6月より「ベトナム便り」をブログにしたいと思います。 | ||||
2006年5月31日(Sun) Kさん宅で、YさんHさんと一緒に楽しい昼食会となりました。 Yさんが、Pho Cuon (ホー クワン : ライスペーパーでサラダ菜と牛肉炒めたものを巻いたもの)を買って行くということで、一緒に立ち寄りました。 お店の人の手際のよいこと。つぎつぎに巻き上がります。 Kさんは、メイドさんがいろいろ作ってくださってありがとうございます。ご馳走様でした。 私は、こちらで今が旬のマンゴスチンやマンゴウなどの果物にしました。 |
Hさんは、鹿児島名物の「兵六餅」と、岩手名産の「南部煎餅」という珍しい日本のお菓子を持ってきてくださいました。 |
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安全な運び方 | Kさんのところから帰るとき、見かけたバイク。 自転車のタイヤのアルミ部分を7本ほど運ぶのに、自分の胴体にはめ込んで運んでいる人を発見! |
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ゴルフ場の船着き場 |
2006年5月30日(Tue) 今日はゴルフ。 1ホール目は、パー4のところ13も打ってしまったが、その後、二桁になることなく、何と、ショートホール2つでパーを出した。これは奇跡。 キャディーさんに、逐一アドレスを確認し、昨日のコーチのアドバイスを思い出し、何とかアサッテ方向には飛んでいかずラウンドできた。 曇っていて霧雨が気持ちよく、お天気も幸いした。(晴れたら、とんでもなく暑く、それだけで体力が消耗するので) 実は、主人に課題を与えられている、「帰国まであと5ヶ月。やる以上は110を切れるように」 かなり難しいかも・・・。もし、私が110を切ったら、K2さんとFさんとシャンパンでお祝いしてくれる約束もできているが・・・・・。 |
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高さ3cmほどのコップ 貝の血入りウオッカ | 生牡蠣(ビニールに詰めた氷がのっている | 夕食を、ベトナム人3人と主人と、ザンボー湖(近くの湖)のローカルなお店でいろいろな貝を食べた。 生牡蠣、タニシのレモン蒸、アサリのレモングラス蒸、貝の焼いたもの・・・。 やはり、食の好みは違って、私達は、塩にレモン味を付けて、ベトナム人はチリソースを付けて食べた。 そしてスペシャルなお酒。貝の血を絞り、ハノイウオッカを混ぜたものを飲んだ。非常に生臭い。 今日(31日)、一晩経ったが、何だか胸のあたりの気分が悪い・・・・。あの生臭さが蘇ってくる。胃酸を飲んでおこう。 乾杯 Chuc suc khoe (チュック スック コエ)と言うつもりが、イッキ (パッカ ディ) と言って、大うけしてしまった。 |
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お店の外で、プラスチックのテーブルと椅子で |
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2006年5月29日(Mon) Yさん宅から、土日ハノイから北に500KmのBac Can省 Ho Ba Be バーベー湖へ、片道6時間かけて行ってこられたお土産を頂きました。バナナの皮で包んだ、蓬の香りのする日本の蓬餅にとてもよく似たお餅をです。 ハウスキーパーが来た時、「これの名前は、何と言うのか」と聞いてみたら、しげしげと眺め、中を割り、なめてしまった。そして「見たことがない」と言った。 知らないのなら、なめる前に言って・・・・・! バーベー湖は、自然が一杯でYさん宅のお子さん二人は、蝶、カマキリなどの虫取りをして楽しんだそうです。 |
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ゴルフコーチ | 今日から、いつものKさんは、ゴルフを始めました。(Kさんはテニスが上手) 二人でマレーシア人のコーチに30分ずつ付きました。 コーチは英語が堪能で、私は、アドバイスが理解できず、Kさんにたびたび通訳してもらいました。またまた、ご迷惑をかけました。 韓国系の練習場なので、お昼はここで本格的石焼ビビンパ。辛いのが苦手な私は、コチジャンを控えめにして美味しくいただきました。 | |||
タニシの漢方薬蒸 |
2006年5月28日(Sun) 25日 歴史研究会で行った西湖にあるフーホータイへ主人を案内。 例のごとく、路線バスを乗り継ぐ(Vタワーの次のバスターミナル Cau Giay から55番に乗り、西湖を左からグルーッと回る) 路線バスは、バス停の名前がないし、主要なところしか地図に載っていないので、地図を車掌に見せて、「このあたりで降ろして」と日本語(英語が通じない)で言って置くと、適当なところで合図をしてくれる。 合図をしてくれた最寄のバス亭から、1時間ほど歩いた。主人の頭の中には、タクシーに乗るという選択肢がない。 西湖(ホータイ)名物 Oc hap thuoc Bac (オックパップ トゥオックバック) タニシの漢方薬蒸 生姜やクコの実や何かハーブを入れて蒸したもので、ステンレスの三角のさじで、貝から身を回しながら取り出し、タレに付けて食べる。そのタレが、甘く、酸っぱく、辛くレモングラスの香りも加わり複雑な味。私はタレに付けずタニシだけの味の方が美味しく感じた。 Banh tom Ho Tay (バイントム ホータイ) 小エビの天ぷら ブンチャを食べる時のように、青パパイヤのスライスの入った付けダレに付け、菜っ葉も一緒に食べる。(25日の写真で、山のように盛ってあったもの) 右の小さい黄色のお皿は、Banh Bot Loc といい、プルンとした中に小エビと何か黒いモツのようなものが入っていた。 |
