VIET NAM ベトナム だより(11) 

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仁王門で
2006年4月30日(Sun)
 3月にハノイに来てくださった主人の仕事関係の方6名を含めて、全員で8名の方が、私が吉野にいると知って、吉野に来てくださいました。

吉野雛を作る工房
 法螺貝も吹いてもらいました。
遅咲きの八重桜が咲いていました。
黒門の少し上にあった八重桜。

勝手神社の八重桜

シャガ(湿気の多いところに咲きます)
 ベトナム フエにあるファンボイチャウの銅像  NHK BS特集で「世界から見たニッポン・明治編A アジアの希望と失望」と言う番組がありました。
 100年前の東遊運動でファンボイチャウはじめベトナム人が日本へ留学したことに関する話です。
 100年前の私の知らないベトナムと日本の関係が描かれていました。(今も知らないこと一杯ですが・・・)
2006年4月29日(Sat)
 
娘が初給料で、お昼ご飯をご馳走してくれました。
 お豆腐料理で有名な「梅の花」。生湯葉、生麩がとてもお美味しい。
三宮の中華街
三宮に来るのは何年ぶりかなア。 
2006年4月28日(Fri)
 娘の西宮下宿を訪ね、夕食を食べるため、初めて苦楽園に行きました。
 苦楽園は高級住宅地。 天ぷら屋さんで横に座ったオバサマが、ドラえもんに出てくるスネオのザーマスママに似ていてビックリ。
 右の写真は、初めて見た「ナチュラル ローソン」おなじみのコンビニですが、少し高くても良いものを置いているそうです。

道頓堀 難波に用事があり、久しぶりに道頓堀を通りました。相変わらず動くカニの看板です。
2006年4月27日(Thu)
 高島屋に行った後、方向を間違えて、昔の球場の跡地に建った難波パークスに迷い込み、・・通りかかった若いお姉ちゃんに道を聞いたら、180度反対を教えられ、迷子になってしまいました。(知らないのなら、知らないと言って!!)

道頓堀の工事
阪神が優勝しても飛び込めないように・・?

よしもと」も前で芸人さんがパフォーマンス。
風船で作った帽子を頭にかぶっています
KIHACHI
阿倍野HOOPにある、素材のハーモニーを楽しめるイタリアンのお店。
 お店のガラスに水が静かに流れています。
 独身のころから私のことを知って下さっているダンディな大阪のKさん。 ベトナムのホーチミンで何年かお仕事をされたことがあり、ベトナムには私よりずーっと詳しい。
 私のHPを見て「あなたの性格を誤解していました。よほど几帳面か、よほど暇なのですね」というメールを頂きました。(答えは後者です)
 今回 「河内のオバサン(私のこと)が帰ったら、一緒にお茶をしよう」と阿倍野のお友達と創作イタリアンに誘って下さいました。
ちなみにハノイは漢字で「河内」と書きます。
スカイプ  夜、ハノイのいつものKさんとNさんと3人が、偶然パソコン上にいることがわかり、スカイプの「会議」で、3人同時に話をすることが出来ました。
 最近、スカイプにも、カメラ機能があり、2人(3人では出来ません)で顔を写すことも出きました。
 その後、主人ともスカイプが繋がり、MSNメッセンジャー(Webカメラ)に写った姿は、何日も前に作ったおでんを、何日も食べている主人でした。(ゴメン)
2006年4月26日(Wed)
 地域の子供会の役員だった時のお友達。子供は既に大きくなっていますが、親の会だけ残っています。何かと留守の我が家を気にかけて下さっています。  今日は私の一時帰国を知り、(と言うか、こちらから日本に帰っているとメールを送り)皆さんご都合を付けて下さいました。 うれしい事に、好き勝手書いている私のこのHPを読んで下さっていて・・・ベトナムの話に花が咲きました。
 そして話題は、薄くなりかけた頭髪の毛染めの事や、なんと言っても10月に行われる地車(だんじり)祭りの話 etc。 
 お料理も創作串揚で前菜盛りも薩摩切り子の器ですてきでした。

