっているけど・・・・ 
D5ポーズと衣装代(メイク込み)で、175,000VND 1,500円ぐらいです。
撮影終了後、付けまつげを返し、ウエットティッシュでメイクを拭くけど、ちゃんと落ちなくて、そのまま、街てお買い物・・・どぎつい化粧で、なんて思われたかな。 
1週間後の仕上がりが楽しみです。
 Kさんのご主人さんは、ベトナム新聞の英語版を、毎日、読んでいらっしゃいます。その情報によると、高校生に白のアオザイを復活されたことで、賛否両論が新聞に書いてあったそうです。反対意見は、動きにくい、雨の日に黒くなるなど・・・。
民族衣装で、きれいだけど、機能的ではないかもしれませんね。
 お友達に聞くと、1Fのエレベーター横のボードに「Pest Controt」と書いて、張ってあったそうです。
 見逃したみたいです。
2005年10月18日(Tue)
 突然のことで、写真を撮り忘れましたが、さっき「モスキート」と言って、消毒タンクを背負った人が、二人部屋に入ってきて、テレビの後ろや、テラス、ベッドの下に液体を散布して帰りました。ほんの1分ほどのことで、「グッバイ」と言って出て行きました。「モスキート mosquito って何だったかな? あー が、発生したの?」と、閉まったドアに呟いている私でした。
 この、マンションは、セキュリティーが確りしているので、インターフォンの向こうの人を確かめずに、ドアを開けてしまったけど、これが、強盗なら、とんでもないことになっていたかも・・・・
2005年10月17日(Mon)
 主人の勤務先のベトナム人の方が結婚されて、レストランでの披露宴に、主人が招待されました。
 このように、ワイングラスを順番に積み上げてタワーのようにします。そのワインタワーにワインを二人で注ぎ、それを親戚の方が飲むそうです。ワインタワーはヨーロッパ式の披露宴だそうです。 
 後ろの幕のベトナム語の間に「喜」と言う字が二つ重なった中国文字があります。特に北ベトナムは、中国の影響が大きいようです。
 最近、ベトナム人のお金持ちの結婚式・披露宴は、高級ホテルを使い、ベトナム式でされるそうです。
2005年10月16日(Sun)
 今日は、吉野山の秋祭り。布団太鼓が目に浮かびます。吉野山は、近年過疎化が進み、太鼓台を担ぐ人を集めるのも、大変だそうです。吉野山中、総出で秋祭りを盛り上げているようです。
 今日食べた昼ごはんは、Mien Ca Thin ミエン ガー ティ という麺です。
春雨のような麺の上に、豚の薄切りと、うなぎを揚げたのもと、ねぎが乗っている汁物です。やはり、大さじ1ぐらい、味の素を入れます。1杯6000VNDで、50円ほどです。
細い路地を入って行くと、看板がかかっています。
朝6時ごろからお店が開きます。午後2時ごろ営業が終わると、看板が取り外されます。

ベトナム大使の御挨拶
2005年10月15日(Sat)
 ベトナム日本商工会主催の「ハノイ日本祭り」が17時から行われました。
商工会企業に勤めている邦人、ベトナム人スタッフや家族が対象です。
 インドネシア・バリ島のクタ地区・ジンバラ地区でテロが10月1日にあった後なので、入場券は予約者のみ、場内には警備員が何人もいましたし、入場するとき、バックの中を検査がありました。
 「外務省の海外安全情報では、ベトナムに危険情報は出ていませんが、不特定多数の人々が集まる場所は、テロの対象となる可能性が全く排除されるというわけではないので、警備には万全を期します。」とのことでした。
 主催者の方々は、準備や警備などいろいろ大変だと思います。お疲れ様です。

ハノイ日本人小学校の生徒約80人による「よさこいソウラン節」の踊りです。
元気一杯

お神輿ワッショイ
(商工会のかた)


盆踊り
婦人会が中心となり、浴衣を着て、輪になって踊りました。

スイカ割り
(目隠しをして挑戦、割れたスイカは、横で試食に回されます)