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小エビの天ぷら |
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歩いている時、目についたもの | 歩道の木陰にあった昼寝用ハンモック |
道路のフェンスに吊るしてある服(商売している) |
電柱に、凄い量の無秩序な電線 |
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民家の壁に食い込んだガジュマルの木 |
鉢植えのトルコキキョウ |
公衆電話を使っている人 |
遊歩道の工事とブルーシートの飯場 |
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池に咲く蓮 (ウオーターりりーではなく) |
西湖府 フー・タイホー 入ってすぐ右の西湖府とは関係がないお寺。 今日は扉が開いていました。「金牛霊祠」と書かれていました。 | |||
立派な体育館 |
2006年5月27日(Sat) Kさんから、情報を頂いた。「今日18:30から、バレーボールのアジアクラブ選手権2006男子大会がハノイの体育館(家から徒歩10分)であり、日本から堺ブレイザーズ(旧:新日鉄)が出場するよ」と、 残念ながら、Kさんからの電話の5分前、M先生と主人と3人で、夕食の約束をしてしまったので、バレーボールの試合観戦はパスしてしまいました。 食事中、亜熱帯特有の突然の雷を伴った激しいスコールがあり、それが通り過ぎるまで飲んでいたら、ついつい飲みすぎてしまいました。 |
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親日的なおじいいさん | 2006年5月26日(Fri) 先日、いつものKさんと、旧市街のパン屋さんでパンを買っていたとき、80歳に近いようなおじいさんが近づいてきて、「ニャットバン?(日本人か?)」と聞いてきた。 「Yes」と言うと、そのおじいさんは歌を歌いだした。「真白き富士の・・・・」 私達は、おじいさんが歌い終わるまでそこで聞いて、彼の歌に拍手を送った。少し日本語が変なところはあったが、昔、どこかで聞いたことがある日本の歌だった。きっと若いとき(日本が占領していた時)に覚えた歌なのだろう。 このおじいさんは、多分、親日的なのだと思う。 ベトナム人は、中国人のような反日感情はあまり無いようだ。ここは外国。 |
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2006年5月25日(Thu) 歴史研究会のメンバー(Sさん、K2さん、私)で 西湖府 フー・タイホー Phu Tay Hoへ。 湖の突出した半島の先端にあり、ちょっと車がないと行きにくい所。 幸いK2さんが、車を出してくださった。(この国で、車と言うと、お抱え運転手付きです。自分での運転は、非常に危険です。) 西湖府の「府:フー」とは、「聖母道:ダオマウ」の女神を祀る大規模な神社の呼び名だそうです。 ここは、柳杏聖母の三大聖地の1つです。 |
門入ってすぐ右にあるフーホータイとは、関係のないお寺 |
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参道のお店 「寿・福・心・徳・禄」 「縁起の良い字を書きます。」という看板。 4世代前に漢字を捨てたベトナム人で漢字を書けるのは、特技。 テト(旧暦正月)に、よく書いてもらうそうです。 |
お供物を(クッキー、花、線香)売っている。 中でも目立ったのが、お皿の上に、卵・タバコ・酒がセットされている。 Sさんの話では、上岸聖母さんの下に寅がいるので、その寅(作り物)にお供えする。確かにそうなっていた。 |
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左にお供え物を準備する部屋がある。 |
果物に線香を立てお供えを持って行く |
熱心に祈る女性達 |
道教神の玉皇上帝と五位大官 |
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「政府」建物の名前 | 「政府」の一番奥。 ご本尊で、玉皇上帝の娘の柳杏公主リュウキョウ(赤衣)、向かって左に上岸聖母(緑衣)、向かって右が水宮聖母(白衣)が祀られている。 しかし、格子があり、柳杏公主しか見えなかった。 |
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山荘洞 「日本人の感覚から言うと、ちょっとケバイ。 日本に仏教が入って来たころは、日本の仏像や建物は、極楽浄土を思わせるようキンキラしていたらしいけど・・・」 |