後ろの満開の桜が、私達で隠れてしまいました。女盛りのウバザクラ?
2006年4月23日(Sun)
 高校1年生の時、偶然同じ組になった5人が、ずーっと友達で、今も続いています。みんな背が高く、平均身長が163Cm。美女軍団??
 今日は、久しぶりに私に会うため吉野山に来てくれ、奥千本、上千本へ出かけました。
 あれから、約30年・・・それぞれ人生は違いましたが、合うとすぐに高校時代に戻ったような気分で話が弾み・・・・そして、話題の中心は・・悲しいかな老眼が入ってきたとか、更年期障害のこと・・・・話は尽きません。月日の経つのは早いものです。
 竹林院前からマイクロバスに奥吉野周遊ドライブウェー(杉林の曲がりくねった道を15分程)を通り奥千本へ
金峯神社祭神は吉野山の地主神、金山毘古命)
奥千本の終点から登り坂を15分、金峯神社
 まだ、桜がありました。
 今回は行きませんでしたが、さらにここから、上り坂15分で西行庵があり、その奥に、大峯山に続く道があります。「女人結界」とか書かれている所からは、男性しか足を踏み入れられません。

近くに義経と弁慶が追っ手から逃れるために隠れた義経隠れ塔があります。
 帰りはバス道とは違う道で、奥千本から上千本へ下って来る途中の高城山休憩所から。
 左奥に二上山、中央に竜門岳、右奥に高見山がきれいに見渡せ、手前にまだ桜が咲いていました。 

高城山休憩所から

高城山休憩所から

途中にあったお不動さん
水分(みくまり)神社
 水の分配を司る、天之水分大神を主神としています。
 “みくまり”が“御子守”となまって俗に子守さんとよばれ、子宝の神として信仰されています。
 桃山様式のたいへん美しい本殿や楼門・拝殿などからなる神社で本殿は一間社春日造りです。  国学者本居宣長は、なき父母がなかなか子宝に恵まれず、吉野の子守の神(吉野水分神社)に熱心にお参りをしたご加護で自分が生まれたと信じており、そのお礼参りのため、世に聞く吉野の桜見物をかねて春の吉野に訪れました。その様子は「菅笠日記」に納められています。
 私も、子供が授かったとき、腹帯を安産祈願してもらいました。
滝桜
花矢倉付近一帯の桜群。花の盛りに中千本から見上げると、満開の桜花が滝の落ちるような壮観を呈するのでこの名前がつけられました。

中央に蔵王堂があり、満開の時は、山肌が白くなります。

残る桜

上千本の中の残る桜
竹林院
 聖徳太子の創建と伝わる寺院で、格調高い宿坊としても有名。護摩堂に安置されている聖徳太子坐像は南北朝時代の作。
 庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれています。

天人桜
うす紅のしだれ彼岸桜で紅と白の中間の花が咲く。吉野山内では最も長寿

吉野山西側をのぞむ池泉回遊式の借景庭園で、大和三庭園のひとつにもなっています

龍吟之松(竹林院内)

赤と桃色の椿(竹林院内)

石楠花と護摩堂(竹林院内)

チューリップ(竹林院内)

