2006年3月31日(Fri)
 自宅の庭の桜(ソメイヨシノ)の蕾がふくらみ、2〜3輪咲き始めた。
今日は、日差しが少し暖かく春がそこまで来ている感じ。
 明日から、吉野(実家の手伝い)に行きます。
2006年3月30日(Thu)
 今日は寒い寒い寒い・・・最高気温が一桁。おまけに時雨れているし・・
 堺市にある大阪労災病院。ここで検便持参で健康診断。
 申し込まなくても良いのに、胃の検診を申し込んだので(追加申し込み分は自費)、前日20時より絶食し、朝8時から検査が始まった。
やはり、バリュームを飲むのはシンドイ。
 意外と早く終わってしまい、思いついて、阿倍野のお友達を突然訪問。久しぶりに元気な顔をみて いろいろしゃべっていた。
 3時ごろ、娘も帰ってきて、第一声「お母さん、黒い。」確かに私は、ちょっと取り返しつかないほど、日焼けしたみたい(ベトナム焼け)。 
掃除 2006年3月29日(Wed)
 誰もいない(娘は研修、息子は旅行)家に帰ると、風呂場のタイルや台所のシンクの内側にカビ。
 二人とも、今までになく姉弟が力を合わせ、サバイバル生活をしたようだ。毎日、大学に通いながら、夕食当番やゴミ出し当番を決め、部活をし、寝に帰るだけで精一杯だった。(本当に大変だったね。)
 そんなわけで、家をほとんど開けず、空気を通していない。観葉植物も枯れていた。 今日は一日 大掃除。
 留守中、お世話になったご近所さんにご挨拶。
 いつも家のこと気にかけてくださっているお隣のSさんご夫妻、子供会の役員の時からのお付き合いのS2さんご夫妻、それと、隣の町に住む主人のお兄さんお姉さん、「皆さん、いろいろお世話になり ありがとうございます」
 それから、いろいろなところで、多くの人に支えられて、子供たちが二入でもやってこれたと思う。「本当に関わって下さった皆様、ありがとうございます。」
 自宅の外回りは、先日、吉野から実家の父が人を連れて草刈りをしてくれたということで、きれいにしてくれていた。(助かった〜、持つべきものは、親)
2006年3月28日(Tue)
 日本(関空)に着いた。超寝不足。 ハノイ ノイバイ空港で出発が約1時間遅れの27日23時50分離陸。 1時間ぐらいしたところで、ジュースとおつまみが配られ、起きてしまう。その後、電気が消え、下を見ると、眠らない街「香港」がきれいに見えた。窓の外は真っ暗な空に星がたくさん見えていた。不思議な空間を飛んでいるような気がした。
 5時30分に関空に到着なのだが、2時間の時差と、偏西風の影響もあり、ベトナム ハノイから日本 関空へのフライトは、3時間50分しかありません。
 到着する1時間前、「朝食です」と電気がつき、寝ていられない。
どこでも、寝られる私も、さすがに今日は寝不足。 
 2006年3月27日〜5月4日まで、日本に一時帰国します
     (主人は仕事が忙しいので、健康診断を兼ねて私一人の帰国です。)
 

左が日本から送ってもらったサロンパスハイ。
右がハノイで売っているサロンパス。
2006年3月26日(Sun)
 明日の夜の関空直行便で私一人、健康診断を兼ねて日本に一時帰国します。
 私がスーツケースを広げ用意していると、
 主人がポツンと 「お母さん(私のこと)が、おれへんなったら、サロンパス、貼ってもらうの困るな」
 私はサロンパス貼りためにハノイにいるのですか??
 主人はひどい肩こり症で、毎日、サロンパスを貼ります。
 ゴメン、一人でなんとかしてね。
 因みにこちらは、昔の白いサロンパスしかなく、それではかぶれるので、サロンパスハイを大量に日本から送ってもらいました。
 
 ベトナムの可愛いお嬢さんが、昔の意地悪ばあさんのように、コメカミに1cm四方の、白いサロンパスを貼っているのを見かけます。
 M先生が、持って来られた、北海道の日本酒「男山 純米」 米と米こうじだけでつくられています。
イカナゴlの釘煮をアテにして、楽しい時間が過ぎていく。 
息子の一人旅  息子はいまごろ、指宿あたり。 「青春18切符(特急は乗れない)」を買い、姫路をカワキリに、山口県の秋芳洞、九州を南下し、鹿児島から那覇へ、さらに石垣島、波照間島、武富島、与那国島、西表島 と民宿やユースを使い一人旅をしています。
 最後に、石垣から関空には、バースデー割引で安く帰れるとか。息子は4月5日が誕生日です。
 こんな長〜い旅行は、学生の何の予定もない春休みの間だけしか出来ないと、自分でプランニングして一人旅にでました。 無事に帰ってきますように・・・
2006年3月25日(Sat)
 この季節、朝と夕方、しとしと霧雨が降ります。汚れた車が結構走っています。 建物の壁も、カビで汚れていたりします。日中は、雨が止みます。
 路肩は排水溝が整備されていないので、時々、水溜りがあり、地面が舗装してあるのに土や埃や食べカスなどで、ドロドロだったりしますから、ハネをとらないように、気をつけて歩かなければなりません。 だって、そのハネは、スペシャル ブレンドで、シミが残ります。
 この霧雨で、稲が育つなら・・・・しばらく我慢
デート
恋愛には大らかな
(大胆な)
ベトナム人
 若いベトナム人の主なデートスポットは、湖の周りが多い。
 「おいおい、真昼間から、そんなに人目を気にしないで、くっついて良いの?」と、こちらが気恥ずかしくなるぐらい・・ 
(おばさんのヒガミ?)
物売り
サトウキビ売り
皮を剥いてくれる。
シガンでいたら、顎関節が少し痛くなった。食べ過ぎ。