カレー、トン汁、おにぎり、フランクフルト、アイスクリームなど・・・・

小学生が遊べるように
ヨーヨーつり、スーパーボールすくい、わなげ など
2005年10月14日(Fri)
 ベトナムの小学生や中学生が、午前中で帰っているのをよく見かけました。
お昼ごはんでも食べに帰るのかと思っていたのですが、そうではなくて、教室の数が足りなくて、2部制になっているそうです。昼からは、別の生徒が登校します。
 お昼ごろの学校の通用門のようすです。結構、父兄もバイクで迎えにきています。皆、元気よく出てきます。
 大学も朝、7時から授業があると聞きました。これも2部制のためだそうです。 

ミネラルウォーターをバイクで運んでいます。
荷台、足元、前輪の上。
 大きな電化製品なども、バイクで運びます。バランス感覚が良くないと運べません。まだ、車は、一般庶民には、手の届かないものです。
2005年10月13日(Thu)
 街で見かける積載オーバーの自転車、バイク。
 日用品(ほうき、たわし、ざる 、ハンガーなど積めるだけ積んで)を売っています。

フランスパンだけを、自転車に山盛り積んで売っています。頭の上に乗せて売っている人もいます。

木の陰になってしまいましたが、練炭を自転車の荷台に積んでいます。
地面に着くぐらい沢山。
練炭は、一般家庭の台所では、未だに活躍しているようです。
2005年10月12日(Wed)
 先日、注文した刺繍絵の額縁ができ上がりましたので、早速、玄関に飾りました。
華やいだ雰囲気になりました。
2005年10月11日(Tue)
 住まいのアパートとホテルの間の中庭プールサイドで「Welcome Citynet in HANOI」と題して歓迎パーティーが開かれていました。
 横浜市長が挨拶されていましたので、自宅に戻り、「シティーネット」をインターネットで調べたら「アジア太平洋都市間協力ネットワーク」と出ていました。
 また、「横浜市本会議質問集」の中に以下のような記述がありました。
 「
シティーネットは、アジア太平洋地域の都市やNGO等を会員とした都市間協力ネットワーク組織でありまして、現在、環境、貧困、都市基盤整備など諸都市が抱える課題の解決に向けて、技術協力や研修会、セミナーなどを実施いたしているところであります。先般、シティーネットと本市の連携によりましてベトナムのハノイ市と水道の技術移転に関するプロジェクトを発足させたところであります。
 今後の方向性についてでありますが、都市災害や女性の社会参画等多様化する課題に対応するとともに、従来からの南北間の協力に加えて発展途上国間での相互協力を推進するなど幅広い都市間協力に取り組んでいきたいと考えております。」
2005年10月10日(Mon)
 ハノイに首都が置かれて995年を祝うために、夜あちこちで、イルミネーションが付きました。特に祝日ではありませんでした。
 左の写真は、自宅から見えるツーレイ湖にかかった橋をライトアップしています。
 右の写真は、街頭に電飾を取り付けてありました。
2005年10月9日(Sun)
 感化されやすい性格で、昨日、民族学博物館で見た、少数民族に会いたくて、ハノイの北の山間部のSAPA(サパ)に行こうと計画しました。
 格安ツアーを探し、申し込みに行く途中、偶然、ホアンキエム湖の近くの、リータイト像の前で、ドラゴン ダンシング フェスティバル Lien hoan Mua Rong Ha Noi 2005に行き合わせ1時間30分ほど、見ていました。

太鼓とシンバルにあわせて龍が踊る

龍がとぐろを巻いている

2匹の龍と小さい獅子2匹が踊っている。

2匹の龍が、リータイト像に敬意を表しているところ

審査員5名により、審議の結果、優勝チームが表彰される

龍のモニュメントに乗って、ドラゴン ダンシング フェルティバルを見ている子供達 

全て終わって、片付けているところで、龍と一緒にポーズ
 この会場で、左のような「995」と書かれた垂れ幕をよく見かけます。さっきのドラゴンの主催者側に座っていた人に、訪ねてみました。
「キャピタルがハノイに置かれて995年のアニバーサリーが、明日だ。」
 「夜、ウエストレイクで、ドラゴンのスタンディングがあるので、是非行ってみてください」と多分言ったように思いました。
ハノイの創始者
李太祖(リータイト)

   995 NAM
  1010−2005 
THANG LONG-HA NOI
と書かれています。それを写真に撮っているところです。
 1010年は、李公蘊(リーコンウォン)が昇龍(タンロン)(今のハノイ)に都を定め、国号を大越(だいえつ)とする李朝(リチョウ)を興した年だそうです。
李公蘊(リーコンウォン)は、李太祖(リータイト)と改名します。