「政府」の右側に上岸聖母(山林の女神)を特に祀る「山荘洞」があり、全体が聖母の住む岳府の世界を表現した山林のパノラマ風になっていた。 | 上岸聖母の下にいる寅と卵などのお供え |
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境内にある大きなガジュマルの木 | お供え物(お供え用の偽札・線香・紙にかいたもの)を燃やす男性 | |||
タニシを湯がき、身を1つずつ貝から出しているところ | タニシ Oc タニシ料理は西湖が有名 |
バイントム Banh Tom 西湖風小エビの天ぷら |
湖を眺めながらラッシーを頂く ここで一息 |
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2006年5月24日(Wed) 昼はKさん、K2さんと3人、ハノイの街中を散策。 日本に帰る前にオーダーしていたスーツがやっと出来上がったので受け取りに行った。2回もお直しをした。男性の背広の布地で、女性物を作った。日本で作るより、はるかに安い。 でも、もう、ハノイでは、暑くて着れないので、日本に帰ってからのお楽しみになってしまった。 クラーをガンガン利かせて、鏡に映して写真を撮ってみた。 |
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ミストサウナの ミステリー |
夕食後、久しぶりに住まいに併設するフィットネスへ(住民は無料)。 ウオーキングマシーンで30分歩き、その後、ジャグジー、サウナ、ミストサウナとフルコース。 ミストサウナの前に、専用のバスタオルとビーチサンダルが脱いであったので、誰かがいると思って入った。中に入ると霧であたりが見えない。しばらくして、気が付くと誰もいない・・・。今日は、やけに静か。 ひっとしたら・・・・見えない誰かが・・・・・。早々にサウナから帰ってきた。 そして、このことを主人に話して、「今晩、一人で寝られないかも?」と言ったら、「心配ない。どこでも寝られる特技があるやろ・・・」 (そうだった! 朝まで、ぐっすり眠れた。) あれは、誰かの忘れ物? でも、誰かがいるような気がした。 |
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洗濯機 washing machines |
レセプションからお知らせが来た。 辞書を引きながらお知らせを読んだら、「洗濯粉をFront_load 用のを使うように」 洗濯機の種類により、洗剤が違う。私は、洗剤の箱に書いている絵を見て、いつも買ってくる。 きっと誰かが、違う洗剤を使い、トラブルが発生したのだろうか。 この洗濯機、洗濯するのに、とても時間がかかる。 A:whites, B:Rinses, C:Special treatments, D:Spin only, ここまで洗って脱水まで、1時間。 その後、F:Drying 乾燥するとさらに2時間。 他の電化製品は200Vでいろいろ早いのに、洗濯機だけは、非常に遅い。出かけようと思うと、イライラする。 |
脱水時、回転軸がずれているらしく、大きく移動する。何とかなりませんか?(日本だったら不良品) |
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日本人学校のスクールバス |
2006年5月23日(Tue) ちょうどゴルフに行こうとする時間 7:50amに、日本人学校のスクールバスが迎えにきます。 お母さん達が、見送りにきています。 |
一日中、雨。 雨の中のゴルフは始めてでした。暑いよりは、ましでした。 スコアーは、雨に関係なく、K2さんは素晴らしく、Fさんはそれなりに。私は、ピッチングが「あさって方向」に飛んで・・・ |
仕事を終えたキャディーさんが帰るところです。 |
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道路標識 | 道の真ん中 |
道の端 |
ハノイでは見かけませんが、ちょっと今日のように郊外へ出ると、馬が荷馬車を引っ張っている光景を見かけます。 | |
バクニン行きのバスの終点 |
2006年5月21日(Sun) 今日も主人の思いつきで、昼食の後、路線バスの34番に乗り、ロンビエンLONG BIEN で乗り換え、54番でバクニン BAC NINH へ。 特に目的も無く54番の終点で降り、その辺を散策し、シントー(ジュース)を飲み、帰ってきました。 自宅から片道、1時間30分でした。 思っていたより田舎ではなく、建設中の建物がいくつかあり、まだまだ田んぼも沢山あり 空の青いのが印象的でした。日本人は珍しいようでした。 帰りバスの乗り換え場所が分からなかったので、掌にボールペンで34と書き、車掌さんにみせると、乗り換えの停留所で声をかけてくれました。ちょっと冒険をしたような気分でした。 |
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バスでは初めてバッチャン |
2006年5月20日(Sat) 突然、主人の思いつきでバッチャン村(焼き物の村)へ行くことに。 ロンビエンで47番のバスに乗りバッチャン村へ。最近バスが定期的に走るようになったとか・・ |