新聞売り
厚紙を台にして新聞を5種類ぐらい並べている。(ベトナム語が読めないので、買いませんでした。ゴメンね

日用品売り
いろいろ、小物を身に着けて売り歩く人
靴の中敷、爪きり、ビニールカッパ・・・
パイプオルガンの
DVD
 人間宅配便をまたまた、M先生にお願いしてしまいました。お世話をおかけしました。
 娘が2月25日 大学であったパイプオルガンの卒業演奏会の様子を、息子が、DVDに撮って、それを日本から持って来てもらいました。
 早速、夫婦二人で見ました。(こういう時には、意見が会います。)
 1回生の時から弾きたかったバッハのパッサカリアを弾けたと喜んでいました。 演奏会前は、曲が仕上がらなくて、毎日8時間ぐらい大学にあるパイプオルガンの練習をしていたそうです。
 DVDを見て、本番は最高の演奏が出来て良かったと思いました。 大学でのオルガンとの出会いは、大きかったね。 
スカイプ  昨日、Kさん宅のパソコンにスカイプをダウンロードして設定し、今日、Kさんと、スカイプを無事、開通。
 昨日は、限られた時間だったため、スカイプ名をゆっくり考える時間がなくて思いつきを言ってもらったので、変わった名前になってしまい、さらに私が一文字、入力し間違い、違うものになってしまいゴメン、ゴメン。
 かえって個人名を特定できなくて、いいかも・・・・(言い訳したりして)
日本に、一時帰国したとき、スカイプで話をしようね。

 植民地時代に資源開発を目的とする地質調査・鉱物資源のため建てられた建物だそうです。
 
2006年3月24日(Fri)
 地質博物館 Bao Tang Dia Chat バオタン・ディチェットへ。 Nさんのご家族とご一緒に。
 ベトナム各地からの鉱物、化石など展示。
 (1Fは主に原石、2Fは岩石、3Fは化石)
 ジュラ期のかなり大きなアンモナイトの化石があり、ドキドキしました。 
 中学生の社会の時間に世界の石の産地図なんかでボーキサイトを覚えましたが、今回、赤茶色のBauxite ボーキサイトを鉱物標本の中で初めて見ました。
 Nさんのご主人様が、Kaolin カリオン という白い石の塊を指差して、「これは水分を吸うので、土建関係には好まれない石です。これが地層から出てくると要注意」と説明してくださいました。

 共産党書記長のチャン・ドック・ルオさんが地質学者でこの責任者だそうです。
パソコンショップ
 見えているスペースが、店の展示の全スペースです。(良いと言われているお店)
 リーナムディー通りに、パソコン関係のお店が並んでいると以前聞いました。Nさんがいらっしゃると言うので、ご一緒させて頂きました。
 日本のように商品を沢山、展示しているわけではなく、展示は殆ど鍵のかかったケースの中です。依頼すると店の置くから商品を持って出てきます。最新のものは取り寄せのようです。値段は展示している商品に付けてなくて、カタログを広げ、確認します。 
 日本が何年もかかって変化してきたとが、この国では短い時間に沢山のものが、流入してきています。
昼食  ランチは、奥様方6人(いつものKさん、Nさん・・・)で、Wild Loutus ワイルド・ロータス(ベトナム料理)へ。
 オリエンタルな雰囲気が抜群のお店です。
 ランチセットメニューでメインの Xam xao hat dieu voi thit lon nuong は、ポークとマッシュルームのマッチがなかなか美味しかったですヨ。
スカイプ  いつものkさん宅へお邪魔し、スカイプを設定した。もうすぐ私が、一時帰国するので、その時に、日本とべトナムで無料電話ができるように・・・
国立ベトナム音楽大学  国立ベトナム音楽大学へ。
 Nさんのお嬢さんがヴァイオリンのプライベートレッスンを受けていて、その先生が、向かって右の方。ロシアに留学された後、こちらの音楽大学で、ヴァイオリンを教えていらっしゃいます。
 校内も案内して頂きました。
音楽大学内のヴァイオリン工房  Nさんのお嬢さんがヴァイオリンを注文されて、今日、出来上がりの音が視聴できるというので、またまた、お邪魔しました。
 音楽大学校内の工房で、ヴァイオリン作りを拝見しました。ベトナムで唯一のヴァイオリン職人さん。黄色に写っているのが、製作中のヴァイオリンで、それに弦を張り、視聴しました。私は時間の関係で、チューニングだけしかお聞きできませんでしたが、手作りヴァイオリンの出来上がりが楽しみです。
 (出来上がりは、ごく普通の色になるそうです)
貴金属店  ハンバック通りに小さい貴金属店が並んでいます。勿論、値段は表示されていませんので、値段交渉が必要です。さらに、私は、宝石を見る目が全く無いのです。 ですから、いつもこの辺は素通り。
 でも、先日、秋田から来られたSさんとご一緒したとき、「この石で75ドルなら、おしゃれに付けるのに買ったら良いよ。資産として持つようなものではないけれど・・・」と言われた言葉が、気になって、・・・9000円ぐらいなら・・・・。いつものKさんについて来てもらい、ペンダントトップをゲットしました。
 そして、その後、秋田のSさんにご案内いただいたお店で、迷っていたスーツも誘惑に負けてオーダーしてしまいました。 日本の普通の既製品と同じくらいの値段で、高級な生地のスーツがオーダー出きるし・・・。これって浪費?それとも良い買い物?
 今日は、盛りだくさんな一日でした。
2006年3月23日(Thu)
 歴史研究会の小グループで、Dinh Nam Dong 南同亭へ。 (亭:村の集会所。村の守護神が祀られている。) ハノイのドンダー区ナムドン通りにあり、李朝時代のリー・トゥオン・キケットを祀る
ベトナム人にとっては宋の侵略を撃退した英雄です。旧暦6月2日は、命日でお祭りがあるそうです。
 このようなベトナムのお寺や集会所の柱には、漢字で文字が書かれています。 でも、3世代前に漢字から現在のベトナム語に変わったそうで、殆どの方は、漢字が読めません。
 ここは、漢字の下や横に、必ずベトナム語表記を付けていました。
 現在人にも意味を知って欲しいという気持ちが分かるような集会所でした。

お祀りする祭壇の上に、生きた白猫がおとなしく鎮座していた。これは勝手にネコが座っているだけ?