ボタン桜(竹林院内)
宮坂にある
井光神社八幡宮
 

山ツツジだと思います。
 桜の咲いているときに、奥千本まで行ったのは初めてでした。奥は桜が少ないけれど、それなりに咲いていました。
 また、5人揃って合いたいね。(私も一緒に山を下り、大阪の自宅に戻りました。)
角川春樹さん 2006年4月22日(Sat)
 昨日は、寒くて背中にホカロンを貼り付けていましたが、今日は暖かくなりました。吉野山に角川春樹さんの別荘があります。ときどき来られているそうです。
 高校の修学旅行で春の吉野に来られて、それ以来、吉野の桜に魅せられたとか・・・・
 「荘厳さと妖艶、それにすごみが溶け合っている。魔境のような所」と先日の新聞のインタビューに書かれていました。  何という凄い感性・・・・・・・。
 22歳までずーっと住んでいたけど、何も感じなかった私・・・やはり凡人。
2006年4月20日(Thu)
 昨夜、激しい雨が降りました。朝、窓を開けてビックリ!
中千本の殆ど桜が散ってしまって景色が変わっていました。
私が、1日 吉野にいなかった日は、時々、突風が吹き、その度に花吹雪が舞ってとてもきれいだったそうです。そして、昨夜の雨・・
上千本も半分ほど散りました。奥千本は、7分咲きだそうです。
これから咲くのは、ボタンザクラです。(あまり本数はありませんが、)

劇団四季劇場地下入り口
2006年4月19日(Wed)
 今回の一時帰国の理由の健康診断の結果を聞くため、大阪労災病院へ・・・。特に悪いところもなく、一安心。
 ちょうど同じ日、私が以前お世話になっていたロータリークラブの春の家族会が、西梅田にある劇団四季の劇場でMAMMA MIA!(マンマ・ミーア)の観劇でした。ご都合が悪くなられた方の代わりに参加させて頂きました。ABBA(アバ)の22曲が、このミュージカルのために書かれたと思われるほどピッタリとミュージカルに会い、とても元気のでるラブ・コメディーでした。カーテンコールは、スタンディング・オベーションをして手を振っていました。
 昨年冬にスペインのマドリッドに行ったとき、ちょうどMAMMA MIA!公演中で、劇場の前に若い人が凄い行列を作っているの見ました。ずっと見てみたいと思っていましたので、その機会に恵まれてとても嬉しかったです。
 その後、エレベーターを降りるとイタリアン・サルバトーレ自慢のファイヤーステージが出迎えてくれるXEXで夕食を頂き、前面ガラス張りの窓からみえる夕暮れから宵闇に浮かぶ桜を眺めながらとてもリッチな気分でした。そして夜遅くまた、吉野にもどってきました。
大阪四季劇場
(西梅田)

劇場ロビーに続くエスカレーター

劇場ロビー
これから始まる予感を感じながら

XEX WEST
ハービスPLAZA内
2006年4月18日(Tue)
 昨日、今日と素晴らしいお天気と桜に恵まれ、沢山の観光客の方々が吉野山に来られました。 きれいな花やお祭りに行かれた写真をメールで送ってくださるSさん(大阪在住)が、私の知らない間に写真を撮ってくださったので・・ なんだかちょっと照れますね・・・。和紙の所です。 
懐かしい人から電話 2006年4月17日(Mon)
 今回のベトナムに行く前、東京での研修でご一緒だった岐阜県のKUさん(フィリピン マニラにいらっしゃいました)が、ちょうど一時帰国されていて、お電話をいただきました。懐かしい声が聞こえ、時間の経つのも忘れお互いの近況を話しました。(電話代ごめんね) また、お会い出来たらと思いました。
2006年4月16日(Sun
 韋駄天山と言われている高台から・・・中千本、上千本、蔵王堂が展望できます。
2006年4月15日(Sat

蔵王堂の四本桜

妙法殿の桜
 気温が低いせいか、桜の花がいつもより長く咲いています。
天満宮(蔵王堂境内)

仁王門(蔵王堂の門)

銅の鳥居(かねのとりい)
 私の家は中千本の少し手前にあります。今日は蔵王堂から下千本の方へ朝早く起きて写真を撮りに行きました。
黒門

太鼓橋
下千本の桜
小雨が降っていたので、桜と霧と曇り空と
桜シンフォニー
 夜、蔵王堂の境内で、マリンバ奏者(マリンビスト)のSINSKEさんの演奏がありました。

 やわらかなマリンバの音が自然と調和していました。 外だったのでとても寒かったけど。

蔵王堂を舞台にして

SINSKEさん

蔵王堂四本桜と灯篭
2006年4年14日(Fri)
 今日、吉野に来られた有名人。
平幹二朗さん
(Hira Mikijirou)