向かう途中に煉瓦(レンガ)を焼く小屋が点在しています。 煉瓦は、住宅の壁に使われています。 地震がほとんどないので大丈夫なのだそうです。 |
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自宅からバスで1時間10分。 ハノイから東の郊外に出るバスは、ロンビエンから出ています。 地元の人に混じって、観光客もいました。 |
信楽の狸も顔負けの狸を発見 徳利ではなく、楽器です。 |
お酒を飲む男性とその横で楽しそうなオハグロ女性の置物のもありました。 |
「ベトナム磁器 バッチャン焼 シュガーポット」と書かれた日本に輸出用の箱を発見。百円均一で売られていたりして・・・ |
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2006年5月19日(Fri) 月1回の歴史研究会。大西先生が日本に帰国されているので、小松みゆきさん(日越交流コーディネーター)を講師にお迎えして “ベトナムの「蝶々夫人」” と題しお話を伺いました。 第二次世界大戦の日本の敗戦のとき、日本兵がベトナムに残留し、ベトミンとなり抗仏戦争でベトナム人と一緒に戦い独立運動をし勝利します。しかしその後、時代に翻弄され両国のはざまでベトナム人の妻子を残し、ベトナムから日本に帰国を余儀なくされます。その残されたベトナム人妻子を取材したお話でした。 日本兵の中には、ベトナムで医療関係、鉄道関係、紙幣制作などに貢献された方もいたそうです。 ベトナムに住まれて14年の小松さんの生き様も凄いと思いました。 |
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5月14日にベトナム人から頂いた ruou can ジウ カーン の中は、上の葉っぱを取ると、中は、沢山の籾殻(もみがら)が詰まっていました。 | その時、一緒に頂いた百合の花が綺麗にさきました。 | |||
5月19日 ホーチミンさんの誕生日を祝う街中の看板 Ngay Sinh Ho chu tich |
たぶん共産党が出来て45周年 |
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2006年5月18日(Thu) 歴史研究会の小委員会が、5人(Sさん・K2さん、Nさん、Fさん・私)が我が家で集まりました。 「歩こうハノイ6」の制作のために集まったのですが、話はいろいろに及びました。 ベトナム語に日本語のようにカタカナに当たるものが無いので、外来語が入ってきたとき、そのまま英語表記になるが、ベトナムの中で統一されていなくて、いろいろな呼び方になるらしい。それが1つに定着すると、辞書にも載るということでした。 たとえば、日本放送協会の「NHK」は、「エスハッカー」というそうです。 もう1つ話題になったことは、眼科医の服部匡志さんの話でした。 困っている人を救いたいと言う思いでベトナムに来られ、無給のボランティアで活動していて、現地の医師に手術の技術を教え、貧困のために治療を払えない人には実費を代わって負担してあげたり・・・。Agoraの2005年11月号の記事を見せていただきました。本当に素晴らしい方がいらっしゃるのですね。 |
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ベトナムの事典 | 歴史研究会のSさんのお世話で「ベトナムの事典」という日本語で書かれた辞書を紹介していただきました。実にいろいろなことが書かれていて読んでいると飽きない本です。 | |||
6月からブログ | 2006年5月17日(Wed) 日本のお友達が、「あなたのHPも書き込みが出来たらいいのにね」と・・・ それもいいなぁ・・・でも、私の使っているホームページビルダーでは出来ないのです。 そこで私もリンクさせていただいている「そのこのページ」のHさんが、日記をブログに変えられていたので、私も6月からブログに繋がるよう教えていただきました。 家まで来ていただいてありがとうございました。 6月から始まりましたら、皆様、またコメント入れてくださいね。 |
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2006年5月16日(Tue) ゴルフ場は、ハノイから車で1時間。その後、モーターボートに乗り、キングス・アイランドへ |
クラブハウスにある体重計。上のメモリが lb でポンド表示。 下は、Kgでキログラム表示です。 TANITA で日本製らしく、「標準体重表」と日本語で表が書かれています。 |
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後ろの籠に、ヒヨコが2段に満載されていました。落ちないように、左手を後ろに回してバイクで運んでいました。 | 沿道で売っているトウモロコシ屋さん。 何軒も続いています。 |
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ruou can ジウ カーン |
