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特集2005年12月25日〜2006年1月6日 ベトナム縦断旅行 
 
2005年7月8月9月10月11月12月特集(12/25〜1/6)
2006年1月
2月3月4月5月  

 このページは、上から下に読んでください。
 子供達(大学生2人)が、日本から2週間の予定で、ベトナムに来ましたので、ベトナム北部(ハノイ・ハロン湾)・中部(フエ・ホイアン・ミーソン・ダナン)・南部(ホーチミン・メコンデルタ)をめぐりました。 
ハノイ Ha Noi

ホーチミン廟
中は撮影禁止です。
2005年12月25日(Sun)
 ハノイ市内観光(ハノイはベトナム北部です)
 朝から、何故だか私の調子が悪く、吐き気と下痢の心配をしながら、市内を案内しました。
 ホーチミン廟は、月・金以外の午前中11時までなので、一番に見学。
その後、ホーチミン博物館 → ホーチミンの家 → 一柱寺 →  文廟と、お決まりのコースを案内。そこで、私の体調が最悪となり、後は、主人に任せて、一人自宅に戻り、トイレとお友達。(いつも元気だけが、とりえなのに・・・)
 折角、子供達が来たのに、昼から、いろいろ旧市街地を案内したいのに、動けなくなりました。(情けない状態です)


ホーチミン博物館の中
立派な建物。ホーチミンの生家の模型、愛用品、手紙などの展示があります。

一柱寺(1本の柱の上に建つ寺。)
李朝のリータイトンが、1049年に、子供が授かったお礼に建てた寺です。


ホーチミンの家
高床式で素朴な建物。
廊下から書斎と寝室が見れます。


文廟
孔子を祀る


「賢くなりますようにと、亀の頭をなでます」
文廟内にある
19世紀、グエン朝時代にできたケイ文閣は、82の石碑が置かれ、300年間の科挙試験に合格した82人の名前が刻んであります。
 石碑は、全部違う顔をした亀の上に載っています。
 この後、私は、ダウンして翌日まで、何も食べずに寝続けました。
 子供達と主人は、ハノイガーデンでお昼ご飯を食べ、夕食をベトナム料理で有名なナムフーン(民族楽器の演奏も聴ける)を予約していたので、その間、旧市街地を、ただひたすら歩き回ったそうです。
 大教会(10月7日に詳しく載せています)玉山祠(11月29日に詳しく載せていますロンビエン橋ドスファン市場マーマイの家旧市街地のごちゃごちゃとした街中を、何もショッピングすることなく、ひたすら歩き、3人は歩きつかれて帰ってきました。
 私が一番活躍できる日に、ダウンするなんて・・・・・エエトコナシです。
2005年12月26日(Mon)
 ハロン湾へグループツアーを3人で、申し込んでいました。
体調を心配しながら、とにかく私一人、何も食べず、一日を何とか乗り切りました。
 ハロン湾(2005年9月4日に、主人と貧乏旅行をしていますので、そちらもご覧ください)
 世界遺産になっているハロン湾は、海面から奇岩突き出しています。
ハは、降りる。ロンは、龍を意味します。

バイチャイから、船に乗ります。

果物や、魚介類を積んで売りに小舟が近づいてきます。

闘鶏島 2羽の鶏が闘っているように見えることから名づけられました。

ティエンクン洞 鍾乳洞
 ダウゴー島に、ティエンクン洞(thien Cung 天宮)とダウゴー洞(Hang Dau Go)の2つの鍾乳洞があり、赤、黄色、緑でライトアップされています。
 中には、沢山、鍾乳石があり、龍の形のもの、亀の形のものなどが有名です。「天宮」の名前の由来の通り、上のほうに穴が開いて、本当に天から光が差し込み、天国へ続くような気持ちになるところもあります。
 写真は、乳房の形をしていて、これには伝説があります。龍のお父さんと、妖精のお母さんの間に100人の子供が生まれますが、住む世界が違うため、50づづ、子供を連れて海と山に分かれて住みます。妖精のお母さんは、50人の子供を育てるため、この乳房を作ったというお話でした。(イングリッシュガイドさんの話)
 でも、ガイドさんは、この話の前振りに、「男の人は嬉しそうに喜んで、この乳房形の鍾乳石の写真を撮ります」と言ったのを、私は聞き取れてなくて、1番に写真を撮ったので、娘から「お母さん、恥ずかしいから止めて」と止められてしまいました。