 サングラスをはずして写真に応じてくださいました。さすが、ダンディー

警察の交通安全のパレード

警察音楽隊のパレード
満開の桜

勝手神社

ご近所のお家の桜

宮坂の桜
満開の中千本
五郎平茶屋から

満開の中千本

満開の中千本

建武中興600年記念碑
桜の中の如意輪寺
桜の中の如意輪寺

桜の中の蔵王堂

上千本を望む
 大峯山の宿坊
竹林院

桜本坊

喜蔵院
満開の中千本の桜
 夜、スカイプで いつものKさんと久しぶりにお話できました。ハノイは急に暑くなったそうです。
 「蒸し暑いハノイが待ってるよ〜。」とKさん。
花供会式

毛槍を持った奴さんのかけ声
「えんよいとな〜。
あらよやまかしょ」
「あら、さくらさのさ〜」
2006年4月12日(Wen)

山伏
 小雨の中、花供会式(はなくえしき)が行われました。



 桜が咲いたことを蔵王権現さんに報告するお祭りに相応しく、下千本、中千本は、満開です。


蔵王堂の管長さんのお籠
(お稚児さんは、蔵王堂の中で、この行列に加わるそうです。)
花供会式 2006年4月11日(Tue)
 花供会式(はなくえしき)は、毎年4月11日12日に、蔵王権現さんに吉野山の桜が咲いたことを報告するためのお祭りです。
 上千本の竹林院から蔵王堂まで、大名行列が行われます。
奴さん、法螺貝を持った山伏、僧侶、大名籠、お稚児さん、鬼など次々と続きます。
今日は、残念ながら雨で中止になりました。明日の天気が心配です。

桜の中の蔵王堂
2006年4月10日(Mon)

吉野の家の窓から

中千本はまだ、8分咲き

吉水神社の参道

蔵王堂

花供会式(はなくえしき)
大護摩

花供千本搗き

皆さんにふるまわれた千本搗きのお餅

テレビ東京の取材
丹波義隆さん久美さん

吉野雛と法螺貝を吹くために来られました。

放送は5月6日
 19時〜21時

昔は美人スタッフ
2006年4月9日(Sun)
桜本坊の桜
東南院の夜桜
 法螺貝の音をお聞き下さい。遠くの山まで響き渡る音です。(ビデオです)
 修験道の山伏さんが、太田桜花堂の店内で観光客の方のために吹いてくださいました。
 吉野山には、大峯山の宿坊が、4つ(東南院・桜本坊・喜蔵院・竹林院)あります。
2006年4月8日(Sat)
 オーストラリアのテレビ局の取材
がありました。 オーストラリアでは、奥様方に人気のある(通訳のオーストラリア人の説明)エリック・トムソンさん(黒の服の人)が、法螺貝に挑戦しました。
 スタッフがメチャ明るい。音声の担当の人がベッカムに似ていてなかなかのイケメン。
 オーストラリアに留学していた人に聞いたら、あまり、売れていないタレントさんらしい・・・
2006年4月7日(Fri)
 伊勢神宮からの神楽が、各家を回っていました。
太田桜花堂も、神楽を舞っていただきました。
 義援金  蔵王堂のお坊さん(山伏)が、観光客の皆さんに「諸災害義援金」をお願いしています。
 集めなれた義援金は、災害による海外の恵まれない子供たちに送られるそうです。

高田市の大中公園
2006年4月6日(Thu)
 トンボ帰りに吉野へ。
近鉄南大阪線で吉野に向かう車窓から・・・、
 吉野山はまだ3分咲きですが、平地は、満開の桜です。