2006年5月14日(Sun) 主人の勤めている会社の若いベトナム人の方、9人を招待しました。 ruou can ジウ カーンという(写真のような)少数民族のお酒を持って来てくださいました。水を足しながら、長いストローで飲みます。そんなにアルコール度は高くなく、香りの良い不思議な味のお酒でした。 11人分の料理は結構大変で、朝から頑張っていろいろ和食を作りました。 「ヴェリーおいしい」と言って食べてくれましたが、ベトナム人にとっては刺激が足りないようで、「チリありますか?」と聞かれてしまいました。 生きたエビを市場で買って来て、皆さんが来るまでに塩茹でして、綺麗にもりつけましたが、「暖かくないのですね」と言われてしまいました。(そりゃ、湯がきたては、美味しいけれど、私にも、段取りがあるしね・・・) 後から、来た3人は、我が家の靴箱を開けて、自分の靴を直しました。?? 皆、楽しんでくれたと思います。 K2さんからお借りした、カラオケも好評でした。 |
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嬉しかったのは、Nさんが日本から持って来られた、チーズフォンジュを頂きました。 本格的にアルコールランプに土鍋を乗せて、フランスパンにチーズを絡めながら頂きました。 さらに、K2さん手作りのおはぎを頂いたことでした。日本の和菓子屋さんの味でした。 ご馳走様でした。 |
2006年5月13日(Sat) Nさん宅で、歴史を知るため2本のビデオを鑑賞しました。 今度、歴史研究会でお話して頂く小松さんが、どちらのビデオもプロジュースに加わっておられて、お会いするまでに、見ておこうということになったのです。 メンバーは、Nさん、K2さん、いつものKさん、私の4人です。 「ハイビジョン特集 8月15日〜 あの日、世界は何を目指していたのか」 終戦を挟んで8月10日から16日までの各国の動き。特に日本に占領されていた東南アジアの国々の独立運動、アメリカ・ソ連の動きに焦点が当てられていました。(2時間50分) ベトナムの場面も沢山ありました。ベトナム南部のダラットに、日本軍の南方軍中枢が置かれていたとか、ハノイから北200Kmのタンチャオにホーチミンが潜伏し、日本の敗戦を8月13日には知り、その後、独立運動を展開していく様子など・・・。 もう1つは、4月30日にこのHPでも紹介しましたが、「NHK BS特集 世界から見たニッポン・明治編A アジアの希望と失望」です。 100年前、明治維新に見習おうと中国やベトナムから、留学生が来ますが、日本政府の制作に失望する話しです。(2時間) 余りにも、何も知らない私と、内容の重たさで、少々疲れました。 |
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ベトナム交響楽団 オペラハウス |
夜20:00〜、オペラハウスで ベトナム交響楽団の定期演奏会があり、主人と出かけました。ロシアン・コンサートと題されて、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲や交響曲第5番などでした。 失敗:そんなに大きくないホールなので、全体の音が聞きたくて、2階の1番前の真ん中を買ったつもりだのに、予約を間違え、その真下の1階席でした。 座席によってこんなに音の響きが違うものかと言うほど、音の広がりを感じられませんでした。(反省) |
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練習場のボール集め |
2006年5月12日(Fri) ゴルフ練習場で、笛がなりました。振り返ると、ボール集めの時間で、「打つのを止めてください。」という合図でした。 先ず、クラブで上手に縦に帯状に集めます。 そのあと、回転つきのボール集め機(きっと名前はあると思うのですが)で、うまい具合いにボールを集めていました。 |
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Hoa Phuong 火炎樹・カエンンジュ | 季節を象徴する花、火炎樹・カエンンジュ。名前の通り、燃えるような赤い花が咲き始めました。 正式には、鳳凰木 Hoa Phuong と言い、葉の形が鳥の羽に似ていることからこういう名前が付けられました。 他に「南洋桜」と呼ばれることもあり、街路樹として植えられています。 |
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カラオケセット |
14日の(日)主人の勤めている会社の若い方10人程、自宅に招待することになっりました。 そこでK2さんにお願いして、カラオケセットをお借りしました。 1つは、日本から持ってきたもの、1つはこちらで購入されたものだそうですが、使い方や、形状は、全く同じです。 ベトナム人は歌を歌うのが好きな人が多いのです。バスの中の客さんや、勤務中の空港の職員ですら、人目を気にする様子も無く、自分の歌いたい時に歌いだすのです。 初めは凄く異常な光景に見えましたが、自分に素直に生きているからかもしれません。その方が、きっとストレスが少なく、頭が禿げないのでしょう。ベトナム人の禿げは非常に少ないように思います。 話しをカラオケに戻すと・・・、私は機械の操作の練習も兼ね、歌を歌っていました。歌い終わると点数が出るのです。ついつい意地になり、気がつくと一人で2時間も歌い続けてしまいました。最高点が91点。 そして不思議なことに、英語の字幕が出ている歌を、全部、日本語で歌ったのに75点が付いたのです。この機械は、どんなことに反応して、点数を付けているのでしょうか? |