ダウゴー洞 鍾乳洞


ペンギンの形をしたゴミ箱
あまりにマヌケナ顔だったので、思わず撮ってしまいました。
 左の写真は、海に浮かぶ小学校です。
 右の写真は、淡水真珠や魚介類を養殖し生計を立てている、海に浮かぶ民家です。
 水位の上下に添って、建物も上下します。
15人ぐらい乗れる小舟に、海の真ん中で乗り換えて、洞窟状になった所をくぐりました。
 くぐると、360度ポッカリ空だけがポカット開いた気持ちの良い空間があり驚きました。

扇風機を回して写真を撮りました。(寒いよ〜。早くシャッター押して)
2005年12月27日(Tue)
 アオザイを着て、変身写真を撮りました。
 親が言うのもへんですが、流石、娘は可愛く撮れています。(番茶も出花)
 私は、タイのオカマショーに出てきた男の人のようでした。いかつい肩幅に、ドギツイメイク。
 (8年程前、タイに家族で旅行したとき、「男の宝塚と思って見てください。」という、現地ガイドの言葉を鵜呑みにして、中学生の息子と高校生の娘を、オカマショーに連れて行ってしまい、同じツアーの人から、冷たい視線を浴びてしまいました。)
 (2005年10月26日に、お友達のKさんと撮ったとき、詳しく、衣装選びから、撮影までの手順を載せていますので、良かったらご覧ください)、

遠目には、姉妹に見えなくもない?
(あつかましいかしら?)
 ランチは、グリーン・タンジェリンというお店で、フランス料理と洒落てみました。
 創作フランス料理に、おいしいデザート付きで、6ドルです。


水上人形劇
 ベトナムに来たら、一度は見たい水上人形劇(2度はいいかな。でも、私は、2回目)
 コミカルに人形が動き、短いストーリーが17話あります。
 最後に、舞台の後ろから、人形使いの人が、腰まで水に使って出てきます。
シルク製品のお店や、可愛いベトナム雑貨のお店に連れていきましたが、娘も息子も全く興味がなく、何もいらないと言います。(愛想なしでした)
 ベトナム中部の、フエ、ホイアン、ミーソン、ダナン、そして、南部のホーチミン、メコンデルタへと7泊8日の旅に出ます。(2005年12月28日〜2006年1月4日)

フエ Hue

 フエ空港
フエに着いたら雨でした。
2005年12月28日(Wed)
 旅行の日程をたてる時、何を勘違いしたのか、朝6:00飛行機を予約してしまいました。と言うことは、5時に空港に着いていなければならず、空港までタクシーで30分かかるということは逆算して、朝4時起きと言うことになりました。
 まだ、真っ暗な中、目覚ましを頼りに起床。寝ぼけ眼でハノイ・ノイバイ空港へ、前日予約したタクシーで出発。
 空港で、朝食を済ませ、ゆっくりしていると、トイレから娘が、慌てて出てきて「今のアナウンス聞いた。フエ行きの最終コールしたいたよ。今まで1回もコールしてないのに、・・・ゲートを閉めるから、早く来るように呼んでいる」と言うので、チケットに書かれているゲートまで、走ったら、ゲートが閉まっていました。
 まさか、初日から、飛行機の乗り遅れ・・・・??? と一瞬青ざめ立ち尽くしていたら、他にも3人、そのアナウンスでゲートに走った人がいました。
 おもむろにゲートが開いて、なんと一番乗り! となりました。(ややこしいアナウンス流すな!!) 娘は、イギリスに留学していたので、英語力は確かなのです。聞き間違えたわけではありません。
 フエ空港は、ベトナム人ガイドの人が迎えに来てくれていました。