 そこから数えて今年が、ハノイに首都が置かれて995年目だそうです。
 ガイドブックによると、「李朝は、ベトナム初めての長期王朝となった。また 文廟を設け、中国のシステムを取り入れて科挙制度を導入、仏教の導入などした。」と書かれていました。

湖の上に作られた特設会場
LE HOI RONG BAY 995 NAM
 サパへの予約をした後、夕食を済ませ、先ほど、教えてもらったように、ホータイ(湖)のウエストレイクへ行ってみました。
 沢山の人が集まっていて、湖の上に特設会場が設けられ、劇が始まりました。その特設会場の周りを、ドラゴン船が、何艘も取り囲み、物語は進んでいきます。全てベトナム語だったので、さっぱり分かりませんが、ショーを見ていた限りでは、多分ストリーは、リータイトさんが、皇帝で、国をつくり、最後は、龍になって天に昇って行った。というところだと思います。

皇帝が皆に祝福されている。

湖の対岸に龍が現れ、昇って行く。

龍が花火と共に消えていく。
2005年10月8日(Sat)
 民族学博物館 Bao Tang Dan Toc Hoc Viet Nan (パオタン・ザン・トォック・ホック・ベトナム) Vietnam Museum of Ehtnology を訪ねてみました。
 ベトナムの54ある民族の紹介です。殆どが、山間部や高地に住んでいます。生活の様子が再現されて、風俗、祭礼などのようすが、展示品やビデから分かります。それそれ、独自の服を持っています。
 建物の裏には、12の民族の家が再現されていて、中に入ることができます。
床が竹を3cm幅に割いて 敷き詰めたものが多く、歩くと、みしみしきしむので、私の重い体重で、踏み抜かないか、壊れないかと心配しながら、見学させてもらいました。
 高床式になった建物は、その、竹の床から、地面が見えて怖かったです。1Fの天井と2Fの床が一緒なのですから・・・・・ 

54民族をビデオで紹介。
視覚で伝えてくれるので、ベトナム語が分からなくてもだいたいわかる。

竹で出来た魚を捕るしかけを自転車で売り歩く。自転車が隠れるほど積んでいる、

ルナカレンダー(陰暦用)
細い木の棒に、刻みがあり、1本づつ違う。

ベトナムの日傘 ノンを作っているところ。

Ede族の台所の柱。装飾彫刻されている。家の富をあらわす。

祭礼のようすを再現

機織。糸にする過程から、布になるまでを再現

葬儀の様子




床が、竹で張られていて、踏み抜かないかとおもうほどだった

お墓。お墓の周りに、木で、鳥や人間の形を切り抜いたモニュメントで飾られている。子孫繁栄を願ってか、妊婦さんや、男や女の形のまま彫られている。
Co People Ritual Pole
感謝祭のホールで水牛をつないでお祭りをする。
祭りの間、魂と人間界を結びつけるもの。

LAo族、 LAH族、 Yao族、 Hmong族、 Nung族、 Thai族、 Mong Gar 族、
Kon Tum族・・・・・



1cmほどの実が出来ていて、採っている女の子がくれた。egg fish と言うそうでとても甘い実だった

本来の水上人形劇は、このように屋外の池にある。

家の中は、竹をふんだんに使っている。真ん中に大きな瓶が10個並んでいて、そこはお酒を入れる。そこに細長い竹をさしてお酒を飲む。

銃を自分達で作るらしい。その様子が、写真で展示されている。


ちょうど、お昼ごろになり、この建物の担当の人たちは、ここにある囲炉裏にまきで火を焚き、鉄鍋をかけて、食事をしていた。ちょっと日本では考えられない光景。
2005年10月7日(Fri)
 9月27日、嵐で中止になった Friend of Vietnam Heritageの日本語グループの、「ハノイ大教会とその周辺の歴史」が行われました。メンバーの方2人が、いろいろ歴史を勉強され、解説してくださいました。大教会を出発点に@〜Nのポイントを約2時間かけて探検です。いろいろ解説していただいたのですが、頭に残らず、ほんの少ししかご紹介できなくてすみません。
@ハノイ大教会 (セント・ジョセフ教会・Nha Tho Lon)