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昨夜、M先生をあり合わせの夕食にご招待した。 私が常々思っていた、「テレビゲームと子供の人格形成」についての話が、M先生と意見が合い、私の考えが間違っていなかったことが嬉しかった。 横で聞いていた主人は、「M先生と意見が同じでも、必ずしも正しいとは言えない」と言っていたけれど・・・・ 子供が小学生4年生ぐらいの時「皆が持っているのに買って欲しい」と言いました。 私は、子供にテレビゲーム等、一切、買い与えなかった。 「我が家は、買いません。よそとは違います。」と言って・・・・。 よそと違っていて良いと思ったし、テレビゲームは、子供も成長、発達に悪い影響を与えると思ったのが理由でした。お友達のお家に遊びに行って、そこで、少しはしていたようでしたが・・。 一方通行の機械相手のゲームなど、仮想現実の世界へ入ってしまうし、第一コミュニケーション能力が付かない。どんなことでも、人間は一人ではやっていけない。周りとの折り合いが必要になる。 生身の人間で喧嘩をし相手を殴れば、こちらも相手も痛いはず。しかし、ゲームは、殺しても、リセットボタンで元通りになる。これってちょっと変だと思いました。 こういう事を繰り返すと、子供の感性や感覚が鈍るし、人格形成がおかしくなるのではないか。 と言うのが私の勝手な意見です。 私の意見は偏っているのかもしれないけれど・・・・・・・。お陰で子供たちは、感情豊かな人間好きな子供に成長したと思っています。(親の欲目かなぁ) それとも、子供達は、テレビゲームを買ってもらえなかったこと、今でも悲しく思っているかなぁ? |
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2006年5月11日(Thu) Hoa Bang Larg バンランと言う花です。いま、街路樹に沢山植わっていて今が満開です。1つの花の大きさは直径6Cmほどです。 |
バンランの紫色は上品で、やはり南国の香りがします。 | |||
Chom chom チョムチョム(ランプータン) この時期の取れる果物です。 毛むくじゃら(直径4Cm)の中を開けると中から乳白濁食のプルンとした果肉が現れます。 |
会社の奥様方の集まりが、今回はホテル日航ハノイでありました。 何故か今まで日航ホテルに行くチャンスがなく、楽しみに行かせて頂きました。 日本の日航と同じく和食のお店は弁慶でした。でも箸袋の英語表記は、(eがa)Benkayになっていました。 |
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2006年5月10日(Wed) いつものKさんの車がガソリンを入れるため、ガソリンスタンドに立ち寄りました。 1リッター11,000VND(77円)です。 日本が132円だったので、日本よりかなり安いですね。でも、他の物価からするとガソリンは高いです。日本も今ガソリンが値上がりしているように、ベトナムでも以前より値上がりしたそうです。 |
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起き上がりこぼし | 町で見かけた、変な顔の赤ちゃんのおもちゃの起き上がりこぼし。特に、向かって右のおもちゃの変な顔?思わず写真を撮ってしまいました。 | |||
Kさんが持って来てくださったPoeme のモンブラン。 ベトナムでモンブランを見るのは初めてです。ケーキの上にマロングラッセが乗っています。 | Yさんが持って来てくださったプリン。とても滑らか。食い意地のはった私は、少し食べかけてから、写真を撮っていないことに気が付き、撮りましので、少々崩れてしまいました。(すみません) | |||
お昼ごはん Kさんと |
ベトナム人も良く行く、「おいしい」言う名前のベトナム料理のお店。 |
Banh Xeo ベトナミーズ パンケーキ もやしが一杯入っているものを、ライスペーパーに生野菜と一緒に包んで食べます。 |
Bun Mang Ga 鶏と竹の子のヌードル 鶏肉はスナズリや肝も入っていました。ヌードルは、春雨でした。 |
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キャディーさんは、帽子の上からノン(編み笠)をかぶり、顔を布で二重に覆い、目だけ出しています。 |
2006年5月9日(Tue) 50日ぶりのゴルフでした。昨日、付け焼刃で打ちっぱなし場へ行ったけれど、今日は散々でした。一緒に行ってくださったK2さんご迷惑かけました。 「暑いので、朝、早く行きましょう」とお誘い頂き、7時30分スタートでしたが、初めから蒸し暑く、日が高くなるに連れて、むちゃくちゃ暑くなり、風が吹いても熱風でした。 時々水分を取りながら、傘を持って移動し(勿論、帽子は、かぶっています)ましたが、想像を超える暑さでした。ついつい、「暑い〜」と口をついて出てきます。 私がフェアウェイウッドの5番を言うと、私のキャディーさんが、アイアンの5番を差し出します。難しいから・・それを押切ってウッドで打って、あらぬ方向へ・・・・キャディーさんの言うとおりにしておけば良かったかな・・・ |