グエン朝王宮 王宮門
 フエといえば、ベトナム最後の王朝、グエン朝(1802〜1945年)の都が置かれていた場所で、世界遺産です。
 フォーン川を挟んで、新市街と旧市街に分かれています。
 グエン朝王宮は、かなりの広い敷地ですが、ベトナム戦争により、破壊された部分も多く、修復作業もしていました。
 雨と言うこともあり、静かで王朝時代にタイムスリップしたような感覚になりました。
 ミンマン帝期に創建されたそうです。門口が3つあり、真ん中は皇帝だけが使用していたそうですが、私達もそこから入りました。

フラッグタワー

王宮門の2Fは、皇后の部屋でした。 

太和殿
 王宮門から、太和殿をみたところです。
王宮門からの眺めは素晴らしいです。
 太和殿の前の石畳に、当時貴族達が並んだ位置が階級順に残っていました。
 たとえば「正一品」と書かれてところが、一番、太和殿に近く上席です。
 中は撮影禁止になっていました。
 皇帝の即位式が行われたところで、金箔の椅子と台座が置かれていました。


ティエンムー寺
Chua Thien Mu
1610年創建、七層八角形の塔がきれいです。


約2トンの鐘


寺の中心へと向かう通路


寺の中心にある、釈迦を祭ったダイフン寺


修行中の小僧さん
修行が終わると丸坊主にするそうです。


住職が、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺したとき使用した車


ふくよかな仏様
 ドンバ市場 Cho Dong Ba
 フォン川沿いにあり、1Fは食料品、2階は衣料品があり、大きな市場でした。
電力事情が悪いのか、停電していました。

トゥドゥック帝廟
Lang Tu Duc
 1864年から3年かけて造られたものです。
 美しい造りでした。
皇帝と皇后の衣装を着て記念撮影
石畳の中庭に象や馬や役人の石像が両側に立っています。
 皇帝の背が低かったので、皇帝より高い石像はなく、全て低く造られているそうです。
これらの石像は、死者霊を守るためだそうです。
 線香を作らせてもらいました。
 教えてくれた中学生ぐらいの女の子は、大変手際よく作っていきます。
 出来上がった線香を、干す作業です。束になった線香を持って、手を離すと花のように広がります。


カイディン帝廟

Lang Khai Dinh
 12年もの歳月をかけて造られた廟。

馬や象や役人が、廟を守っています。ここは、ミンマン帝のより、背が高いです。


廟内は、美しく装飾されていました。


十字架とかも飾られていて、ちょっとヨーロッパ調のところがありました。



 フエと言えば、「宮廷料理」。イータオ・ガーデンに予約を入れてもらいました。
 王族に仕えていた祖先が、代々味を伝え再現したそうです。 民族楽器の演奏も、運よく見ることが出来ました。
2005年12月29日(Thu)
 フエからホイアンに向かう途中ダナンの街に入る手前に、ランコービーチ Lang Co Beach と言う美しい砂浜があり、立ち寄りました。
 ダナンにあるチャム彫刻博物館です。
 迎えにきてくれた、ホイアンのホテルの運転手が、「寄ってもいいよ」と言って立ち寄った博物館でした。あまり、待ってもらっても悪いかなと、思い20分ぐらいで出てきてしまいました。
 このあと、ホイアン2泊した後、どうしてももう一度、ちゃんと見たくて、予定を変更し2時間かけてゆっくり見直しました。
 ダナンの五行山 Ngu Hanh Son の一つトゥイーソン。大理石で出来ていて山腹の洞窟があり、仏像がありました。(懐中電灯を借りて入りました)
 少し高い場所なので、眺めも良かったです。
ホイアン
HOI AN
に到着
先ずは、ホイアン名物を食べて、その後、観光チケットを買い、町並みを散策。