1887年に建てられたカトリック教会。フランスが仏教寺院を壊し、そのあとに建設する。

カトリックは14世紀頃宣教師達によって伝えられたが、阮朝時代にキリスト教は、激しく弾圧される。

聖母マリア像が、神輿の中に安置されている。


ステンドグラスは聖書代わりで、字の読めない人にもわかりやすくキリスト教を伝える。この絵は、イエスの生涯が語られている。



聖ROCH ペストなどの伝染病から、守護神。
自身もペストに倒れるが、どこからともなく現れた犬が、食料を運び、助かる。
高温多湿のベトナムで、伝染病が流行らないように願いをこめて、この絵がかけられた。


ステンドグラスは、フランスで作られたものだが、このステンドグラスだけ、工房が違う。こちらは、マリアの生涯

ステンドガラスから、入ってくる光は、すばらしい

併設する神学校

ALy Quoc Su(李国師)寺
李国師というお坊さんが、王様の奇病(肉だけを食べる病気)を治したことで感謝されて建てられた寺
通りの名前になっている。

Ly Quoc Su(李国師)寺に保存されている、大教会の前に建っていた仏教寺院の絵

国民の8割が大乗仏教。
道教と仏教が混じっているベトナムの宗教
BPhu Ung 寺
聖母信仰.
緑の衣を着た上岸聖母、と赤い衣を着た玉皇上帝の娘の柳杏聖母、もう一人水宮聖母が祭られている。

寅が神様を守っている。
CHang Manh 通り

竹製品を取り扱う店が多い

楽器屋さん街
赤いのは太鼓
 もともとこの道は、2つに分かれていた。
 東側をフンイエン(Hug Yen)省の人々が扇を作って販売したことから扇屋(ハンクワット)通り。
 西側は、ベトナム伝統の楽器を扱う店が多く、楽器を弾くという意味をもつ弾屋(ハンダン Hang Dan)通りと呼ばれていた。
 その後、2つの道は、統合されて、名前も現在のハンクワット(Hang Quat)通りとなった。
 現在東側の扇を売る店はなくなり、お祭り用神輿、葬儀のときに使われる旗や仏具を売る店に変わっている。
DHang Quat 通り

葬儀用仏具店
八角形の鏡のようなものは、道教で、邪気を祓う。お寺で祈祷していただいた後、お守りとして家に飾る。

1m四方ぐらいの赤で、周りが黄色の縁取りの、葬儀用の旗を売っている
EDau寺

赤い衣のユーハイタイマオ

占い、シャーマニズムが盛ん
F旧 Quoc Ngu (国語)普及会
(現在:職業訓練校)


  ベトナムをフランスが植民地化したとき、ベトナム人が使っていた漢字文化を、ローマ字表記法に置き換え、その表現能力の向上のため建てられた。「Quoc Ngu クオック グー」国語と呼んだ。
Gディン
村落には集会所を兼ねた鎮守の杜の「ディン」がある。現在は戦没者をまつっている






ハンコ屋

間口1.3m。兄弟で作業している。以前は月餅の型や、祭礼用のお札などのハンコが多かったが、最近は伝統技術をオリジナルなハンコにいかしている。



HTo Tich 通りのこま屋







IHang Gai 通りのガジュマル

シルクやさんが並ぶハンガイ通り、大木には死者の霊が宿ると信じられていて、特に無縁仏さんを供養するため、幹に線香が差し込まれている。
JHang Trong 通り

神様を守る5匹の寅。
ドンホーとは、また違う。

KDong Hrong (東香)亭

 
火事を扇を扇いで消した女の人を祭っているお寺
 現在は、地域のコミニティーの場所になっている。
(扇で扇いだら、火事がよけいに燃えると思うけど・・・と疑問に思いましたが・・・)
LNhan Dan 新聞社

元フランスの副総督の建物。
1951年スタット誌(共産雑誌)を創刊する。



M文化情報省
(Bo Van Hoa Thong Tin)
政府機関

 