ホーチミンさんが、仏陀のように、祭壇の中に鎮座し、手は、仏像のように印を結んでいた。
よくホーチミンさんの胸像は見かけるけど。仏像になったのは初めて

左端の老人がこの亭に住んでおられ、ベトナム語で話をしてくださいました。それを、Nさんの運転手さんが、英語にしてくれたり、Sさんが、日本語にしてくれたり
Com binh dan
コンビンザン
(飯屋さん)
 お昼はベトナム人に混じり、Com binh dan コンビンザン(飯屋さん)で。
 先ずは、紙ナプキンで、自分の食べるお箸とお茶碗をふきます。
 机と椅子は、勿論プラスチック。床には、ゴミが一杯落ちています。
 味は良い。

Ca om chuoi 魚と皮付きバナナのスライスを煮込んだもの。

金目鯛の揚げたもの。
エビの炒めたもの。
ハノイ カフェ252
Kinh do cafe
キンドーカフェ
 以前紹介しましたが、インドシナという映画の撮影の時、カトリーヌドヌーブが良く利用したキンドーカフェで、ティータイム。
 雰囲気は、学食なのですが、ケーキは美味しい。
 店主のオジサン。
 後ろの写真が、このオジサンのお父さんとカトリーヌドヌーブの2ショットで微笑む写真。
 オジサンは若いときはイケメンだったかも。

流石、高級店。置いている服地が違う。Sさん仮縫い試着中
2006年3月22日(wed)
 主人の勤める会社に、3週間、仕事で来られている秋田県のSさん。 今日はお昼からご一緒でした。
 初めは、私が「お土産をご案内して」という主人からの電話でしたが、Sさん(男性)は、ベトナム在住のNさん(男性 私は、面識がない)という強い見方がいらっしゃるようで、既に、私よりベトナムに詳しく、だんだん私がレクチャーを受けることになりました。 高級な服地や宝石の目利き、シルク製品のお店など。 さらにSさんは、国内外を問わず多くの人脈をお持ちで、パワフルな方でした。
 因みに、Sさんは、未だかつて吊るしのスーツは買ったことがなく、全てオーダーメイドだそうです。(ひょっとしたら、とてつもなくお金持ちのオジサン?) 主人のスーツは、1着もオーダーメイドしたことがなく、大型スーパーの「○○円均一」 というバーゲンで買っています。
 そして、夕食は、主人も一緒に、Sさんイチオシのベトナム料理店を案内してくださいました。あまり日本人には知られていない、あまり知らせたくない秘蔵のお店だそうです。
 Sさん「男も女もいくつになっても、色気を持つことが大切と・・・」
 でも、今まで色気があると言われたことの無い私は、どうすれば良い? 
シンプルなベトナム料理 
竹の子の湯がいたもの(左)

湖に住む小魚の揚げたもの(左)
 山岳民族のお料理だそうで ヘルシーで美味しいベトナム料理でした。
焼酎も香りの高い、味わい深いお味でした。
(泡盛の古酒のような)
2006年3月21日(Tue)
 日本にいるとき、ラジオで「地球ラジオ」という番組を土曜日の夕方、よく聞いていました。世界中に暮らしている日本人から色々なレポートが入ります。 ハノイにラジオは持って来ていません。
 インターネットで聞けることを思い出し検索。 懐かしいアナウンサーの声が聞こえてきました。改めて、海外で暮らす日本人はいろいろな方がいるなと感心しました。

小学生の遠足
2006年3月20日(Mon)
 我が家(6階)から撮った写真です。 朝、沢山の人数の子供のウルサイぐらい にぎやかな声が聞こえてきました。 下を見ると、地方からボロボロのバス10台ほど連ねて、小学生高学年ぐらいの子供が、動物園にやってきてバスを降りているところでした。 皆、楽しくてしょうがないとでも言うように、友達とおしゃべりしながら、ハノイで唯一の動物園のほうへ歩いていきました。
 その動物園は、私も行ったことがあるのですが、比較的規模が小さく、象・寅・カバ・熊など1頭〜数頭いましたが、キリン・パンダ・ペンギンはいませんでした。猿や鹿は種類も豊富で沢山いました。
 ホーチミンにも動物園があると聞いていますが、ひょっとすると、この子供達は、初めて来る動物園かもしれませんね。

この土地は、ダー河、紅河、ロー河の合流地南の独立峰です。
2006年3月19日(Sun)
 ハノイから北西に70Kmほど離れた PHU THO(フート省) Den Hung のHung King's Temple へ、NさんとNさんの運転手さんの案内で、朝6時30分に出発。
 Den Hung のHung King's Temple は、ベトナム建国の神話があるところです。 水(男性の神)と山(女性の神)から、100人の男の子が生まれ(百越の祖先)、その後、50男は水界のダー河へ、50男は山界の傘円山(バービー山)へ行った。その山へ行ったうちの一番兄の雄王(フンヴォン)がベトナム建国の王として Den Haに祀られています。 
 ベトナムの史書「大越史略」に記述されているのは、雄王(フンヴォン)が、文郎(ヴァンラン)国を建国。ベトナム建国の王として信仰されていますが、史跡などが発見されていないので、青銅器文化を結びつけている人もいて、伝説の域をでていません。
 最初、車を止めたところへ、10人ぐらいの物売りのベトナム人に取り囲まれてどうなることかと思いました。
Den Ha  旧暦の3月10日が雄王命日で御祭りで賑わうそうです。
 今日も地方から出てきた学生やオバサンたちの団体がいて、結構な人がいました。
Chua Thien Quang  ホーチミンさんも1954年に来られたという石碑が建っていました。
Den Gieng 祭壇の前に井戸があり、ご神体は、2人の姉妹が祭られていました。
Bao tang
Hung Vuong
 博物館