ホワイト・ローズ
(バイン・バオ・バック)


揚げワンタン
(ホアン・タイン・チエン)


カオ・ラウ


来遠橋(日本橋)
橋の真ん中に小さいお寺がありました。


タンキーの家 進記家
現在でも使用されている華僑の家。柱や格子彫り物が素晴らしかった。


海のシルクロード博物館
沈没船からの引き上げた陶器など展示してありました。


サーフィン博物館
チャンパ文化以前の文化の土器や生活用具など展示してありました。


クアンコン廟
関羽が祀られていました


何日も燃え続ける線香
真ん中の黄色い紙に、住所と名前と願い事が書かれていました。


ホイアン歴史文化博物館


廣肇会館
広東省出身の華僑のために作られた集会所
 ホテルは、見た目はすごく良かったけど、シャワーカーテンがないので、シャワーが飛び散るため、浴槽にしゃがみ込んで、洗髪しました。

進記家の前のトゥボン川 
 服をオーダーメイドできるお店が沢山あり、3人でズボンを作りました。
 店員は、イギリスのスタイルブックを見せて、注文を取り付けるまでは、笑顔で、丁寧に応対していたのに、翌日出来上がりに、身に合っていないところのお直しを言うと、とたんに顔つきが変わり、椅子に座り、足を組み、腕組みをして、「一応あんたの言うことは聞いてやるけどね・・・・」とでも言わんばかりに、横柄な態度に豹変しました。
ミーソン 
MY SON

Hグループ
2005年12月30日(Fri)
 「ミーソンとは、美しい山」という、ガイドさんの説明を聞き納得しました。
ミーソンは、ホイアンの南西役45Kmのところのジャングルの中にあり、チャム族が築いたチャンパ王国の聖地です。
 4世紀後半にシヴァ神を祀る祠堂を建てたのが始まりだそうです。
 この地に立つと、周りの遺跡や山々から、何か語りかけてきそうで、とても神秘的でした。
 ミーソン遺跡は、1898年フランス人のM.C Parisに発見されましたが、残念ながら、ベトナム戦争でいくつも壊されて原型を留めていないものが沢山あります。(この密林にベトコンが隠れているかもしれないというこで、アメリカ軍は、破壊したそうです。)
 現在残っているのは、B、C、Dのグループです。
 建物は、接着剤を使わず、擦り合わされて造られています。予算の無いときに、セメントでくっつけた方が、苔が生え、古く感じます。創建当初の技術の高さを感じます。
 


チャンパの踊り


B、C、Dグループ

緑とレンガのコントラストが不思議な感じがしました。


聖水を汲むところ

祠堂の中に女性を象徴するヨミ、その上に男性を象徴するリンガがあります(儀式の空間)