NBa Da(婆陀)寺院

入り口からは想像できないぐらい中は広い

ハノイ五寺の1つ。鎮国寺、館使寺、蓮派寺、禅光寺

お疲れ様でした。お世話になりありがとうございました。
2005年10月6日(Thu)
 ベトナム人の美人の条件は、色白、すらっと長い黒髪とスタイルの良い人だそうです。
 この暑い国で、日焼けしないでおこうとすると、帽子をかぶり、顔には覆面をし、手袋は、上腕部まである長い手袋をしています。(美人の三種の神器) 殆ど肌を露出していません。遠めには、誰か分からないかも???
 結構、このスタイルで、バイクに乗っている人を見かけます。
 汚い排気ガスを吸わなくてもすんで一石二鳥です。
 はじめはとても異様に見えていたこのスタイルですが、この頃、見慣れてきました。(ベトナムになじんで来たのでしょうか?)
 友人が、ベトナム人女性から「あなたは、ベトナム人に似ていますね。」と言われました。これを言ったベトナム人は、(色が白く、二重まぶたで、目がパッチリしていて、スタイル良くて・・・・の意味で)凄い誉め言葉を言ったつもりですが、言われたほうは、少し戸惑いがあったと思います。ベトナム人のプライドを感じました。
2005年10月5日(Wed)
 写真は10月2日にも掲載した、墓石屋さんです。
 現在ハンマム通りに6件ほどあります。軒先にはこのように沢山の、見本が並べられ、旧市街地の中でも独特の景観です。
墓石のデザインは、蓮や龍を描いたものが多いそうです。最近では、機械処理で写真を埋め込むことが可能になり、写真入で40万VND(3000円)ほどです。ベトナムの経済が発展するにつれ、庶民の手の届くものとなり、注文が増えているよそうです。
 商品が墓石だから、お客さんが多いのも喜ばしいことではないのですが・・・
 昔、エビや魚などを発酵させた調味料「マム」の専門店が並んでいたので、ハンマム通りと言うそうですが、今は石版がズラリと並んでいます。
2005年10月4日(Tue) 
 予防接種
を受けました。日本でも、5種類(A型肝炎、B型肝炎、狂犬病、破傷風、日本脳炎)を2回受けました。今回は、A形肝炎(Hepatitis A)、B型肝炎(Hepatitis B)、狂犬病(Rabies)、腸チフス(Typhoid)です。腸チフスは、日本では実施している医療機関がなく、ベトナムで初めて受けました。
 予防接種は、予約がいりません。  日本のように問診も検温もありません。
 自分のVACCINATION RECORD(予防接種記録)を出して、何を受けたいのか希望を言い、前回の接種日を確認し、看護士さんが注射をしてくれました。
 注射はどこの国でも痛いので、嫌なものです。
 ベトナムでは、刺繍が盛んです。ティッシュボックスケース、コースターや小さい袋などが沢山販売されています。 
 また、「刺繍絵」というのがあります。精巧な刺繍がされていて、1枚の絵になっています。刺繍絵作家の中で、Suさんのが、素晴らしいとお聞きし、Suさんの息子さんに作品を持って自宅に来ていただきました。 というのもSuさんの自宅は、ハノイ郊外で、分かりにくく、訪ねて行って、道を聞こうものなら、同業者が沢山あり、自分の家に連れて行こうとして、Suさんの家を教えてくれないそうです。
 何人か集まって作品をみせていただきました。花束の刺繍がきれいだったので、購入しました。
 Suさんの息子さんが広げているのは、「掛け算の九九の表」で、部屋に飾って置くと自然に九九を覚えられそうな、かわいい刺繍でした。 
 午後から、刺繍絵を持って額屋さんに行き額をオーダーしました。1000円ほどで素敵な額を作ってくれます。台紙の色や額縁の色など、あまり、種類はありませんが、自分で選ぶのは悩んでしまいます。絵に合わせてマダムがアドバイスしてくれ、中々いいのが出来そうです。出来上がったら玄関の壁に飾りたいと思っています。殺風景な玄関が、華やぐことでしょう。出来上がりが楽しみです。
 写真手前は、額を磨いている店員さん。その奥で木の板を地面に置き、その上で台紙や額をどうするか店のマダムと相談しているところです。
 (今日は結婚記念日でしたので、ささやかに2人でお祝いしました。)
2005年10月3日(Mon)
 「ハノイ インターナショナル クワイヤー (HIC)」の練習に参加させてもらいました。 混声合唱団のため、練習は19:30〜21:30です。
 練習場はNui Truc にある VIETNAM NATIONANL OPERA & BALLET (VNOB) の練習場の4Fで練習しています。(因みに隣の建物は、俳優の杉良太郎さんが会長のベトナム日本文化交流協会の日本語センターです。)
 HICは10月27日28日にオペラハウスでオペラ「I PAGLIACCA(パリアッチ)」に、コーラスで出演されるそうです。練習中はHPに載せる写真を撮るのもはばかられるぐらい真剣でしたので、写真は休憩中のものです。
 知らない曲で、イタリア語だったし、曲の途中から途中だったので、全容はわかりませんが、コミカルな喜劇で楽しそうでした。もう少し早く、私がこの会を知っていたら、参加させていただきたいのですが、もう、仕上げの段階で、(当日は暗譜、衣装も出来てきている)とても今からでは間に合いそうにもなく、当日は、観客の一人として聞かせて頂こうと思います。
 でも、久しぶりに、必死になって楽譜を追い、好きなだけ声を出せて、「スカッート」しました。
2005年10月2日(Sun)
 今日は、また、違う系統の路線バスに乗って、旧市街地にある東河門 Dong Ha Mon ドンハーモン(ホアンキエム湖の北側です。)に行ってみました。
 旧ハノイ城の門の1つで1749年に建てられて、その後19世紀に修復されたそうです。あるガイドブックによると、30年前からおばあさんが、門の脇の穴に住み着いていると書かれていましたが、そこは、木で作られた小さな扉があり、鍵がかかっていました。おばあさんは外出中?それとも別の場所に移動?それともかなりの高齢の写真だったので・・・・・謎のままです。
 町の人は、この門を日常的に使っています。 
 マーマイ通りにある マーマイ(Ma May)の家 旧家保存館 Bao Ton Ton Tao Pho Co Ha Noi バオトン トンタオ フォーコー ハノイ を見学しました。
 伝統的な木造建築で、19世紀の生活様式を忠実に復元し一般公開されています。
 間口は狭いですが、奥行きがあり、中庭をうまく取り込んで風通しよく作られています。ちょうど京都の町屋を思い浮かべました。
 中は、当時のままの台所・居間・寝室・トイレ 2Fの客間には調度品もありました。  伝統工芸品(バッチャン焼き、ドンホーの絵、刺繍絵、銀細工、etc)の販売もされていました。