トイレがベトナム式で、足の置く位置にレンガがあるだけで、個室ではなく並ぶものでした。

銅鼓(レプリカ)
本物はガラスケースに入っていました。

石で出来た琴 澄んだ音が出ました。ラ(A)がなかった。
Den Thuong

門柱の漢字に「百卵」と書いていました。
 雄王の母・嫗姑が祀られているらしい。
 拝んでいる人が古いベトナムコイン(真ん中に穴の開いたコイン)2枚をお皿の上に置き、占いをしていました。
参道で
Cu Ly クーリー 木肌が毛に覆われた木をうまく利用して、鳥を作って売っている。
 

Tro Chi  チョーチー 10cmほどの2枚の葉が羽の役目をし、実が重りとなり、回りながら落ちるのを楽しむ。

参道にタバコ(木の箱の中)とお茶(ポット)を持ち、売る男の人が何人も道路わきに座っていた。
 どんな山奥かと思ったけれど、案外、観光化されていました。
 ベトナム(キン族)が、最近アイデンティティの関係で、力を入れている地域だそうです。

この地域 Den Hungの地図

Ca Lang Nuong
 魚のフライ

Lau Ca Chien
魚の鍋
2006年3月18日(Sat)
 娘の大学の卒業式。何ヶ月か前に、自分で、袴のレンタル衣装、メイク、写真のセットを予約したようです。
 一昨日、イギリスから戻り、時差ぼけを引きずっての卒業式でした。
 昨夜、娘から「着付けに持参するものに伊達締め、襟芯、帯板、帯枕・・・・って、どれ?」 との質問。 教えてなかった私が悪いと反省・・・。
 卒業式当日の昼過ぎ、滞りなく卒業できたと言う連絡を受けて、ほっとしました。そばにいて一緒にお祝いしてあげたかったなぁ。
 「卒業おめでとう。4月から社会人。ガンバレ〜!勝負はこれからだよ。」

Thank you for your hospitality.
集まったお友達は、多国籍でした。
 ハノイ日本人学校の先生のMさん(女性)が、3年の任期を終え、まもなく帰国されます。彼女とは、ハノイ インターナショナル クワイヤー(混声合唱団)でご一緒させて頂いていました。
 そして、帰国にあたり、Mさんがお世話になった方を招待して、イタリアレストラン Pene e Vino でパーティーを開かれたのです。
 私も、声をかけていただいたので、あつかましくお邪魔しました。ギターの生演奏、美味しいお食事、和やかな雰囲気でパーティーは終わりました。
 テキパキ何でも、こなされ、それでいて優しいMさん。もっとはやくお知り合いになりたかったです。
 本当に、こちらのほうこそ、いろいろありがとうございました。日本に帰られても、お元気でご活躍ください。では また ごきげんよう。

自分で買ってきた、お誕生日のバラの花束
2006年3月17日(Fri)
 今日は、私のお誕生日。  ほぼ1ヶ月前のKさんのお誕生に、ご主人様がお誕生日を忘れていたことを聞き、私は主人に忘れられないために先手を打った。 
 「私の誕生日に、バラの花束、欲しいんやけど・・」と。 そしたら主人が「きっと忘れるから、その日の朝 もう一度言ってくれるか」(一ヶ月前の話)。
 だから、今朝「今日は何の日?」と念押しの質問をした。 主人が「忘れてた、お誕生日おめでとう」と言って家を出た。 そして、私の予想は的中し、夜、帰宅した時、主人はすっかり忘れていた。(昨日決まった、明日からのホーチミンへの出張のことで、頭が一杯で・・・・。)
 主人にとって私の誕生日など、どうでもいいんだ。と思うと、むなしい気持ちで一杯になり、口もききたくなかった・・・・。
 そして追い討ちをかけたことが・・・・・、すぐ近くに花屋さんがあるので、私が買いに出ようとすると、「お金、払うから・・・・」 と主人。
 私は、完全にプッツン!!!!!。
 お金なんか欲しくない!! 気持ちなのに!!! 分かってない!!!
ホーチミンでもどこでも行って、帰って来るな・・・と心の中で叫びながら・・
 私は自分でバラの花束を買い、ホテルからくれたバースデーケーキをほうばりながら、デリカシーのない、夫に幻滅し、プリプリ・・・・・。
 しばらくして、あほらしくなり・・・怒る元気もなくなった・・・。
 夜遅く、娘(下宿先から、明日、大学の卒業式)から、インターネット電話でこの話をすると
 「日本人男性に花束を期待するのは、ちょと無理かも・・・」
 主人が横から「お母さん、機嫌悪い・・・」
 ベトナム人男性は、よく女性に花束を贈る。ベトナム人は嫌だけど、こんな習慣は良いかも・・・バラ10本買っても 50,000VND(350円) 日本の1本分。それで奥さんの機嫌がとれるのなら・・・ベトナム人は賢い。
 自宅にいる息子からメールで 「○○歳の誕生日おめでとう!! これからも元気いっぱい毎日を楽しんで下さい☆」と
 「ありがとう。長生きするから、よろしくね」と返信した。
 母からも心遣いのメールが届いていた。
 誕生日など、嬉しい年でもないけれど、・・・・・・