昨日の夕方、スコールがあったためか、今日は遠くの山が綺麗に見えました。 |
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ベトナムでは、旨み、辛み、酸味、塩気、甘みの5つが同時に全て加わるのが美味しいと思われているそうです。 | K2さんは、いつも決まったキャディさんを指名されます。その方は的確なアドバイスをされます。そして嬉しいことに、いつもブレイクタイムがあり、おやつを持って来てくれます。 今日はマッカウリのようなものと、熟れていない酸っぱいプラムでした。日本人の感覚では、熟れてのが美味しいと思うのですが、薦められて熟れていないプラムに塩(少しハーブとスープが入っている)をつけて食べると、結構美味しいものでした。 汗をかいているので、塩分の補給も重要。 |
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2006年5月6日(Mon) 昼間は暑く、夕方、激しい雷を伴ったスコールがよくあります。 |
上手に、バイクの上で昼寝をするおじさん | |||
2006年5月7日(Sun) 旧市街、ホアンキエム湖南側界隈 「KEM」アイスクリームのことで、有名なアイスクリーム屋さんで、いつも多くのベトナム人で一杯 |
ハノイで一番大きな本屋さん。日本語で書かれたものもあります。 この裏の路地を入って行くと、激安の本屋さんがありました。コピー本? 勿論ベトナム語だけ |
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体重計り(商売)。 体重計を持って、歩道に突然座りこんだおばあさん。 |
疲れてマッサージ。 90分10ドル。日本の10分の1の価格です。 ベトナムに来られたら、マッサージはお得です。 |
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ベトナム人の特徴のある数字。 「1」は必ず前に山のようにつけます。 「7」も真ん中に横線を入れます。 |
JICA (Japan International Coopertion Agency) |
JICA(日本国際協力機構)が、公害測定データーを電光掲示版でリアルタイムで示す大き掲示板が、交差点に設置されました。 SO2、CO、NO2、TSPのデーターと基準地以下だと緑のスマイル君が付いています。 |
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夕食 鶏に顔は付いていたけど、今度は驚かないと、自分に言いけかせて。 |
近くのお店で鶏の丸焼きを買ってきました。 皮がパリパリして中々美味しいですよ。 お店のお兄ちゃんが、ハサミで食べ易い大きさに切ってくれます。 |
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日焼け防止のジャケット |
2006年5月6日(Sat) あまりに日差しが強く、暑い。じっとしていても汗がでます。 今回、日本に帰ったとき、何人かから、「日焼けしたね。黒くなったね」と言われました。 そこで、ベトム人がバイクに載る時、着ているスグレモノを私も購入。45,000VND (320円) 手甲のように掌まであり、首からマスクもつながり帽子の上でマジックテープで留めます。 これでどうだ!!! とても怪しい人のよう? |
ロング手袋も購入 |
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革命博物館 Bao Tang Cach Mang バオタン・カックマン |
植民地時代の税務署の後。 ベトナムの独立への苦難の歴史が記念品やパネルで展示されています。 |
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ベトナムの近代の歩みを、戦争を通して紹介した博物館。 政治犯として、手かせ、足かせのはめられた多くのベトナム人の写真もありました。 |
風刺画 一番上が太った白人、その下にベトナム人の富裕層、最下層には、痩せこけたベトナム人が描かれています。 |
フランス植民地軍とベトナム人民軍の最後の激戦地のディエンビエンフーの戦いのコーナー |
ベトナム戦争のサイゴン陥落のコーナー |
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ハノイ大学 理学部、薬学部 |
地図では、トンホップ大学と書かれています。 ハノイ大学の殆どは、ハノイ市内の別の場所にあります。 入り口は大きなシャンデリアがありました。 |
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5月6日(土) テレビ東京で放送 吉野山 |
4月11日に テレビ東京の取材があり、丹波義隆さんが旅案内人として吉野山に来られた「世界遺産の旅」が今夜、放送されたそうです。 その中で、丹波義隆さんや吉野山の父が法螺貝を吹くところや、父の吉野雛の制作の様子が放映されたそうです。 奈良県は奈良テレビで放送されました。勿論、ハノイは映りません。 |