Cグループ

ドヴァラパーラ(守護神)
頭部が破壊されています


レリーフが綺麗です。
ホイアン
祝聖寺(チュックタイン寺)の門
 2時ぐらいにもどり、、ホイアンも殆ど見てしまったので、ガイドブックにのっている、祝聖寺(チュックタイン寺)へ行くことにしました。
 ホテルのレセプションでシクロ(乗ったことが無いので、ホテルで呼んでもらったら安全かなと思い)を呼んでもろおうとお願いすると、「道が細いので、バイクが良い」といわれ、一人4ドルを払うよう言われました。
 土地勘もないし、少し郊外だったので、その条件でOKしました。
 そしたら、今レセプションにいた3人が、自分のバイクを持ち出し、その後ろに乗るようにいうのです。
 そして、祝聖寺(チュックタイン寺)についてみると、ガイドブックとはかなり違う、門だけ立派なボロボロのお寺がありました。唖然としている私たちでした。とりあえず、門の前で写真だけとりました。
 その後、バイクは1台いなくなり、2台で移動となり、子供達は、3人乗りを余儀なくされ、「とにかく安全に走ってとお願いし、またまた、ガイドブックに載っている「日本人の墓」へ案内してもらいました。
 墓は、田んぼのあぜ道をとおり、田んぼの真ん中にあります。「谷弥次郎兵衛」さんと書かれていました。
 ベトナム人の墓守の人がいて、線香を渡されたので、手を合わせて、線香代の相場のお金をその墓守の人に渡すと、それの10倍の札を見せて、それを線香に挟むよう指示されました。
 日本円に直すと、たいした金額ではないし、お墓の前でもめるものいやらしいので、言われるがまま、線香の間にお金を挟みましたが、あれは、あのおじさんのお小遣いになったのでは・・・・納得いかん!! 
 ホイアン教会
 植民地時代に建てられたそうです。
中に入れず、これも空振り。
 これで見るところがなくなり、ホテルへ帰りました。
 
 3人乗りした、バイクのホテルの従業員は、ホテルに着くと、娘の名前と、年齢、メールアドレスを教えるよう話しかけてきました。そして、私がいるのにお茶に誘ったのです。さらっと断り、(調子に乗るな!!)と心で言い、さっさと部屋にもどりました。
 女の子を口説く暇があったら、部屋のかび臭い毛布を何とかして・・・・!!!(因みに3つ星ホテル)

 チャム彫刻博物館
Bao Tang Cham
2005年12月31日(Sat)
 今日は、ホイアンからダナンへ車で移動して、ダナン空港から、ホーチミン空港へ行き、ベトナム南部に行きます。
 もうホイアンにいても仕方ないので、11時出発を9時に変更して、ダナンの「チャム彫刻博物館」でチャンパの彫刻を鑑賞しました。
 ヒンズー教のシヴァ神やガネーシャ神の石像など、7世紀から15世紀にかけての遺物が、ガラスケースなしに展示しています。
 ガイドをお願いすると、70歳ぐらいのおじいいさんが、「ロンリー プラネット ベトナム編(英語で書かれたガイドブック)」を見せ、「このページに載っている英語が上手なガイドは、私です」と言い、ベトナムなまりの英語でいろいろ説明してくれて、最後に「退職しているので、ガイド代100,000VNDを要求されてしまいました。少し高いと思ったけれっど、いろいろ説明してくれたので、一応納得して払いました。
ダナンから飛行機でホーチミンへ(南部)
ホーチミン
T.P.Ho Chi Minh
 空港を降り立ってびっくり、30度もある。真夏です。着ていた服を脱ぎ、半袖1枚で十分でした。

永厳寺(ヴァンギエム寺)
 日本留学から帰国した僧が開いたお寺だそうです。
 日本の曹洞宗のお寺から、「平和の鐘」も寄贈されていました。
 大晦日をホーチミンで迎えることになりました。
 ちょっと贅沢して、海鮮料理で有名なゴックスーンで、伊勢海老、トム・シン・ドットルウ(酔っ払い海老)などを食べ、年越しをしました。
2006年1月1日(Sun)
 
 A Happy New Year!
        2006年の新年を、ホーチミンで迎えました。
               今年もよろしくお願いいたします。
メコンクルース
Upper Mekong
 ホーチミンから50Kmほどのメコンデルタのカオラハ Cao Lanhと言う村のMy Hiep家の自家用ボートを借り(エンジン付き)、マングローブの森へ向かいます。  Xco Quit村で、昼食後、手漕ぎの小さい木の舟(5人定員)に乗り換えます。
つまり、漕ぎ手のおばさん、私達3人、ガイドの人が縦一列に並びます。
これからジャングルツアーです。