隣接ホテルから誕生日にくれるバースディーケーキ。

Kさんからのプレゼント。可愛いでしょう。芝を育ててカットして・・
 いつものKさんが、私の誕生日祝いを兼ねてランチに誘ってくれました。
 Kさんは、お店のカードを何枚か持って「好きなの1枚引いて」と言ってトランプのカードのように差出しました。4HIGHWAY と言うベトナミーズのお店になり Nem ca xa Lo4 魚の揚げたものをライスペーパーで包んだ春巻き、Lau ca qua 魚の鍋、しじみの炒めたものを揚げセンの上に乗せて頂くもの、とうもろこしのお茶など、頂きました。
 kさんドライバーさんの送別会も兼ねて。
 Kさん、可愛いバックもありがとう。
 朝から、月1回の歴史研究会で大西先生のお話。今日は「道教」について。
 日本人にとってはあまり身近ではない「道教」ですが、ベトナム人には道教に基づく信仰があります。
 日本にも、朱・お符・占い など道教に由来するものがあることが、お話をお聞きしてわかりました。
2006年3月16日(Thu)
 APECが11月にベトナムで予定されていて、看板や旗が街中で見かけられるようになりました。あちこちで建設ラッシュが続き、急激な経済発展をしています。ドイモイ政策が始まってから、ほぼ20年。本を見ていると、10年前の物価に比べ現在は、2倍〜3倍になっています。経済発展のスイードが速くて、乗り遅れた人は貧しいままで、貧富の差は拡大しています。
 そして今なお残っている外国人価格をベトナム人は、おかしいと思っていないようです。多分、これが変な平等なのかもしれません。「富める者が貧しい者に分け与える」というのは当たり前という考えがあるようです。 
 それと、外国人を人間と思っていないのではないかと思うときがあります。
 お金が歩いているとでも思っているような・・・・・。こんな風に感じるのは、私だけかしら?
 日本の友達からメールが届きました。
地域の子供会の役員だったメンバーの集まりです。子供はとっくに大きくなっているのに、親のお食事会(飲み会)だけが、今も続いています。
今年は、1泊旅行に行ったようです。来年は、日本にいるから、一緒に行くよ・・・待っててね。皆、素敵な笑顔の写真でした。

絵付けの前に乾かしている
2006年3月15日(Wen)
 いつものKさんと、もうすぐ帰国されるWさんと3人でバッチャン村へ。陶磁器で有名な村です。 無休のお店が殆どなのに、Wさんお目当てのお店が今日はお休みでした残念!
これが昨日書きました通称ハッピーブッダ。
Than Tan と言い 財神で 「お金が、儲かりますように」という願いがあるそうです。
通常のバッチャン村のすく近くに、日本人の間で、ニューバッチャンと呼ばれているところがあり、、そこにも、連れて行ってもらいました。
 ハノイ市内でちょっとお洒落て、ちょっと、高い磁器のハノイモーメントの製品が割安で買えます。

ハンドルとサドルに棒をつけ、それを操りながら荷物を運ぶ自転車を何台か見かけました。

藁を運ぶオバサン達。ハノイから車で30分程なのに、車が少なく、のんびりした村です。

小鉢と竹で出来たお盆が欲しくなり、買いました。

 Wさんは、グルメです。ランチに行ったイタリア料理 IL GRILL。
右がBRUSCHETTA、ブルースケッタといって前菜で、バケット(パン)の上に湯剥きした角切りトマトがのっています。オリーブオイルとバジルが絶妙。 左がPROSCIUTTO CRUDO DIPARMA 生ハム。 あと、パスタとリゾット(ポルチィニ)とトスカーナワインでした。 
2006年3月14日(Tue)
 ハノイに来て5回目のゴルフコース。
ハノイには珍しく、爽やかな風が吹き、気持ちの良い気候でした。 ゴルフの方は、ちょっとはうまくなりたいのだけれど、ちっともうまくならない。腕が曲がっているのか、左に飛んでいくし、ピッチングは、力加減が分からず、グリーンを挟んで行ったり来たり・・・グリーにナカナカ乗らない。一緒に回ってくださったK2さんにも、申し訳なくて・・・ 

クラブハウスでのランチは、クレイポット シーフード ヌードル、なかなかいけます。
 途中でおやつタイム。(ちょうど前がつかえていて)キャディーさんが、パパイヤを剥いてくれて、塩と胡椒に混ぜたものにつけて食べました。
 前回、キャディさんがジャックフルーツのチップをくれたのが美味しくて、今回は私が買っていきました。(最近、食べ物の紹介が多くてすみません)

 3月9日のキムリエン寺 金蓮寺でも、赤いセロハンに包んだものを頂きました。
 金色の帽子の上に、それぞれ「恭喜發財」「一帆風順」と書かれています。(印のように4文字並んでいるので、読む順番が違うかもしれません。)
 K2さんにゴルフの帰り自宅まで送ってもらって、我が家に初めてご招待。(と言ってもお茶だけ)。
 K2さんとは、3月9日のハノイ歴史研究会でもご一緒させていただいていて、「テトの時、お寺でこんなもの頂いたのですよ」とお見せしました。
 K2さんは、「これ何ですか」金色の帽子の形をしたものを手に取り、開けて中の塊を指差していたのです。帽子の模様と思っていた筋が、そこから開くようになっていて、中にゼリーが入っていたのです。
 私は、街中でよく見かける(通称ハッピーブッダと呼ばれている)布袋さんのような置物が、両手を挙げてこれと同じ物を捧げ持っているので、置き物とばかり思っていたのです。
 そして、もう一つの円錐型の方の赤いセロハンをとると中がラクガンのようなものでした。ずっと蝋燭だと思ってセロハンもとらず飾っていました。
なんと言う思い込み・・・・。恐る恐る食べてみました。
2006年3月13日(Mon)
 住まい近くの ハノイ四鎮西を鎮めるDen Voi Phuc デンヴォイフック 霊郎祠 でお祭りがありました。
 報道関係者らしい取材の人が3人来ていましたが、その他は、祭りの関係者以外は、ベトナム人もいないし、まして、日本人は私一人で、「ここで見ていていいのかな」と思いながら、見せてもらいました。