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2006年5月5日(Fri) 2日から7日ハノイの子どもたちと未来のためにと題し、横井久美子さんの平和を願う活動のコンサートツアーが新聞に掲載されました。 いつものKさんが、「Nさんが写っているよ」と新聞を持って来てくださいました。Nさんは、横井久美子さんを長年支えてプロデュースされた方を良くご存知でいらっしゃって、コンサートツアーをハノイ在住者として応援されたそうです。 3日午前に枯葉剤被害者の会:VAVA(国家的課題として枯葉剤被害者の救済を目的に設立) の NGUYEN TRONG NHAN 教授らと現在の活動などについて懇談交流し、 3日午後枯葉剤被害者の施設:平和村LANG HOA BINH THANH XUANで交流コンサートがおこなわれました。 http://www.asahi-net.or.jp/~fg4k-yki/ http://www.cdngk.net/yokoiprof.htm |
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モデム | インターネットが繋がらなくなり、レセプションに11時ごろ連絡しました。 その後、何時間待ってもインターネット会社の人は来ず、いつものKさんが、我が家に来て しつこく尋ねて下さったら、レセプションの人が連絡するのを忘れていました。 「そりゃ何時間経っても けーへんわ。」そのうち、蕎麦屋さんの出前のように「on the way」になり、それから、16時30分にやっと来ました。 モデムが壊れていました。新しい物と交換していきました。 |
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2006年5月4日(Thu) ゴールデンウィーク中なのでさぞかし混んでいるだろうと、気合を入れて関空に行ったのに、連休のなか日だったせいか、関空も飛行機の中も大変空いていて拍子抜けしました。 荷物も少しオーバーしたけれど、超過料金を取られることもなく・・・・ラッキー! 爽やかな日本から、蒸し暑いハノイに戻ってきました。 ハノイは、私のいなかった1ヶ月の間に、嘘のような暑さに変わっていました。 |
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大阪にベトナムがやってくる! 高校生の女の子の制服が白の民族衣装のアオザイです。 ハノイでは、冬は寒いので普通の服になりますが、ホーチミンでは一年中着るそうです。機能的ではないと言う声もあります。 |
2006年5月3日(Wed) 昨年8月18日にハノイのホーチミン廟でお会いした和歌山のKさんから、「インテックス大阪で開催中のベトナムフェスティバルに行きました」というメールを頂きました。 『観光案内や民族品の売店、なつかしのフォー等の屋台もあって、楽しかったです。(フォーは船場のベトナムレストランが出展していましたが、日本人用の味付けで臭みがなく、でもやっぱりベトナムのフォーの方がだんぜん美味しかった)
また、12時からと15時からの2回、1時間の水上人形劇が上演されていて、舞台が本格的。(忠実に再現されていました)また、ハノイで見た劇の内容よりも色んな人形が登場して、とてもカラフルで良かったです。』 http://www.fair.or.jp/messe/
私もベトナムにいる間に美味しいフォーを満喫したいと思います。 うまく言えないけど、同じフォーでも、やっぱり、気温とか、景色とか、料理人とかで味が違ってくるのでしょうね。 |
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温泉 | 日本にいる間にしようと思っていたことは、美容院にいく、墓参りをする、温泉に行く ことでした。 温泉がまだだったので、今日、二色浜の虹の湯へ行きました。 日本は3日4日5日と連休のため、子供が多く、大変混雑していました。 ベトナムは、メーデーの5月1日が祝日でした。 |
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2006年5月2日(Tue) 家に咲いていたスズラン.家の中の観葉植物は、息子が水やりを忘れて、枯れてしまったのに、外は適当に雨が降ったためか、スズランは今年も咲きました。 |
明後日、ハノイに帰ります。あれもこれもと思っていると、どんどん荷物が増えてしまい、何を削ろうかと悩んでしまいました。 | |||
2006年5月1日(Mon) 女四代勢揃い! 95歳のおばあちゃん、嬉しいことに春になって元気になりました。 恐ろしき、明治生まれの精神力。 |
大阪の自宅に戻る時、百貨店で食べたいという誘惑に負けて「たねや」の柏餅を買ってしまいました。 やっぱり、美味しい |
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山菜 (吉野山で) |
イタドリ (真ん中の写真)おしたしになります。 |
イタドリ 皮を剥き、何回も湯がきます |
蕨の卵とじ(ご近所から蕨を頂きました) |
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