マングローブの森(ジャングル)の水路
 すぐ10cm下に、もう水面があり、しかも透明度は悪く、深さがどれぐらいあるのか見当がつきません。 水路は狭く、蛇行していて、この小舟が1艘、通るのがやっとで、マングローブが迫っています。
 この漕ぎ手のおばさんに、私達の命を預ける形になりました。
 おまけに蚊が飛んできて、それを後ろの人が、静かに掃わなければなりません。(大きく動くと舟が傾く心配があります。)
 ここで、蚊にさされて、デング熱やマラリアになっては大変ですから・・・・・ 

解放戦線の拠点
 この写真は、大きな木の影になりましたが、岸にある解放戦線の拠点です。
 ガイドブックには「大自然の熱帯の風を受け、心が開放されます」と書かれていましたが、私達は、緊張の連続で、舟を降りたとき、地面に降り立った安心で、全身の力が抜けるほど、ホットしました。蚊が足元から10匹ぐらい出てきました。
本当に今思えば、貴重な体験でした。
その後、フェリーでカントー Can Tho で1泊しました。
メコンクルーズ
2日目
水上マーケット

Floating Market
2006年1月2日(Mon)
 野菜、果物を竿の先ぶら下げます。これで何を売っているかがわかります。
 大きい船と小さい舟が入り乱れ、売り買いをしていました。大きいほうが卸で、小さいほうが小売のようでした。
 私タイの舟に近寄って来て、舟を掴み、ジュースや水を差し出した舟がありましたが、押し売りだったので、断りました。


舳先に15歳ぐらいの子供が乗り、込合った舟の間をかき分けながら進みます。


舟の後ろにエンジンを操作するおばさん2人と一緒に
今日も木造舟です。エンジン付きでしたが、屋根がありません。
 おばさんと同じようにノン(三角の帽子)を被ってメコンクルーズをしている時、欧米人の乗った観光船から、カメラの被写体に収まってしまいました。
 ひょっとして、私達、観光客とは思われず、ベトナム人に間違えられた????


ライスペーパーを作っている村を訪れました。
 これは、竹で編んだ物の上に広げて乾かしているところです。


モンキー フリッジです。
観光客用に浅いところにかけています。


丸太1本の上を渡りますが、思ったより怖くはありませんでした。
 その後、再び、先ほどの木造舟に乗ったら、エンジンがかからず、川を遡る予定が、川下へ流され始め、またまた、ひやりとしました。
 ガイドのお兄ちゃんは、どうも、都会育ちらしく、エンジンを引っ張っても力が弱いのか、かからず、通りかかった観光船のいかつい日焼けしたおっちゃんに、助けてもらいました。ホットしました。ミトーで休憩し、ホーチミンへ戻りました.。
 当たり前だけと、緯度が下がっている分、日が長いです。
 夜は、娘がイギリスに留学中の同じ寮にいたお友達のTちゃんに会うことができ、一緒に夕食を食べました。
 Tちゃんは、お父さんがベトナム人、お母さんがドイツ人です。
 今回、ベトナムのおばさんの家に来ていて、明日、ドイツに帰るそうです。本当によくホーチミンで会えたと思いました。
 Tちゃんのお父さんは、小さいころこのあたりに住んでいて、安くて美味しい店を沢山知っています。
 食堂で、私が何か訪ねると、私の日本語を娘が英語に直し → Tちゃんがドイツ語に直し → お父さんがベトナム語でベトナム人に聞いてくれ、その返事が、まったく逆に ベトナム語→ドイツ語→英語→日本語 となって返ってきます。Tちゃんとお父さんの共通言語はドイツ語なのです。
 また、今度、いつ会えるのでしょうね。
クチ Cu Chi
ベトナム戦争当時、解放軍の拠点でした。
アメリカ軍の空爆に地下トンネルを掘って、ゲリラ戦をしたところです。