池にも旗が飾られて

3月9日に行われた祭りの歩く順番の表らしい

楽団の人々。男の人は、黒の衣装でした。

祈りを捧げている様子を報道関係者らしい人が、8ミリで撮っていました。

長老のおじいさんがインタビューを受けています。
 境内の屋台で Banh cuon cha 。プルンプルンしたのを、わしづかみにし、もう一度、横の蒸し器(練炭火鉢)に入れ、温めなおしてくれました。オバサンのその手は大丈夫(清潔)ですか? 私は3時間後、下痢をしました。
2006年3月12日(Sun)
 シーフードを食べようと、ローカルのシーフードレストラン Thuy Sinh トゥイシン へバスに乗り、出かけました。 写真は、Cua rang me クア ザンメー と言い、カニをタマリンドで炒めた甘酸っぱさが美味しい料理です。大きなカニ一匹で 180,000VND (1,500円)程です。これは是非お試しください。

右がOc huong nuong オックフオーン ヌオン 海タニシを焼いたもの 4つで90,000VND(650円)、サザエの苦味のないような味。

左の写真の真ん中が、Hao song ハーオソン 生牡蠣。(生牡蠣も所変われば)ライスペーパーに包んで、香草やハーブなどをいれ、→

ソースの中にワサビを入れたタレに付けて食べます。ちょっとお腹が心配なので、私は、遠慮しておこう。12,000VND(85円)
 Chao tom エビの入ったお粥 
最後はお腹にやさしいお粥で閉めました。
 トイレを借りようとすると、案内されたところは、男性用の便器があるだけ、しかも、扉が閉まらない。私、男と間違えられた?ローカルに行くと、美味しかったお料理が全て吹っ飛ぶほど、トイレ事情が悪い。
2006年3月11日(Sat)
 ローカルで食べたブンボーフエ。 ケースにあった豚足入りを指差し入れてもらいました。骨が大きかったけど周りのコリコリしたところが美味しい。初めて食べた豚足でした。
 この泡盛は、以前ハノイ来られたJさんに頂いたものです。
 沖縄県の今帰仁村で熟成した風味豊かなコクのある泡盛でした。
(何の脈絡も無りませんが、載せたくなって・・・)
 夜、歩道に出ている屋台が、テントのタープを張っている紐が黒くて見えなくて、それに主人の足が引っかかり、転倒し、膝と肘とに、擦り傷と、打撲を負いました。 幸い、分厚いジーパン(ベトナムで買ったロシア製:主人は太めなので、入るのがこれしかなかったのです。)を穿いていたので、大事には至りませんでしたが、・・・・暗いところに黒い紐は、危険ですね。
 歩道が歩道の機能を果たしていない所にも、問題有りですよね。
2006年3月10日(Fri)
 会社のミセス会当日。私達5名がお当番でした。3月1日に載せましたお店が良心的で、会計もうまく行きホットしています。
 Oさんが12-19市場で手配してくださったお花も、アレンジが綺麗で、しかも安かったんす。
 ベトナムでは変なアレンジが多いのです。そして日本人だとベトナム人の3倍の値段を平気で取ります。日常で生活では、こんな些細なことがストレスになります。
2006年3月9日(Thu)
 歴史研究会小グループで、「歩こうハノイ6」の制作のための資料集めとして、Den Dinh Kim Lien  デンディンキムリエン 金蓮殿亭に行きました。前もってあった資料(ベトナム語)をSさんが翻訳されて、それを手がかりに分からないところを聞いていくという手順です。1冊の本に出来るまで、ものすごく地道な作業が続くのだと改めて思いました。私はベトナム語も分からず、メンバーの方の後について一緒に回らせていただくだけですが、参加させていただいています。
※上記の建物の名前は、本当は、Den デン は 殿 という字の左側に土へんがつきます。クメール語の表音に漢字のへん、つくりをあてて作ったチューノムというベトナムの国字で、漢字ではありません。(ハノイ歴史研究会の資料より)(PCにはありませんので、殿をあてています。)
 門のレリーフの補修をしているようで、塗装を落としているところでした。 また、塗りなおすのでしょうか。湿気が多いため、すぐにカビが生え、いろいろな物を塗りなおすのがベトナム人は得意です。 このお寺はハノイ四鎮(東西南北の鎮守)の南を守高山祠 Dinh Kim Lienです。上の写真の扁額に「南鎮方」と書かれています。
 高山大王神 カオソンをお祀りしています。

外に塀に書かれていました。ここで馬を降りたのでしょう。
 500mほど離れたところに キムリエン寺 金蓮寺があり、沢山の仏像がありました。説明には「黎朝や阮朝期の仏像」とありましたが、1997年に建物は修復されたようで、新しいのか古いのか良く分かりませんでした。  本殿の両脇に地獄の十王が五体づつ並んでいます。
 立派な門は、今は通れなくなっていて、半分物置状態でした。
 信仰は厚いらしく、地域の方がお参りしていました。

小さくて場所が分かりにくいのですが、安くて美味しい店でした。
 昼食にシンガポール・マレーシア料理の Cam Chan で、ベガチキン Bagger Chiken という鶏のアルミホイル蒸のような薬膳料理を頂きました。
 やわらかくて美味しかったので、夜、もう一度、主人の友人2人をご案内しました。(勿論、主人も一緒です)