台所:七輪がコンロです
(今でも、ベトナム人の一般家庭では、よく練炭の七輪を使っています)

寝室:座敷机の大きいようなのが置いてあり、これがベットだと説明されました。


中庭は、光と風が気持ちいいですね。
 書家のダン(Nguyen Ba Dan)氏。
 ベトナムの風情と詩を墨で描いている仕事の様子を見学することができました。
 ちょうど書き終わり、朗々と読んでくださいました。
 漢詩を中国語で言っているようでした。 
近くにあった店
 ベトナムでは、通りごとに、何軒も同じような店が集まっています。
 逆にいえば、自分の欲しいものは、売っている通りをまず探し、そこに行けば、手に入ります。
 

少数民族の人の服など


墓石屋さん


下着や靴下など
 ホアンキエム湖の近くのお土産やさんで見つけた、亀の形の方位磁石です。
 凄く中国風です。
 亀の甲羅をスライドさせると、そこに「子・丑・寅・・・・・・」と方位が記され、真ん中に方位磁針があり、それで方向がわかります。 自宅に帰りよくよく見ると、磁針の下にNとSが書かれていますが、その「N」と、その周りに書かれている「子」が、はめ込むとき微妙にずれています。これもベトナム使用です。
亀の甲羅には、水牛の上で笛を吹いているのんびりした絵が描かれています。 

ハノイ駅を路線バスで通過
2005年10月1日(Sat)
 市街地の南の方のにあるトンニャット(統一)公園にブラっとバスに乗って出かけました。公園内は、大変広く、緑が一杯で、園内にバイマウ湖があり、その周りに遊歩道があります。街中の喧騒とはうって変わってのんびりした雰囲気です。
 しかし、湖に近づくにつれ、何か腐っているような臭いがしてきました。湖面に無数の小さい魚が死んでいます。水が緑色に濁り、酸欠なのでしょう。
 日本では考えられませんが、その横で、魚釣りをしている男の人や、泳いでいる子供たち、洗濯しているおばさんがいたりします。魚釣りのリールは、手作りで、空き缶の上にテグスを巻きつけて器用に、釣竿を扱っていました。湖面に面した遊歩道では、おじいさんが、体操していたり、カップルが膝枕して寝ていたり、様々に楽しんでいました。
 いろいろ混在しているのが、ベトナムのようです。