2006年1月3日(Tue)
 今日は40人ぐらいのグループツアーです。私達のほかに日本人のカップルがいました。あとは、欧米人でした。
 クチに着く前バスの中で、ガイドの人が、「自分でチケットを買って、その後ビデオを見てから、見学コースを案内します」と言いました。
 チケット売り場は、他の団体が入り混じり、ごった返していました。その奥でビデオを上映していたので、そちらに入ろうとしたら、娘が「私達のグループの人が、ビデオ室に入らないで待っているから、入らないほうがいいんじゃないの」と言ったのです。
 ガイドの人は、日本のように人数を数えたり、親切にチケットを買いに行ったり、ましてや、旗を持って「ここに何時に集まれ」とかは言いません。
適当に皆がチケットを買ったころを見計らって、ガイドは「私のグループ、出発!!」と一声揚げて、見学コースに出発しました。
 100mぐらい進むと、そこにも、ビデオ室があったのです。
 さっきのビデオ室は入らなくて良かった。「娘は良く見ているなあ」と感心しました。その後の地下トンネルなど見学し、ふと気がつくと、最初バスに乗っていた日本人がいませんでした。
 見学コース2時間余り終わってバスに戻ると、その日本人2人は、バスで待っていました。チケット売り場の奥のビデオ室に入ってしまい、皆とはぐれたので、どこも見学できずバスにもどったそうです。
 日本人の観光が、「至れり尽くせり」なのか、過剰なかはわかりませんが、このときほど、自己責任を感じたことはありませんでした。

いろいろな仕掛けが沢山観光用に保存されていました。

地雷で動けなくなったアメリカ軍の戦車

トンネルの中は、暗く、非常に狭く、かがんでやっと進めるぐらいです。
息をするのも苦しい状態でした。息子の後姿。
ホーチミン

統一会堂 
Dinh Thong Nhat
 クチからホーチミンに戻り、遅い昼食後、明日の市内観光コースに入っていない、「統一会堂」を見学しました。
 旧大統領官邸で内閣会議室や宴会室、大統領の応接室などと、地下には、ベトナム戦争中に使われていた、大統領の司令室や暗号解読室などもありました。
 1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸鉄柵を突破して、無血入場をし、ベトナム戦争が終結したところです。

一弦琴の弾き方を教わりました。
 そろそろ旅の疲れが出てきてきたので、フットマッサージをしてもらいました。1時間4ドルでした。 
ホーチミン市内観光

天后宮(ティエンハウ廟)
2006年1月4日(Wen)
 チョロン Cho Lon地区(華僑の人たちが沢山住んでいるところ)にある天后宮(ティエンハウ廟)です。
 福建系華僑の人たちが信仰している航海安全の神様、ティエンハウ(天后聖母)が祀られています。
 右の写真のように、天井からいくつも、巨大な渦巻状の線香が吊り下がっています。

ビンタイ市場 Cho Binh Tay
ビンタイ市場 
Cho Binh Tay
チョロン最大の市場

チョ(Cho)・ロン(Lon)とは、大きな市場と言う意味です。この建物の周りにも沢山の店が隣接しています。 
 チョロンは、17世紀に中国お潮洲から来た人たちが、沼地を切り開いたとか。
 ビンタイ市場は、建物の作りが中国的です。屋根に立派な龍の装飾があったり、建物が「四合院」様式と言って、真ん中に中庭があり、周りをいろいろな卸問屋がぐるっと取り囲んでいます。

戦争証跡博物館
Bao Tang Cich Chien Tranh
戦争証跡博物館
 
ベトナム戦争の様子をいろいろな角度から遺物を展示しています。
 余りにも、残忍で、悲惨で目を覆いたくなる光景ばかりでした。
 左の写真は、故沢田教一氏が、ピュリッツアー賞を受賞した作品「安全への逃避」です。