ベガチキン (毎日、数量限定だそうです)
 解散後、歴研メンバー4人で今度は住まいの近くのハノイ四鎮西を鎮めるDen Voi Phuc デンヴォイフックにいきました。旗に「西鎮上等」と書かれていました。
 「李聖宗の皇子、リンラン大王を祀っています。1064年に李聖宗の皇子として生まれ、海賊を撃退した功績でリンラン大王と封ぜられました。上等福神(最高ランクの神様)とされ、彼を祀るデンが造られた。と看板に書かれていますよ。」とSさんからメールを頂きました。
2006年3月8日(Wed)
 ハノイ日本婦人会の年に1回の総会が、ソフィテルプラザでありました。、素敵なアオザイを着こなされている方も沢山いらして華やかでした。(私は何年か前、ナンバcityで買ったスーツでしたが・・)。総会後、19Fでホウタイ(湖)を眺めながらビュッフェランチ。
 この国は、社会主義なので、沢山の人が集まって何かをするのは、あまり良いと思われないそうで、「集会禁止」と言うのがあり、制約があるそうです。
 事業報告では、バザーの収益金を日本国際ボランティアセンターを通じて、ホアビン省タンラック郡の奨学金(高校生が学校に行く授業料)として、もう一つは、社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを通じてベトナム北部の山岳地域の貧困女性のための小規模貸付事業に寄付したということでした。 少しでも人材育成になればよいと思います。 
 今日は、国際婦人デー Ngay phu nu quoc te (婦人解放をめざす国際的な連帯行動の日。1910年の国際社会主義婦人会議において、政治上経済上、社会上の男女平等を達成するための婦人デー開催が提唱された。) と広辞苑に書かれていました。
 ベトナムでは、男の人が職場の女性や奥さんに花束を渡すそうです。街には臨時の沢山の花屋さんが出没し、花を買う男性で一杯です。Kさん宅のご主人様も、奥様のために朝、買ってこられたそうです。
 因みに、主人は手ぶらで帰ってきました。
 PM9:00 M先生より「越乃寒梅、飲みに来ない」とお誘い頂き、夫婦で先生のお部屋へ(同じマンション内)。 別撰(アルコール分16度以上17度未満)の新潟の特別本醸造で、クセが無く、マイルドな美味しいお酒でした。
 先生から、とても良い香りの薔薇の花束も頂きました。ありがとうございます。
2006年3月7日(Thu)
 Quan an ngon ベトナム料理店。ベトナム人も沢山入っていて、安くて美味しいお店でした。かなり混んでいました。「Co mon gi dac biet khong?(お勧め料理は?)」と聞くと英語で「all」だと言う返事が返ってきました。

Goi Xoai Hai San
マンゴーのシーフードサラダ

Hao Nuong Mo Hanh
牡蠣のバーベキュー

 小さい子供に白い網のベールのようなものをかぶせて外出をする光景をよく見ます。
 たぶん廃棄ガス避けだと思います。
確かにハノイは空気が悪いですが、どれだけ効果があるのでしょうか。 

モーターボートに乗ってゴルフ場に入ります。
 今日は、4回目のゴルフコースに出ました。
 ハノイは、この季節、霧雨が多いのですが、5月ぐらいになると、暑くて大変なんだそうです。
 今日は、霧雨がなんとかあがり、湿度は高いですが、そう、暑くもなく寒くもなく気候的には良いほうだと思います。  ただ、ゴルフズボンを持っていない私は、普通の長い目のズボンで回ったので、濡れている芝から水を吸って、ぐちゃぐちゃになりました。
 それと、襟のないTシャツを着て行ってしまって、キャディーさんから指摘されました。ホント 何も知らなくてごめんなさい。
2006年3月6日(Mon)
 3月末で帰国されるWさんといつものKさんと3人でシェラトンホテルのお昼のランチバイキング。
 Wさん一押しの、ニュージーランド産のSauvignonの白ワイン と、スペイン産のピノワール(葡萄の品種)の赤ワインを注文しました。
 ニュージーランド産のSauvignonは、色は薄いグリーン系。フルーティーでとても爽やかで、スモークサーモンによく会いました。スペイン産のピノワールは、フルボディーだけど重くなく飲みやすく、深みがありました。 昼間から2本もワインが空いてしまいました。私はワインは好きなのですが、弱くてグラス1杯程度です。(お酒に強いのは誰?) 私はお酒が入ると、思考回路が停止し、眠くなります。 
 朝6:30 NHKのBSニュースで、「ヨーロッパ中部に大雪、スイスのアルプスのリゾート地で2600人足止め、チューリッヒ54cmの観測初めて、ドイツ60年ぶり大雪」 と言い、雪による事故などが映し出されました。
 娘が、今日はツェルマットからアルプスへ、明日はチューリッヒ、3日後がドイツの友達に合うためにヨーロッパに行っています。つい心配で時差を考えないで、携帯に電話をしてしまいました。「もしもし、今どこにいるの?」「雪でツェルマットに行けなくてパリのお友達の家」と言うのを聞いてホットしました。「でも、夜中の12:30!」「マイナス6時間だったんだ。ゴメン」
 携帯の料金は、ハノイから日本までは、電話をかけた私の払いになりますが、日本からパリまでは、娘の支払いになります。ハノイから日本を経由してパリにかかっているのに電話はクリアに聞こえました。料金は少し高くつきますが、便利ですね。娘の無事が確認できて安心しました。

水牛の角笛を合図に、太鼓とドラが鳴り、行進が始まります。
2006年3月5日(Sun)
 朝食が終わったころ、遠くで太鼓の音がします。「お祭り?」 じっとしていられなくなり、急いで、身支度をしてカメラを持ち、小雨の降る中、音のするほうへと急ぎました。行列を見付けて後についていくと、すぐ近くのゴックカイン湖 HO NGOC KHANH にある お寺 DINH LANG NGOC KHANH の前で止まりました。その前に横断幕が張ってあり、セレモニーが始まりました。 横断幕には、LE DON BANG CONG NHAN  DI TICH LICH SU VAN HOA と書かれていました。この お寺のお祭りのようでした。音楽を奉納した後、表彰みたいのをし、その後、湖を一周して終わりました。
ちゃんとお寺もお参りしました。