トンニャット公園

大量に小さな死んだ魚が浮いています

釣りをしている人

泳いでいる子供達

洗濯している人
 トンニャット公園を一周する、機関車風の乗り物(遊園地用)に乗りました。
 「ヤッター!一番前が空いている」と、童心に返り一番前をゲットしました。
 動き始めて分かったのです。どうして、一番前が空いていたのか。
 1つは、露払い状態で、枝など自然のままなので、垂れ下がっているものは、そのまま、ぶつかりながら突ききるのです。ですから、小さな木の枝の先が車内に入ってきます。
 もう1つは、運転席と私達の間にあったカラフルな箱の中に、エンジンが入っていたらしく、動き出すと、私たちの方へ排気ガスが出てきます。思わず、手で口と鼻をを覆いました。よく、ハノイの人がしている、防塵マスクが欲しい!!!!
 時速15kmぐらいでゆっくり公園内を一周します。 
        車窓から


スケートボードをする男の子 日本と同じです


体重計を持ち歩き、計ることを仕事にしている人(1日何人ぐらい、体重を量るのかな)

夕涼みに来る人目あてのオープン前の飲料水やお菓子を売る店

バトミントンが盛んです。

サッカーを楽しむ男の子

湖面に映る夕日です。
 その後、トイレに行きたくなり、探しましたが、鍵がかかっていて、困ってしまいました。そこで、近くにボールで遊んでいた、20歳ぐらいの人に聞くと、親切に別のトイレの場所を探して、案内してくれました。
 覚えておいてよかったベトナム語「Phong Ve sinh?(トイレはどこですか?)
 やっとたどり着いたトイレ。やはりベトナム式、左の4つはドアがなく仕切りだけに、足を置くブロックだけ、迷わず、右のドアのある方へ直行。しかし、このベトナム式和式は、どちらを向いてするのだろうと、いつも悩みます。
 その後、手を洗いたいのですが、洗面所は、蛇口はありますが、ひねっても水がでません。ちょうどお掃除のおばさんが入って来て、洗面所の横の1m四方ぐらいの貯水層を指差し、そこに、ペットボトルの上が切ってあるものが、置いてあり、どうもそれで水を自分で汲んで、手を洗えと言っている風でした。
 しかたなく、それに従い、洗面所で手を洗うと、自分の足が濡れたのです。あわてて下を見ると、洗面所の下は、排水パイプがなく、当然、下に落ちた水は、自分の足元に落ちることになります。(ちょっと、泣きたい気分になったけど、この頃、私も強くなり、ベトナムナイズされてきました。)
2005年10月1日(Sat)
 夕方、入ったベトナムの御茶屋さん。
 ベトナムと言えば「蓮茶」が有名です。「蓮茶」もいろいろありますが、「ベトナム王宮伝統の製法」を守っているのが、100gが10ドル(1100円)もします。
 蓮茶の安いものは、スーパーで100gが5000VND(35円)で売っていますが、説明書を読んで、本物は、手間がかかるので、値段も納得できるなと思いました。確かに蓮の深い香りがします。
 「ベトナム王宮伝統の製法」(説明書によると)
  蓮の花の咲く6月〜8月だけ作業をします。
  蓮花の花粉の部分だけむしって蓮の葉の上に落とします。
  それを中国国境に近いTUYET(雪茶)という種類の茶葉に振りかけ香りを
  茶葉移す(薫香)します。
  花粉をまぶす作業を7日7晩行い、その後、14日間乾燥させます。
  100gの蓮茶を作るのに、120輪もの花が必要です。
  老廃物を除去し、美肌を保ちます。(美肌のために沢山、飲まなくては・・・・・)
 下の写真は、蓮の軸のお茶で、これは、安眠効果があり、10分後に眠くなるそうです。ホントかな?
  私は飲まなくても、十分良く寝るタイプですが、1袋(100g)購入しました。
 (私を知る人からは、これ以上、寝てどうするネン。と突込みが入りそうですが・・)
すっかり日が暮れて、あたりの歩道は食堂となります。
VIET NAM ベトナム だより(4) 2005年10月
 

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2005年7月8月9月10月11月12月特集(12/25〜1/6)
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