サイゴン大教会
 サイゴン教会 Nha Tho Duc Ba
とても、優雅な外観です。2つの尖塔を持つカトリック教会で、下から見上げると、そびえ建つ、という感じです。
 もっと下がって写真をとれば良かったのですが、左の写真は上半分しか写っていません。右の写真は、下半分です。
 教会の中は、閉まっている時間帯でしたので、見ることができず残念です。 

中央郵便局
駅に見えましたが、中央郵便局です。
フランス統治時代に建てられました。
 内部の天井がアーチ型できれいでした。
 切手も沢山展示していました。
 グリーティングカードや、絵葉書が売られていました。
 テト用のNew Year カードは、スイカを飾っている絵もありました。
1年中、スイカがあるようです。
 お昼ごはんは、クアンアン・ゴン Quan An Ngon で、ベトナム料理を食べました。店内の四方の壁際に、キッチンが並んでいて、いろいろな種類のベトナム料理の出来立てが、食べられます。しかも、リーズナブルなので、観光客やベトナム人で、店はごった返していました。
 因みに店の名前の最後の「Ngon」 は、「おいしい」という意味です。
ベンタイン市場 Cho Ben Thanh
 食品・衣料品・雑貨、何でも揃うホーチミン市最大の市場。
 日本人観光客が良く来るためか、娘には「お姉さん、お土産1ドル」、息子には「お兄さん、見ていって」、私には「お母さん、何探してる」と、声をかけてきます。
 特に欲しいものはなく、20分で終わりました。

覚林寺(ヤックラム寺)
 覚林寺 Chua Giac Lam
 1744年の建造で、ホーチミン最古のベトナム仏教寺院です。
 ちょうど、読経の時間でした。ガイドの人の説明では、お経は、ベトナム語だそうです。
 中にお坊さんのタイムスケジュールが貼ってありました。
 3時30分起き、勉強の時間も、昼寝の時間も、武術の時間もあるそうです。勿論、1日4回、読経の時間もあります。
 左の写真の仏像は、本堂にいく途中にあり、高さ3mほどですが、ガイドブックには、黄色の仏様が赤い在座の上に座っているのに、実際は真っ白でした。塗り替えたのでしょうか?
本堂の中の数々の仏様は、歴史を感じるものでした。
ホーチミン空港からハノイへ戻りました。
2006年1月5日(Thu)
 主人の会社にご挨拶に伺いました。大変暖かく迎えていただきました。
 私がこちらに7月に来た時、私が「職場にご挨拶に行こか」というと、「何しに来るね」の一言だったのに、今回、主人は、娘と息子と、ついでに妻と紹介しながら、終始、満面の笑みでした。主人の嬉しそうな顔を久しぶりに見ました。

テトの仏壇の飾り方
民族学博物館Bao Tang Dan Toc Hoc Viet Nan (パオタン・ザン・トォック・ホック・ベトナム) (2005年10月8日に詳しく載せていますので、良かったらご覧ください) 
 ベトナムの54ある民族の紹介です。山間部や高地の少数民族の生活の様子が再現されています。
 以前と違ったのは、テトの日飾り方や過ごし方が、詳しくビデオで紹介されていました。やはり、日本のお正月のように、お年玉をあげるそうです、 

移築してきた、各民族の住宅です。
2006年1月6日(Fri)
 今日は、リラックスタイム。エステでラバーストーンをしてもらっている間に、寝てしまいました。 
鎮武観
 北の守護殿として建てられた道教寺院。
鎮国寺
ベトナム最古の寺だそうです。
 外から眺めるほうが、風情があります。
 夜、子供達は、関空へ向けて飛び立ちました。ハノイ・ノイバイ空港で思ったよりパスポートコントロールに時間がかかり、乗り遅れないかと、ちょっと心配しました。
 日本だと、1人に30秒ぐらいですが、出国には厳重なのか、1人5分程かかり、並んでいる列が中々減っていかなかったのです。
 翌朝、6時に無事関空に着いたと連絡がありり、ほっとしました。