行列の中にいたおじいいさん

寺の前で、音楽や踊りの奉納や表彰がありました。

湖の周りを行列が一周します。

湖の舟の上でこちらの岸に向かって歌いながら、岸と平行に移動します。

次々とお寺の本堂にお参りしています。
2006年3月4日(Sat)
 日本から来られた6名のお客様は、今夜帰国されました。
 そのメンバーに2人女性がいらっしゃって、お昼からバッチャン村に行かずに、「お買い物に付き合って」とのご依頼でしたので、日頃のパワーを発揮し、ベトナム雑貨のいろいろなお店にお連れしました。私もついつい・・・。 
そして、文廟、鎮武観、鎮国寺とお寺もご案内しました。
 夕食をエンペラーで予約されたいたところに、M先生と私達夫婦もご招待頂きました。宮殿をイメージした重厚な雰囲気のベトナム料理店です。楽しい時間をありがとうございました。どうぞ、お気をつけてお帰りください。
 6人の方が雇われていた日本語ガイドさんの話。
 ベトナムでは、緑の軍服をきた若い男性をよく見かけます。主要な建物、空港などの警備に銃を持って立っています。
 ベトナムには、徴兵制度があり、2年間軍に入るそうです。ただし、一人っ子は免除。大学生も1ヶ月間だけでよいそうです。 18歳から25歳までだったそうなのですが、最近、人口が増えて施設に収容できないので、27歳までに延長になり、その間の2年間に変更になったそうです。
 少子化で悩んでいる日本とは違い、ベトナムは産児制限があるとか。3人目はお金を払わなければならないそうです。
 6人の方が、昨日ハロン湾へ行く途中のチョンズオン橋のところを、交通事故直後に通りかかられたそうです。
 3人バイクに乗っていた若い方が亡くなられ、ムシロをかけられ、そのお母さんが泣き崩れていたとか。
 日本語ガイドさんの話では、国の保険に入っていると一人、28万円ぐらいのお金がでるそうです。まだまだ人の命が安いです。
 このまま、バイクと車が増え続けると、本当に危険です。交通マナーの向上や、道路、信号機の整備が急がれます。
2006年3月3日(Fri)
 今日は、ひな祭り。家から持ってきた吉野雛を玄関に飾りました。
 お雛様なので久しぶりに、家にある材料で「ちらし寿司」を作りました。
 今夜、遅くJさんが1ヶ月の仕事を終えられ、帰国されました。お疲れ様でした。 ハノイで唯一のノイバイ国際空港まで向かう途中で、私と同じお誕生日(3月17日)であることが偶然、分かりました。なんだか嬉しいなぁ。Jさんの方がずーと若いですが・・・
2006年3月2日(Thu)
 ハノイ歴史研究会の小委員会に参加させてもらうことにしました。
毎週木曜日に持ち回りで集まって、「ハノイを歩こう」という小冊子を作るため、どのような手順でするか話し合います。
最近「ハノイを歩こう5」を出され、6は、ドンダー地区を紹介することにし、皆で調べていくそうです。地図を広げながら、・・・・
先日、メンバーの方が一部下見をされています。
 この会は、「ハノイを歩こう」の前に「ベトナム歴史ノート」や「ハノイの道めぐり」という本も出されています。
 海外赴任が終わると帰国するので、当初のメンバーの方はどなたもいらっしゃらいません。
 日本から6人のお客様が来られました。
 滋賀県と石川県の方が「近江あられ」をくださいました。
 日本の「おかき」うれしいなぁ。
 大阪府池田市から来られたかたが、「呉春」という池田酒と、「池田炭」と書かれたおせんべいをくださいました。
 「呉春」は谷崎潤一郎が好きだったお酒とか・・・
貴重なお酒をありがとうございます。

 後ろの私達の乗っていた車の中からの写真。(暗くて分かりにくいですが)
 どんどん野次馬が増えてきます。
 夕食をベトナム料理のナムフーンでご招待頂き、ワゴン車で(総勢8名で)ホテルへ向かう途中、前の車が急ブレーキを踏み、私達の車の運転手が止まり切れず、まさかの追突
 幸い渋滞でそんなにスピードも出ていなかったので、誰も怪我もなく無事でした。
 前の車はトレーニングと言って、日本でいう仮免許練習中の車で(教習所の車は、ジープなのです)ジープなので頑丈に出来ていて、無傷。 こちらはベンツのワゴン車でしたが、前のバンパーが少し歪み、ラジエーターの水が、漏れ出してきていました。
 同乗していたガイドの人が、タクシーを呼んでくれて私達はその場を離れることになりました。
 他人事のように思っていた事故でしたが、まさか私達が遭遇するとは思ってもいませんでした。
2006年3月1日(Wen)
 会社のミセス会の2ヶ月に1回のランチのお世話役の今回お当番になりました。今回のお世話役5人でお店を決めて、ベトナム料理店に試食に行きました。
 お店を決めるにあたり、かなり迷いました。あまり、ローカルなお店にすると、トイレに問題があることが多いのです。5つ星ホテルにすると、きれいなのですが、高くなります。そして日本と同じように、食事以外に部屋代が必要になります。 
そこで、少しローカルだけど、綺麗な店をOさんがご存知で、Sen Xanh (青蓮)というお店に行き、今回はここに決めました。
 試食会と言いながらも、皆さんでランチを楽しみ、おしゃべりをするほうに夢中になっていたかも・・・・

VIET NAM ベトナム だより(10)  2006年3月

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