「あすか駅」の桜

畝傍山(大和三山の1つ)
2006年4月5日(Wed)
 今日は息子の21歳の誕生日。せめて日本にいる私が一緒にお祝いしたいと思い2時間半かけて、吉野から大阪の自宅に戻り、石垣島から帰って来た日焼けした息子と一緒に、お誕生日をお祝いしました。
 (105円均一でない)ちょっと高い目の回る寿司へ行って、ちょっと贅沢をしましたが、息子いわく「回れへん寿司、食べたいなぁ」
 その後、小さいチーズケーキを買って21の数字の蝋燭に火を点けてお祝いしました。
2006年4月4日(Tue)
 ハノイのマダム生活から吉野の働くオバサンになりました。
 日本(吉野)は、寒くて、ババシャツが手離せません。
 右手の人差し指がアカギレになり、右足の薬指がシモヤケになりました。
アカギレもシモヤケも何年振りでしょう。もう4月なのに・・・・寒さに敏感になったのしょうか?

2番目の祭壇の手前に供物を置くそうです。
2006年4月3日(Mon)
ベトナム歴史研究会のハノイのSさんから、メールを頂ました。
 《応天亭の神様に供物を捧げる儀式を見てきましたので、いくつか写真をお送りします。 
 私達は7時45分頃行きましたが、供物はそれより早い時間に既に置かれていました。鶏やアヒルのほか、豚がしっぽをくわえている供物がありました。本来豚を丸ごとお供えするところを、それは出来ないので口にしっぽをくわえさせた頭を使うそうです。 8時に祭り開会の辞があり、そのあと沢山の人々が列をなして順に亭の一番奥まで入り祈りを捧げ、自分が供えた供物を持ち帰ります。そのあと、舞をする一組の男女と蝋燭を持ったピンクの衣装を着た女性達が亭に入り、儀式を行います。この儀式は繰り返して行われるようで、私達は3回ほど見ましたが、20回くらい繰り返されるとか・・・これが供物を捧げる儀式とのことです。 
とこんな感じで2時間ほど見学してきました。午後には闘鶏などの遊びものがあるということでした。》
2006年4月2日(Sun)
 愛知県尾張旭市の無二流 棒の手(無形文化財)のメンバー140人が吉野山に来られ、蔵王堂と吉水神社で、棒術を奉納しました。
 棒術のご先祖が吉野山から出ているらしく、34年ぶりの吉野山訪問で、先祖の供養とおっしゃっていました。現在、吉野山には棒術の方はいらっしゃいません。 それと、今日は、雨風がひどく大変なお天気の中の奉納でした。

激しい雨の中でした。
2006年4月1日(Sat)
 夕方、吉野駅に到着。
桜はまだまだ蕾が固い状態です。
吉野山の桜の90%が、シロヤマザクラです。
山桜は、先に赤茶色の葉が出て、その後、清楚な花が咲きます。
交通手段

土地の人は、「ケーブルカー」と言いますが、実際は「ロープウェー」です。

 近鉄阿部野橋駅から吉野駅(端から端)まで、サクラライナーに乗ります。ここから、バス又はケーブルカー又は、七曲を歩く かで山へ向かいます。

 桜のシーズンだけ、観光車道を奈良交通のバスが走ります。所要時間20分ほどで、如意輪寺を通り、中千本に出ます。歴史などの車内アナウンスがあります。

 ケーブルカーに乗る人もいます。右側に下千本の中を見ながら、所要時間は5分で吉野山駅に到着。満員で押し込まれると知らない間に過ぎてしまいます。(S4年開設)
わずかに咲いていた桜
 中千本に咲いていた1本の山桜。ほとんどの山桜は蕾が固いです。

 勝手神社の枝垂れ桜。枝垂桜は、桜の中でも早咲きです。

 家の前の東南院の多宝塔と枝垂桜。

5月4日まで、日本に帰っています。実家の吉野山にしばらくおります。

4月9日に法螺貝の音が入っています。
○法螺貝のうるさい方は、4月9日の画像の下の■の停止ボタンを押して下さい。
○法螺貝の音の途切れるからは、4月9日の画像のしたの■停止ボタンを押し、
 その後、(三角の)再生ボタンを押してください。

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